33 誤算

「あら、私が初めて? 光栄ね」

 レナエルは、アハハと高笑う。


「でも、いいの? 神に選ばれた私を捕まえたら、歴史に汚名を刻むわよ」

「君の戯言に付き合う気はない」

 レナエルの親切な忠告を、王子は一刀両断した。


「残念ね。人の話に耳も貸さないなんて」

「君と一緒にしないでくれるかな。人の話を聞かないのは君だろ」


 王子の怒りは、硬質な鋼のような冷たさだった。レナエルは首筋にヒヤリとした刃を突きつけられた錯覚を覚えながら、唇を皮肉に歪める。

「情に流されて、真実から目を背けるんだ? 王族と言っても、その程度なのね」


 本来地方の貧乏貴族が殺されたくらいで、宮廷が動くわけがなかった。王子がしゃしゃり出てくるのも想定外である。レナエルにしても、王族とやり合うつもりはなかった。


「当たり前だ。誰がなんと言おうとぼくはセツを信じるし、世界中が敵になっても、ぼくはセツの味方だ」


 それでもレナエルは余裕を崩さなかった。自身の勝利への確信が揺らぐことはない。

(可愛いこと。大好きな名付け親を守りたくて必死なのね)

 二色の瞳は、レナエルの一挙手一投足を見逃すまいとしている。

 魔法使い殺しを守る為なら、その刀でレナエルを斬ることすら躊躇わないだろう。

 その一生懸命さは、一途で健気だ。


(でも、守りたいものなら、私にもあるわ)

 婚約者亡き今、レナエルも引くわけにはいかないのだ。

(私達の夢を叶えられるのは、もう私しかいないのよ!)


 キュッと唇を引き結び、冷静に状況を分析する。

 刀を持っているといっても、所詮は王子。たかが知れているはずだ。

 なにより魔法使いと剣士、圧倒的に魔法使いに分がある。王子の刀が魔剣なのは気になるが、なに、そんなことは瑣末事だ。刀の間合いにさえ入らなければ、魔法使いが負けるはずがない。

 魔法使い殺しは言うに及ぼす。レナエルに毛の生えた程度の魔力しか持たないような男に、負けるはずがなかった。


(王子が大人しく見学できないなら仕方ないわ。ほんの少し痛い目にあってもらいましょう)

 魔法使いを相手にするとはどういうことか、王子様に教えてあげるのだ。

(そうね、二人まとめて攻撃して、魔法使い殺しが迎撃している間に、王子を手中に収めれば……)


 大切な王子様がレナエルの手に落ちれば、魔法使い殺しはどんな顔をするか。

 いい考えだと、レナエルはほくそ笑む。


(魔法使い殺しも私の実力を思い知り、王子も目が覚めるでしょう)

 真の最強は誰か、見せつけてやる。


(そう。本当の最強は、この私なのだから!)


 魔法使い殺しが最強の座に居座っていられるのは、他人から魔力を奪ったから。

 そして風司にあの女が選ばれたのも、あの女が貴族だから。

 レナエルが弱いからではない。

 真実最強なのは、やはりレナエルなのだ。


(実力のない者は、とっとと消えるがいいわ!)

 十分な距離を取り、彼女はフワリと地上に降り立った。

 王子も刀を構える。


「水の礫よ」

 レナエルの呼び声に応じ、周囲に無数の水の小塊が出現する。先程の火球は斬られてしまったが、この数は捌ききれまい。

「穿ちな――」

 シュッという微かな音に、言葉を掻き消された。胸元に走ったわずかな衝撃は、ローブを斬られたせいだ。


「え……?」


 なにが起こったのか。

 目の前に、王子の美しい色違いの瞳があった。


(どうして!? 十分な距離を取っていたはず!)

 狼狽するレナエルに、再び刀が振り下ろされる。反応できず、またローブが斬り裂かれた。


 何故、王子がここにいるのか。


 考える間もなく、刀が繰り出される。

「ロワメール!」

 魔法使い殺しが叫んでいた。

「引け!」

 静止の声も一顧だにせず、王子の動きは止まらない。


 レナエルは慌てて飛び退るが、王子は彼女を逃さず、三撃、四撃と立て続けに斬りつける。

 魔法使いの誇りである黒いローブが、王子の一撃ごとに斬り裂かれていく。


(速い……!)

 魔法使いと、真っ向から戦えるノンカドーがいるなんて!

 王族は、身体能力まで常人と違うのか。

 王子の動きが速すぎて、呪文を唱える暇がない。


 レナエルは紙一重で攻撃をかわし続けて……いや、違う。レナエルが刀をかわしているのではない。王子がわざと、浅く斬りかかっているのだ。

 王子にその気があれば、最初の一撃で彼女を仕留めていただろう。

 先の言葉通り、彼女を捕らえる為に戦意を削ぎ落とそうとしているのだ。


 二色の瞳がレナエルを捉え、離さない。


「くっ……!」

 王子を侮っていた。

 その綺麗な姿から、誰がこれほど苛烈な攻撃を予測できただろう。


 レナエルは瞬時に思考を巡らす。

 こんな青二才の坊やに、押されっぱなしのわけにはいかない。

 距離さえ取れれば、いくらでも逆転できるはずだ。

 まずは彼女の最も得意な風魔法で王子を吹き飛ばし、攻撃を止める。その隙に上空へ飛び、体制を立て直す。

 反撃はそれからだ。


「風よ……」 

 レナエルはローブを犠牲にし、魔力を練り始めた。

(特大の風の塊をお見舞いしてやる!)

 呪文の詠唱に合わせ、風が大きく渦巻いていく。密度を増し、更に大きく、大きく。

(これで終わりよ!)

 例え魔剣を持っていても、魔力のないノンカドーにこの魔法は防げない。

(なす術なく、吹き飛ばされるがいい!)


 ロワメールに標的を合わせ、そこでーーフッと魔法が消えた。


「え――?」

 なにが起きたのか。


 まるでロウソクの炎を吹き消したように、発動寸前だった風魔法が消失したのだ。


 ありえない事態に思考が停止したほんの一瞬の隙に、今度はレナエルの体がガンッ! と地面に捻じ伏せられる。


「………!?」


 もの凄まじい圧力が、身動きひとつ許さずレナエルを地面に縛りつけた。

 レナエルだけでなく、見えないなにかに押さえつけられ、王子も片膝をつき、苦悶の表情を浮かべている。


「おい」


 地面に押付けられたレナエルの視界に、歩み寄る男の足が見えた。

 怒りに染まった低い声が、レナエルの耳を打つ。


「ロワメールには、指一本触れさせないと言ったはずだが?」

 お前、今、なにしようとした?


 魔法使い殺しのアイスブルーの双眸が、冷ややかにレナエルを見下ろしていた。

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