29 王家の計略

 氷の浮かんだお茶が、冷たく爽やかに喉を潤す。伯爵家が愛用の茶葉だけに甘露だ。

「やっぱりロワメールの淹れるお茶が美味いな」

 しみじみとセツが呟き、二人してホッとひと息つく。


 ロワメールの手の中で、カラカラと氷が鳴った。掌が冷たい。


「セツ。順を追って話します」

 ロワメールは、ひとつ深呼吸をする。

(ここからが、勝負どころだ)

 アイスブルーの目に先を促され、腹をくくった。


「ぼく達は、ウルソン伯を宮の一員に迎えたいと思っています」

「わざわざ敵対勢力の人間をか?」

 セツが幾分呆れた。セツには権力争いは奇々怪々らしい。

 宮はロワメールの宮殿、そこの一員に加えるとは側近を意味する。


 目をかけている甥が、敵陣営の王子に召し抱えられたら、侯爵はどんな顔をするか。

 ――見ものですよね。

 ニッコリと笑い、こんな底意地の悪い作戦を考えたのは、もちろん側近筆頭である。


 だがなにも侯爵への当てつけで、ウルソン伯爵を引き抜くのではない。

「ウルソン伯は元々ぼくに好意的でしたし、なにより優秀ですから」

 あの見た目と性格で、見誤ってはいけない。

 今回の代替わりのごたつきに乗じた横領も、ウルソン伯爵が療養中のベッドで見抜き、騎士隊が証拠を発見したのだ。

 数字に強く、領地統治の能力も高い。その政治手腕は天性のものだ。だが、父の偉大さに萎縮し、自分に自信が持てない。

 それが、王子宮のアルマン・キャトル・ウルソンへの評価だ。


 それに、伯父と甥の間には修復困難な亀裂が入っていた。

 気が弱く自分を過小評価しているウルソン伯爵は、自分にも他人にも厳しいプラト侯爵におびえている。そんなウルソン伯爵には、伯父との物理的心理的距離が必要だ。


「なるほど。それでロワメールは伯爵を懐柔してたわけか」

「人聞きの悪い」

 王子は思わず苦笑う。


「ですが現在、横領殺人を疑われ、宮廷で微妙な位置に立たされています」

「それでお前が無実を証明して、ついでに伯爵の伯父に恩を売るわけか?」

 一石二鳥である。


「ウルソン伯の件で、プラト侯の勢力が削がれるのは阻止したい。それは、陛下のお考えでもあります」

 皇八島において、ラギ王家は絶対不可侵だ。しかし、貴族達は一枚岩ではない。貴族の均衡が崩れ、一勢力に権力が傾くのを防ぐのもまた、王家の役目だった。


 それに実は、ロワメールはプラト侯爵を嫌ってはいない。ロワメールを溺愛する国王や王太子さえも、侯爵の排斥は望んでいなかった。

 プラト侯爵が反第二王子を掲げるのは、王家への強すぎる忠誠心の裏返しだからである。プラト侯爵はロワメールという前例を作り、第二、第三のロワメールが――出自の怪しい御子が現れ、ラギ王家の血を汚すことを恐れているのだ。


「ウルソン伯の潔白を証明する為に、犯人には公の場で証言してもらう必要があります」

「……それは、生きたまま捕えるということか?」

「そうです」


 裏切り者には死を。

 その絶対の掟に、ロワメールは逆らえと言っている。


「このこと、ギルドには?」

「すみません。話していません」

 真っ向からギルドの掟に刃向かう要請が、通るとは思えなかった。

 だから、セツに賭けたのだ。


「証言させて、その後どうする?」

「法の下で裁きを受けさせます」

 セツは腕を組み、目を閉じた。


 しばし、沈黙が続く。


 ロワメールはその間、息を殺すように静寂を守った。

 マスターに、大きな決断を強いているのだ。簡単に答えが聞けるとは思っていなかった。


 氷が溶け、カラン、と湯呑みの中で音を立てる。長い熟考の後、アイスブルーの目が開かれた。


「……いいだろう」


 短い、けれど、重いその一言に、ロワメールの肩からほっと力が抜ける。

(これで、ぼくの望みが叶う足がかりを手に入れた!)

 この決定は大きな一歩だ。


 ロワメールは逸る気持ちを、グッと拳を握って抑え込む。

「大人しく確保されるとは思えないので、その際は――」

 そこで、ロワメールは気が付いた。セツが、鋭い眼差しを窓の外に向けている。


「セツ?」

 ガタリと音を鳴らし、セツが立ち上がる。


「一緒に来るんだろう?」

「……はい!」

 差し出された手に、ロワメールは刀を握った。


 事態が動いたのだ。






「いいな、ロワメール。大人しくしてるんだぞ」

「わかっています」

「俺の後ろから出るな」

「はい」

「危ない真似は絶対にするな。俺の言うことはちゃんと聞いて……」


 ロワメールはセツの後を追い、庭を走った。敷地に張り巡らせた感知魔法が侵入者を捉えたのだ。セツの居場所を教えるための網に、裏切り者はまんまと引っかかったのである。


 ウルソン伯爵には、家人も含め、庭に出ないよう言ってある。その際、襲撃者を伯爵家敷地内で迎え撃つ許可は取っていた。

 ウルソン伯爵は、領民や市街地に被害が出ない方が良いと、快諾してくれている。


 ――万が一庭が壊れたら、修繕費はギルドに請求してくれ。

 セツとしては見事な庭を壊す気はないが、念の為である。

 ――お気になさらず。全力で戦ってください。

 ――俺が全力を出したら、コウサ全壊じゃ済まないぞ?

 ――え!?

 破壊の規模が想像より遥かに大きく、ウルソン伯爵は青ざめたが、もちろんセツは全力など出す気はない。裏切り者の討伐くらい、セツにとっては片手間の仕事だ。


「魔剣も抜くんじゃないぞ」

 屋敷を出てからずっと、セツの注意は途切れることなく続いている。心配してくれているのはわかるのだが、後から後から出てくる注意事項につい苦笑が漏れてしまった。

 それを見咎め、セツが叱責する。

「ロワメール! 聞いているのか!?」

「聞いてます」

 しおらしく返事をしたが、セツは胡乱げに注意を繰り返す。

「本当にわかっているのか? 魔獣の時みたいに、飛び出すんじゃないぞ?」

「大丈夫です」

 たぶん、と内心で付け足した。

(裏切り者の出方次第だ)


 カイの当地での調査により、裏切りレナエル及び婚約者アシルにセツと繋がりはないことは判明している。

 目的がなにかわからないが、裏切り者の狙いはセツだ。


 ロワメールも気を引き締め直し、魔剣『黒霧』を握る。

 二人は木陰から、陽の降り注ぐ芝生の広場へと躍り出た。


 セツとロワメールは、眩しさに一瞬目を細める。

 目の前には緑の芝生が広がり、抜けるよう青い空には白い雲と……黒いローブの女が浮かんでいた。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 2024/12/06、加筆修正しました。

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