二年後の流れ星
紫陽花の花びら
第1話
幼なじみのひょろすけは一つ年上の18才。
農家の息子なのに、鍬を持つ姿が似合わないと揶揄われるほど華奢なのだが、本人は継ぐ気満々でいた。
私は、ひょろすけのお嫁さんになることが夢だった。
お互い口には出さずとも、共に人生を生きていくと思っていたが、時代はそれを許さなかった。
昭和二十年。
この国は、国民を不安と不幸のどん底につき落としていった。
ある時を境に、学生達は、次々軍隊へと召集されていく。
私は、ひょろすけに召集令状が来ないようにと、毎夜流れ星に願った。
流れ星は私の想いを叶えようと、流れに流れては消えていった。
非国民だろうがなんだろうが、そんなことどうでも良かった。
離れたくない! 行かせたくない! それだけだった。
ひょろすけに話すと、唇に人差し指をあてて静かに笑った。
七月二十日。夕方から雨になり、時間を追うごとに激しくなった。
真っ暗な空にも流れ星は流れると信じ、ひたすらに祈った。
私のできる唯一のことだった。
翌朝、ひょろすけが赤紙を持って現れた。
「はな、とうとう来たよ。三日後東京へ立つ」
三日後にはひょろすけがいなくなる! 溢れだした涙は、どうやっても止ってはくれない。
ひょろすけは、私の手を握りただ、泣くな、泣くなと呟いていた。
夜、私たちはいつもの丘へ向かった。
「逃げよう! お願い逃げよ!」
「僕も逃げたいよ。本当ははなと消えてしまいたい」
ひょろすけの声が震える。
「流れ星! お願い! ひょろすけを連れていかないで」
私は、叶うはずない空しい願いを叫んでいた。
ひょろすけが、突然大声で泣きだした。
私は、ひょろすけを抱きしめると背中をさすり、大丈夫、大丈夫と言い続けた。
家に戻ると、親たちが私たちの祝言の話をしていた。
私はしたかったのに、ひょろすけは頑として首を縦に振らなかった。
最後の夜、満天の星空の下で初めて口づけを交わした。
どれだけの時間抱き締められていただろうか。
このまま溶けてしまえばいいと本気で思った。
ひょろすけが耳元で囁く。
「僕は必ず帰って来るから。必ず帰って来るから。そしたら結婚するぞ」
声が出ない。泣きたくないのに涙が邪魔をする。
私は藻掻くように何度も頷いた。
ひょろすけは、たくさんの口づけをくれた。
蒸し暑い夜は風もなく、流れる汗はひとつに交わり滴り落ちていく。
翌日、ひょろすけは慌ただしく東京行きの汽車に乗り、私の前からいなくなった。
私は汽車が見えなくなっても、ひょろすけを探していた。
別れ際渡された手紙。微かな温もりを手繰り寄せるように抱きしめた。
「はなへ
大好きな大好きはな。
二人で家庭を持つのが僕の夢だった。子供を沢山作ってね。
いつまでも愉しく、仲良く暮らすんだ。
はなが待っていてくれると言ってくれたことが僕の支えだよ。
結婚を夢見て、生き抜いてみせるからね。
さて、これから書くことは、僕からのお願い。心からのお願いだから、よく聞いて欲しい。
これから一日一回でいいから僕のことを流れ星に祈ってください。そして、一年後の流れ星。二年後の流れ星に祈っても、僕が帰って来なかったら、はなは別の人生を選ぶんだよ。僕を待っていてはだめだよ。いいね! 約束だよ。大切なはなには幸せになって欲しいから。じゃ! 行ってくる。愛している! はな! ぼくはいつだって、ぼくのすべてで、はなを守り抜くから。どこにいようとだよ。愛している。
ひょろすけ 井原洋介」
こんな勝手なお願い聞けるわけない。
私は、一日中祈った。寝ても覚めても祈った。どこにいても何をしていても祈った。
流れ星を心に描き祈り続けた。
戦争は三年前に終わった。帰って来た命。帰らぬ命。
喜びに打ち震える家族。恋人。
嘆きの沼に沈みゆく心を奮い立たせている残された者たち。
私はその沼に足をとられ、溺れて苦しみから立ち直れないでいた。
周りは悲しみを捨てるように、わざとらしく明るく振る舞う。
薄情だと怒りが湧く。ひとはそんなにも簡単に心を変えていくことができるのか。
流れ星がなんだ。願いがなんだ! 私のひょろすけは帰ってこなかった。
縁談を断り続けた私は、ここに居場所はないと考えるようになっていった。
結局私は田舎を捨てた。
都会に暮らして数十年が過ぎていた。
温もりに触れては、さまよい始める心にうんざりしながら、見苦しいほど人恋しさに飢えている。
今夜もひとりネオンの街から郊外の家に逃げ帰る。
誰かが叫ぶ。
「あっ! 流れ星! 願いこと! 願いこと! ああ消えた!」
空を見上げる。光の中へ消えていった流れ星はね、迷子になっているんだよと、薄笑いを浮かべたときだった。
突然頬を濡らす涙で、蘇る田舎の夜空。
流れて消える流れ星は今も、誰かの願いを受け止めているのだろうか。
ねえ、私の願いはどこに落としたの?
ねえ、その願いはね叶えてほしかった。
ひょろすけ? どこにいる? ひょろすけ? 私が見える?
もう充分守り抜いてくれたよ! 今度は私のたったひとつのお願いを聞く番だよ。
迎えに来て! いますぐ!
二年後の流れ星 紫陽花の花びら @hina311311
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