第6話 野良
「おいおい嬢ちゃん、随分な挨拶だな。こいつがなんかしたか?」
「私の方見てコソコソ陰口叩いてたでしょ」
どうしてこんなことになったのか。
自分を庇う様にして一歩前に出てくれたグウェインの背中を見ながら、カリスは考える。
他者を不快にさせる様なことをしていたつもりはなかったが、一体何が彼女の琴線に触れてしまったのか。
ひとまずカリスが取った行動は怒りに対しての謝罪であった。
「朝のランニングで似たような人見かけたって話をしていたんです。気に障ったならすいません」
「……ああ、アンタだったのね。とろとろ道のど真ん中を走ってノロマなやつ」
「邪魔でしたね、すいません」
「分かればいいのよ、今度からは避けて歩きなさい」
それだけを言い捨てると彼女は背を向けて人混みに消えていく。
先程までの怒りが雲散霧消した理由はこちら側がしっかりと謝罪をしたからだろう。
人間社会において謝罪というものが想定していたよりもずっと効力をもつということをカリスはこの時に学ぶことができた。
だが側から見ていたグウェインとしては弟子がよく分からない理由で頭を下げさせられて面白くないのか機嫌が悪そうだ。
「随分と気の強い子供だな。お前ああいうのどう思うんだ?」
「どうって言われてもイライラしてるんだなぁとしか」
「まぁそんなもんか、お前気にしなさそうだもんな」
だが弟子が気にしていないのであればそれをいちいち気にするものでもないか。
そう割り切って二人は当初の予定通りに受付へと向かう。
常に忙しそうにバタバタとしている受付へと足を運べば、緑毛が特徴的な笑顔を浮かべた受付嬢が何をしにきたのか問いかけてくる。
「いらっしゃい、本日のご用件は?」
「こいつの登録だ。必要書類は揃えてある」
そう言ってグウェインは懐から4、5枚の紙を取り出して机の上に出す。
昨日の夜何をしていたのかと思っていたカリスだったが、この書類を用意するためにどうやら時間を使ってくれていたらしい。
「承知しました。一度確認させていただきますね」
書類を受け取り丁寧な物腰で奥へと履けていった受付嬢。
その後ろ姿を見ながらカリスはふと疑問を投げかける。
「なんか受付の人態度が急変した?」
「冒険者の中には敬語使ってきただけで自分より下だって見るやつもいるからな。初対面の時の対応で向こうも接客態度変えてるんだよ」
「大変なんだね」
これもまた相手を怒らせない為の処世術なのだろうか。
社会で生きることの難しさとそれに対して自然に対応する人の適応能力に驚きながらも受付嬢が帰ってくるのをまっていると、それから5分ほどして沢山の書類を両手で抱えながら受付嬢が帰ってくる。
「書類確認完了しました。3日後に適性検査試験がこの冒険者組合でおこなわれますので忘れずに参加するようにお願いします」
「適性検査? 初めて聞くが最近できたのか?」
「そうですね、4年前に皇帝陛下のご命令で新規参入の冒険者には討伐、再主任務に関わる業務を帝国内で行いたい際には適性検査をパスするようにとのお触れが出されています」
ここにきて5年間のブランクが大きな問題を発生させる。
グウェインが帝国にいなかったこの五年間で帝国は大きく変化した。
皇帝がその辣腕を振るい他国ではありえないほどの速度で改革を実施、いまや冒険者という家業は国家事業の最先端であり、そう簡単になれるものではない。
以前までなかった適性検査が追加される様になったのもそれが故であり、合格率は以前までに比べて4分の1以下である。
「試験内容は詳しく聞けるのか?」
「申し訳ありません、規則ですのでお話しすることはできません。ただ基本的に毎回運動テストと一般教養テストは最低でもありますね」
「一般教養か……ギリギリあるか?」
チラリと向けられるグウェインからの視線にカリスは苦笑いを返す。
生活に必要な知識、と言う点でも正直怪しい。
生きていけと言われ森に放り出されれば死ぬまで生きていけるだろうが、商人として生きていくどころか市民の生活に溶け込むことすらままならないだろう。
「本で読んだ知識ならあるけど」
「まあ何とかなるか。図書館利用したいんだけど、規則って5年前から何か変わってる?」
「特に変更はございません。いつもご利用いただきありがとうございます」
「どうも。ほんじゃ行くぞカリス、とりあえず勉強だ」
そうして連れられカリスは冒険者組合の中にある図書館へと案内される。
先程までのような吹き抜けの天井に走れそうなほど奥まで続く道、だが広いと感じないのはそれだけ蔵書に溢れているからだろう。
産業革命から早いもので数十年。
紙の製造自体はそれほど難しい技術ではなくなったにしろ、これだけの数を誰でも手に届く場所に置いていると言うのはそれだけ冒険者組合が大きな組織であると言う証だ。
「本がいっぱいですねここ」
「まぁほとんど人はいないんだけどな。わざわざこんなところにまできて本を読むような奴はいないし」
だが残念なことにこの図書館を利用する大部分の人間は冒険者ではない。
学者か街の知識人、たまに冒険者を止めて食っていくために図書館に通う者もいるが継続することはまずない。
小さな頃から蔵書に触れず生きてきた人間にとって活字に触れると言うのはそれだけで精神を疲弊させる。
強い目的意識でもなければ難しいと断定するグウェインに対し、ふと近くにいた司書の一人が抗議の声を上げる。
「そうは言いますけどグウェインさん、ここにしかないような図書もあって冒険者以外の方からは人気なんですよ」
「ここの蔵書の多さは俺も気に入ってるよ。5年ぶりなのによく覚えてたな」
「冒険者には珍しくここの常連さんでしたからね。死んじゃったのかと思いましたが、生きてたんですね」
死はそう遠いところにあるものではない。
どれだけ強くても何かの油断で死ぬことはザラにある。
嬉しそうな司書の顔は何人も戻ってこない者達を知っているからだろう。
「俺そんなころっと死ぬような人間じゃないだろ」
「そうですね。なんて言ってもこの国でも数少ない最高位の冒険者ですからね」
「そうやって呼ばれるのもなんか久しぶりな気がするな。……カリスお前何をしてるんだ?」
司書との雑談に花を咲かせていると、気がつけばカリスは山の様な蔵書に埋もれていた。
どう言う原理か二冊同時に読むことができるというカリスは、両手を忙しなく動かしながら知識を吸収することに躍起になっている様だ。
「見ての通り本読んでる。そのためにここ来たんだよね?」
「お前師匠の家にいたころはそういえば本の虫だったな。まぁちょうどいい、好きなだけ読んでけよ。俺も興味のある本適当に読んでるからさ」
なんだかペースを崩されるな、そう思いながらもグウェインはカリスの近くの席に座り本を読み始めた。
それから数時間、二人の間にこれといった会話はない。
山の様な蔵書を読み漁り今日一日でこの図書館の蔵書全てを読まんと言わんばかりのペースを誇るカリスとは対照的に、一冊の本をじっくりと読み進めているグウェイン。
どちらも一度読み始めれば止まらないタチであり、帰るタイミングすらも見つけられずただひたすらにページを捲る。
そんな中でふとカリスがグウェインに声をかけた。
「冒険者っていろんな階級があるんですね」
視線を落とせばちょうど冒険者についての記録が本の中に書かれている。
かつては存在しなかった冒険者の階級。
生じた理由は龍の谷を実力が伴わない者が無闇に突いたことが原因で、数万人規模の被害者が発生した事件を発端とするとのことだ。
なんにだって作られたものには意味があり、必要とされるからこそそこにあるのだと言うことがよくわかる。
「組合側で内部的に分類されてるから条件は分からないが、銅銀金赤黒の順番で黒が最高位だな。判断基準が分からないから実力が正しく測れるわけじゃないが」
言葉で表せばたった五つの階級だがその間にある差は隔絶したものだ。
先ほどの会話の中で最高位冒険者と自分で名乗っていたグウェインは、事実冒険者の最高位に位置すると言うことになる。
大して誇る素振りもなく素っ気ない雰囲気で言葉を発したグウェインに対し、カリスが読み終わった本を返却するためにちょうど近寄っていた司書が補足を入れた。
「──最高位冒険者はなってるだけでも十分ですよ。ちなみにここだけの話、最高位の冒険者は最低でも一人で訓練された兵士1000人分の働きができないと選考基準にすら入りません」
「やっぱすごい強いんだね」
「これでもお前の師匠だからな」
そういって鼻を鳴らしグウェインは自慢げな表情を浮かべる。
少しだけそんなグウェインを改めて尊敬しながらも、カリスは再び本を読み始めるのだった。
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