第10話 家族

「よくやったよ、ヒナタ!」

「ふふん、トウマのおねがいだもの。お母さんはかんぺきにこなしてみせるわ」

 ヒナタはまさに鼻高々といった様子で、その手には大量の毛と共に白い玉が握られていた。

 白い玉は魔法の根幹。支えを失った変異者シフターの魔法の身体は徐々に綻び霧散していく。

 おおよその見立ての通り変異者は元々人間。森の空気に溶けていく変異者の身体の中から一人の女の人が姿を現した。

 変異者と同じ深い青緑の髪を蓄えた若い女の人。そのあまりの毛量に変異者の毛皮を頭から被っているかのような姿だ。

 隙間から覗く人間の体は一応服を着ているようだが、大人が子供の服を着ているような窮屈さだ。とはいえ、服を着たままということは体が巨大化したというよりもガワを被せられたかのように思える。

 次の瞬間──


 なんと、女の人が急に脇目も振らず走り出した!


「トウマ!追うよ!」

 あまりに突然の出来事に呆然としてしまったが、リオの声を受けて魔力を接続し直して走り出す。


「は、速い……!」

 全速力で走ってもまるで距離が縮まる気配が無い。その上、後ろ姿は足先以外のほとんどは深い青緑色。森の中では保護色なのもあり見失ったが最後追いつくことは不可能になる。

「アタシが飛びかかって捕まえる。先行させて」

「うん、お願い」

 リオの進言を受け、女性目掛けて思いっきりリオを操り飛ばす!

 リオは茂みの枝葉を無視して空中を直線的に突き進み、遂には女の人の背中を捉えた。

「きゃあ!」

 さっきまであれだけ遠かった女の人の背中が今、地面に伏している。

 女の人の体格は毛量も相まってかなり大きく、僕と同じくらいの身長のリオが小さく見えるほどだ。

 大きな毛の塊がモゾモゾと蠢いて脱出しようともがいているようだが、リオは操作魔法で地面に向かって前進し続けているのだから、押さえつける力は人間の比ではない。

 せめて事情だけは聞き出したい。もしかしたら白い玉を扱う魔導師について何か知っているかもしれない。

 しかし、女の人の口から発せられた言葉に僕たちは耳を疑った。



「父上……!母上……!」



 腹の底から求めるようなその言葉を聞いた瞬間、僕たちは何も出来なくなってしまった……。

 拘束が緩んだ隙に女の人はリオを跳ね除けて再び走り出す。

 僕たちにはもうあの女の人を止められない。

 諦めて膝を突こうとしたその時、


「あのままだとじぶんでいのちをたっちゃうかもしれないわ。おいかけてとめないと」


 ヒナタの言葉に突き動かされる。

 凄惨な姿の故郷。それも変異者にさせられたとはいえ、自分の手で起こされた出来事。

 想像を絶する絶望があの村にはある。



 追いつくのにそう時間はかからなかった。

 女の人は村の手前で呆然と立ち尽くしていたから……。

 現実を目の当たりにしても泣いている様子が見られない。感情が迷子になっているのか、あるいは涙も出ないほどの絶望なのか。僕には想像すら及ばない。

 何かあった時に止められるようにゆっくりと近付いていくと先に声をかけられた。

「村人の遺体を布で包んでくれたのは、貴方達ですか……?」

「そうです……」

 僕が短く肯定すると、女の人は頭の位置が腰よりも低くなるくらいに深く頭を下げる。

「ありがとう……ございます……!」

 そうとだけ言い残して女の人は足早にどこかへ向かう。

 僕にはなんとなく当てがあった。



 その場に着くと僕たちは目を疑った。

「父上!母上!」

「よかった、シルク。無事だったんだね」

「随分と大きくなって髪も伸びて……でも、その顔。間違いない、私達の娘シルクだ……」

 倒壊した村で一番大きな家。そこではシルクと呼ばれた女の人が感動的な親子の再会を果たしていた……。

 少し前のこの村の様子を知る僕たちにはそれがどれだけ異様な光景か理解できる。

 まだ記憶に新しく、見れば嫌でも思い出される。


 あの夫婦の死に顔が……。


 あの時、見える場所には白い玉は見当たらなかった。隠されていたか、あるいは僕たちが去った後で魔導師が仕込まれたか。

 いずれにしても、あの夫婦は白い玉によって生き返った存在。それを伝えるべきか否か、僕には計りかねていた。

「あっ、来てくださったんですか?紹介します、私の両親です」

 僕たちを見つけるや否や、さっきまでの悲壮感を忘れさせるような笑顔で駆け寄ってくるものだから、そんな人に現実を突きつけるようなことはとても出来そうになかった。


「私を止めてくださった貴方達だから言いますが、旧知の人々だけでなく、両親まで手にかけていたらと思うと……本当に……本当に……」


 それ以上は言葉にならず、シルクさんは僕の前で崩れ落ちて両手で顔を覆うようにして涙を溢れさせる。

 この人にとって両親が生きていることが心を保たせている全て。それを奪いかねない以上、僕は何も口にすることは出来ない。


「父上、母上、この方達がこの村を襲った怪物を退治してくれたのです」

「おぉ、そうでしたか。村人のほとんどが死んでしまいましたが、貴方達のお蔭で村の意思を遺せる。心から感謝申し上げます」

「吹きさらしの下ではありますが、どうかお礼をさせてくださいな」

 三人の押しはとても強く、僕たちが断る間も無く家の中へと招かれてしまう。

 家のかと言われると少し疑問ではあるが。

 それから、お礼と称した一杯のお茶を飲みながらシルクさん一家はたくさんの思い出話を聞かせてくれた。

 そうして思い出話が語られる様はどこか焦っているようにも感じられてとても口を挟める様子ではなかったが、シルクさん一家が忘れ難い日々を過ごしてきたことが伝わってきて少しだけ羨ましく思えた。



 しばらくして辺りが夕陽色に染まる頃、シルクさんのお父さんが気が重そうに切り出す。

「そろそろ、時間だな……」

「そうですね。日も落ちそうですし、明日にはみんなのことを弔ってあげたいですからね」

 シルクさんは気付いていない様子だが、ご両親の状態を知る僕はその言葉の真意に思い至ってしまう……。

 魔力の源である魔導師から切り離されている以上、魔法の持続には限界がある。それは白い玉とて例外ではなかったのだ。

 そう考えると、ご両親が思い出話をしたのはある種の走馬灯だったのかもしれない。

「もう、お別れの時間ね」

「…………」

 その言葉が向けられた先が自分であることに気付いた──いや、向き合うしかなくなったシルクさんは俯き表情を曇らせる。

 シルクさんには変異者になっている間の意識も記憶もあった。事情も聞かずに村へ急行するのはそうとしか説明できない。

 そして両親を殺めた瞬間の記憶がありながらも両親が生きているのならそれでよかったのだろう。しかし、現実は残酷にも最期の時を宣告する。

「私は生き返ったことに感謝している。こうして娘との別れを済ませることが出来るのだから」

 そう言ってシルクさんのご両親はシルクさんの両手にそれぞれ手を重ねて祈り始める。

 すると、シルクさんの手から腕にかけて文字が浮かんでは消えていく。何度も、何度も。

 少しずつ手を握る力が弱まり、姿勢を保てず背が丸まっていく。その姿はまるで年老いていくようで急速に寿命が近付いているのだと嫌でも思い知らされる。

「あ、あのっ、父上と母上に言わなければならないことがあるんです」

 そんなご両親の状態が焦りを煽り、堰を切ったようにシルクさんは話し出す。



「村を襲った怪物は私なんです……!」



 シルクさんは涙を堪えきれずに綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしながら決死の告白をする。

 その言葉を口にするまでにどれほどの葛藤があっただろうか。罪悪感の大きさと覚悟の重さは想像するに余りある。

「今はもうその姿に戻れたんだな?」

「は、はい……」

「そうか。シルクがシルクでいられるのなら、それでいい……!」

 しかし、シルクさんのお父さんは決して責めることなどせず、ただ娘の無事を喜んで涙を流した。


「私達は貴方を恨んでなんかいないわ。だから、恨みや憎しみに囚われずに生きてちょうだい」

「自分の心に従い自由に生きなさい。どうか、自分の幸せを優先しておくれ」


 シルクさんは両親からの遺言をゆっくりと噛み締めるように頷いている。

 両親の声を聞ける最後の機会。しっかりと心に刻みたいのだろう。

「はい、わかりました……!」

 シルクさんが短くそう答えると安心したのか眠りにつくようにご両親の体から力が抜けていく。

 脱力しゆっくりと倒れそうになる二人の体を抱き止め、シルクさんは静かに泣いた。

 夕陽が三人を照らすことを諦めてもなお、二人の体に再び熱が宿ることを願うかのように。

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命を持った姉人形はお姉ちゃんになる マグ @magulan

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