28 雨降って地固まる
昨夜からの雨は朝になっても降り止まず、ザーザーと音を立てている。
湿度の高さに辟易しながら、それとは別の原因でアルマンはおおいに困っていた。
朝食の席、優しく美しい王子様の機嫌が、どうやらすこぶる悪い。
話しかければ麗しい微笑みを返してくれるのだが、明らかに様子がへんだった。それにあろうことか、美しい目元にクマができている。
昨日はあんなに仲の良かった魔法使いと一切口をきかず、どころか目も合わせない。魔法使いは時折王子の様子を窺うが、王子は知らぬフリをしている。
アルマンは側近筆頭に救いを求めるが、カイも小さく首を振るのみだった。
「出過ぎた真似なのは承知していますが、喧嘩でもなされたのでしょうか?」
朝食の後、カイに尋ねてみる。
「そうですねぇ」
カイも困り顔で眉を下げた。
「早く仲直りされるといいですね」
「ロワ様は、セツ様のこととなると、ほんとお子様ですから」
側近の溜め息は重い。
アルマンはそんなカイを慰めようと、言葉を探した。
「殿下は御歳十八。まだ一人くらい、甘えられる方がいてもいいのではないでしょうか」
宮廷では、そんな甘えは許されない。
だが、年若い王子には、どこかに心許せる相手がいてもいいはずである。
今回、カイは被害者である。
立場上、昨夜のうちにロワメールと話はしていた。
――明日から、俺は別行動をとる。
その一言に、よほど腹が立ったらしい。
(ロワ様に甘い、セツ様が言いそうなことだ)
ロワメールとて、セツがそう言い出すと予想していただろうに。
シノンから行動を共にしてわかったのは、セツはロワメールに甘い、ということだ。
まさに、目に入れても痛くない可愛がりようである。
そんな風にロワメールにだだ甘いセツが、危険を伴う場所に王子を連れて行くはずがなかった。
「セツ様は、ロワ様を心配してですね……」
「知ってる」
「でしたら良い機会です、今回の件について、そろそろお話しされてはいかがですか? セツ様なら、ロワ様のお気持ちを無下にはなさらないと思いますが」
カイは宥めにかかるが、ロワメールに側近の話を聞く気はなかった。
「カイ」
「はい?」
「明日、ギルドに行って例の件をまとめてきて。それと、船の手配も忘れないこと。併せて、裏切り者レナエルの聞き込み調査。セツを狙う理由が知りたい」
「………」
「レナエルの婚約者、アシルについても再調査を。アシルに関係があるかもしれない」
淀みなく告げられる仕事内容に、カイの顔が引きつる。
怒りに任せて当たり散らしてくるならまだしも、こんな時に限ってロワメールは王子然として隙がない。
「あのぉ、いかに私でも、その量を一日でこなすのはいささか無理が……」
「ギルドの件さえ片付けば、後は翌日以降で構わない」
取り付く島もなかった。
言うだけ言うと、ロワメールはさっさとベッドに潜り込んでしまう。
「灯り消していって」
退室を促され、大量の仕事を押し付けられたカイは、すごすごと退散するしかなかった。
午後になっても雨脚は衰えず、セツは本のページをめくりながら、雨音を聞いていた。
テーブルの上には、伯爵家の書庫から借り受けた本が山積みにされている。セツは、ヨコク島の近代史を編纂した歴史書に目を通していた。眠っていた間の歴史の穴埋めに、この手の本は必須である。
ソファの向かいでは、ロワメールがむっすりと座っている。顔に大きく怒っていると書いて、いまだに不貞腐れていた。朝からずっと、どうやらセツが一人で出て行かないように見張っているらしい。
手持ち無沙汰なのだろう。肘掛けに頬杖をつき、窓の外の雨を眺めている。そのうち、昨夜よく眠れなかったのか、ウトウトと船を漕ぎ始めた。
――ぼくはもう子どもじゃない! 子ども扱いしないでください!
子どもじみた顔で子どもじゃないと言われても、セツも困ってしまう。
なにをそんなに意地になっているのか。
「そう言えば、あの時も……」
五年前、セツがロワメール誘拐を目論む組織を潰しに行こうとした時も、ロワメールはついて行くと言ってきかなかった。
――セツが心配なんだ!
少年は、二色の瞳に不安を溜めて訴えた。
最強の魔法使いに、なんの心配があるというのか。
――俺はマスターだ。心配いらない。
――マスターなら、怪我をしないの!? 違うでしょ!?
――俺は最強だぞ?
――最強でも! セツは、ぼくが守るんだ! 絶対絶対、ぼくが守るんだ!
顔を真っ赤にして、セツにしがみついて離れなかった。
あの時は、時間をかけて言い聞かせれば、不承不承ではあるが納得したのに。
今回は、テコでも折れそうになかった。
「これも成長したってことか……」
そう思えば、感慨も深い。
眠るロワメールを見ながら、セツはクスリと笑った。
「寝顔は、昔とかわらないのにな」
子どもは、あっという間に大人になる。
(さて、俺はどうしたものか……)
考えるが、答えはもう決まっているようなものだった。
翌日、雨は上がり、青空と共に夏の暑さとセミの鳴き声が戻ってきた。
ロワメールとセツは、お互い無言で本を読んでいる。ちなみにロワメールが読んでいるのは、彼の好みに合わせてセツが見繕ってきた冒険活劇である。
「セツ……」
ロワメールが静かに本を閉じた。
「ん?」
「あの……」
「うん」
セツを見て、俯き、またセツを見ては言葉を探す。
セツは怒っていない。ロワメールが一人で勝手に怒っていただけだ。
自身の幼稚さに情けなくなる。
「ごめんなさい! ぼく、もう大人なのに、あんな風に怒って」
怒りをぶつけるだけで、なにに腹を立てているのか説明するのを怠った。
そんなのセツだって、どうしていいか、わかるわけがない。
「十八の誕生日を迎えたからって、急に大人になるわけじゃない。少しずつ、大人になっていけばいいさ」
セツはいつだって、ロワメールを許してくれる。
それに甘えてばかりではダメなのだ。
「なにに怒っているのか、ぼくがどうしたいのか、ちゃんと話すから聞いてくれる?」
昨日までの雨が嘘のように晴れ渡り、真っ青な空に輝く夏の太陽が、ロワメールに勇気を与えてくれた。
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