第4話 故郷を後に
春の日差しが窓から差し込み部屋中をゆっくりと温める。
太陽は既に完全に出切っており、人々が活動し始めるのには十分な明るさが大地を照らしている。
いつもと変わらない日々、だが確かに変わるのは今日この日この家から離れると言うことだ。
「荷物はそれで全部か?」
「はい。これで全部です」
グウェインからの問いかけに改めてチェックをしながらカリスは言葉を返す。
これから街で生きていく上で最低限必要なものは全て持った、サイズ的に持ち運べないものももちろんあるのでそれらに関しては家の中に置いていくしかない。
扉の鍵を閉め、状態保存用の魔法が自動的に作動するのを確認するカリス。
そんなカリスの背後でグウェインは荷馬車の用意をしていた。
「敬語なんて別に使わなくていいんだぞ、慣れてないだろ」
「婆ちゃんが敬語は使えるようになった方がいいって言ってたんだ。街に着くまで、練習台として付き合ってよ」
「そういう事なら別にいいけどよ」
これから生きていくのは静かな森の中ではなく、自分とは全く異なる思想を持つ様々な人が暮らす街だ。
敬語の一つくらい使えなければまともに生活することはできないだろう。
荷馬車への積み込みを手伝いさっさと全てを終わらせたカリスは、いまから荷台を引っ張ってくれるウマに餌を与えながらよしよしと撫でる。
「街まで遠いと思うけど、頼んだよ」
さすがにウマの赤ちゃんになった覚えはないので言葉は分からないが、それでも目を見ればなんとなく決意に燃えているのが見て取れる。
責任感が強く仕事をちゃんとするいい馬だ。
「相変わらずお前には懐くんだな、俺は飯やってる時くらいだよ尻尾振ってるの」
「目を見て優しく接してあげたら何とかなりますよ」
「本当かそれ……まぁいい。行くぞ」
疑いの目を向けてくるグウェインを置いて全ての作業を終わらせたカリスはそのまま荷台に乗り込む。
御者としてグウェインが指示を出すと馬車はゆっくりと進みだし、見慣れた風景がゆっくりと遠ざかっていく。
このまま見続けていれば引き返してしまいたくなる予感にひかれ、カリスはグウェインの側まで近寄る。
「それでこれからどこに行くんでしょうか」
「いまから向かうのは帝都オブレイアン、皇帝が政治をやってる帝国だ。そのあたりは本で読んでるだろ?」
「国の名前は覚えてないですけど制度くらいは。何かいい仕事あるんでしょうか」
帝国と聞くと物語の中では極端な思想を持つ場所として描かれることが多かった。
帝国人がそれをどう思っているのかは別として、カリスの中ではそのようなイメージがあることは否定しきれない。
そんな帝国にわざわざ向かう理由となると、仕事というのが最も容易に想像できる理由だった。
「帝国はその時々の皇帝によって国政が大きく変化する。長期間働くことを考えると店を構えるのはお勧めできないが、いまの皇帝の国政は俺らみたいな腕だけが自慢の人間が稼ぐには中々悪くない」
「傭兵とかですか? どこかと戦争するとか」
最悪勉強ができずとも剣を振るえれば敵とは戦える。
腹の中で数多の戦争を見て来たカリスとしては戦争というのはそれほど遠いものではなかった。
だがそんなカリスの言葉に対してグウェインはどこか不快そうに答える。
「違うな。戦争なんて参加するだけ無駄だぞあんなの。いま帝国は大冒険者時代でな、支援がやたらと厚くて金払いもいい」
どこか思うところがあったのだろう。
初めて見る不快そうな顔は一瞬で鳴りを顰めたが、これからこの話題は出さないようにしようとカリスは心に決める。
「いいですねそれ」
「帝都まで遠いのがちょっと問題だがな。俺もちょっと前まではそこで暮らしてたんだ。治安は良いし飯は旨いしいいところだぞ、金持ってないと人として扱われないのだけが難点だがな」
グウェインの言葉でカリスの頭の中でいろいろな風景が通り過ぎていく。
本の挿絵や腹の中でしか見たことのない街、それはカリスにとって既知であり未知だ。
期待に胸を歩絡ませながらここから始まる数日間の旅をまずは楽しむのだった。
/
そうして数日後。
人の背丈よりもはるかに高い城壁で囲まれた帝国の首都にカリス達は到着していた。
ここ1日2日はすれ違う馬車や人の量も尋常ではなく、その時点で若干ながら顔見知りを発揮していたカリス。
ついには首都に辿り着いたとあって初めは城壁にテンションを上げていたが、気がつけば荷台の方へと戻っていった。
子供の興味の移り変わりというものは随分と激しいものだとグウェインは思う。
「止まれ。身分証を提示してもらおう」
「はいよ、お仕事お疲れさん」
交通を管理している兵士に止められてグウェインはなれた手つきでポケットサイズの板を兵士に見せる。
「確認した。そちらの子供は?」
「知り合いの子供だよ。この子の身分証はないんでね、悪いが通行料で勘弁してくれ」
「制度を守ってくれればこちらはそれでいい」
身分証というものは誰も彼もが持っているものではない。
村の出身や秘境の地からやって来ているようなもの達は身分証という文化自体が無いこともあるので、身分証保持者と共にであれば金銭を支払えば入ることができる。
ただし当該のものが事件を起こした場合身元保証人と連帯で罰せられ、賠償の支払い義務も生じる。
ここで支払っている通行料はその罰則で当該の者が賠償が支払えない場合に被害者へ支払うための財源なのだ。
「確かに受け取った。それでは問題行動せずに帝都を楽しんでくれ」
それから馬車の荷台や荷物などを一通り確認したのち、グウェイン達は街の中へと通される。
門を潜ればそこはもはや別の世界。
色とりどりの模様で煌びやかに立ち並ぶ数多の家屋。
それら全てに生活があり、そこで暮らす人の数だけ人生が存在する。
森に生え並ぶ木々の数よりも多い人の数はカリスにとっては圧巻の一言だろう。
そう思いグウェインが背後を振り返ると、気分の悪そうな顔をしたカリスの顔がそこにはあった。
「さっきから口数が少ないがどうかしたか?」
「人が多い……あと匂いがキツイ」
確かに森の中とは違い、人の街には様々な匂いや音がある。
五感が過剰とも言えるほどに発達しているカリスにとってこの状況は確かに苦痛だろう。
「森の中で師匠と二人で暮らしてたらそうもなるか。まぁそのうち慣れんだろ、いまはそんな気にすんな」
「これからどこにいくの?」
「冒険者組合に行くつもりだったが、お前も体調悪そうだし先に宿屋に行くか」
「ありがとう」
「気にすんなよ」
照れくさそうにしながら、グウェインはそう言葉を返す。
よほど元気がないのか静かにしているカリスをそのまま運んで目的の場所まで向かうと、懐かしい宿屋がグウェインの目に留まった。
2階建ての木造、赤い屋根が特徴的なその場所は彼が冒険者として活動していた時に拠点としていた場所である。
「いらっしゃい」
「二人、一週間で頼む」
金を差し出して要件を伝えると、宿屋の女将は怪訝そうな顔をグウェインへと向けた。
何度かじろじろと顔を確認し、その恰幅の良い女将は何かに気が付いたとたん驚くような顔をすると共に詰め寄った。
「おやおや誰かと思ったらグウェインじゃないか。5年もみないからてっきり死んだもんだと思ってたよ」
「俺がそこらへんで野垂れ死ぬわけないだろ。それにしても随分とまた景気がよさそうじゃないか」
「アンタが居なくなってすぐくらいに魔女の森の方で珍しい植物やら丸々太った獲物やらがごった返していつになく景気が良くなってるんだよ。4年くらい前から国が身を乗り出して事業を起こすくらいにはとんでもないバブルだね」
やけに町中が活気図いていた理由はそれかと合点がいくグウェイン。
だがなんのことかいまいち分かっていないのか頭の上に疑問符を浮かべているカリスは、話についてこれていないようである。
「そりゃあすごいな、仕事なくなってたらどうしようかと思ったが心配しなくてよかったよ。料金置いとくから、また足りなくなったら言ってくれ」
「ほいよ、ごゆっくり」
支払いを終えて投げ渡された鍵の部屋へと足を運ぶ二人は二階の角部屋に辿り着く。
分厚いドアを開けて中に入るとカリスが想像していたよりもずっと広い室内が目に飛び込んでくる。
ベットやソファなどの家具だけではなくキッチンなどまであり、フライパンなども使えそうなものがそのまま揃っている。
シックな雰囲気の室内はいるだけで落ち着きを感じさせ、部屋全体からいい空気が漂っていた。
「広いねこの部屋。掃除も綺麗にされてる」
「ここは結構いい宿屋だからな。それにしても魔女の森の方でねぇ……なんもなかったように思うが」
「魔女の森ってどこにあるの?」
「俺らが居たあの森が魔女の森だよ。ちなみに魔女っていうのは師匠の事だ」
自分の大好きなお婆ちゃんが魔女と呼ばれていることを知ってすこし嫌そうな顔をするカリスだったが、すぐにあのお婆ちゃんなら気にしないだろうと思い直して表情を元に戻す。
先程魔物の大量発生と言っていたが、魔物はなんの原因もなく大量に発生するものでは無いとカリスは本から得た知識で知っている。
生まれ育った場所であるが故にそれ以前との変化は感じられなかったが、何かが魔物にとって有利なように変化したことはいまさら疑う余地もなかった。
「食べ物に困ったことはなかったけどそんなにいい環境だったんだ」
「あの森に何があったのか含めて、明日いろいろと冒険者組合で調べてみるか」
「そうだね」
数日ぶりとはいえ何も警戒せずにゆっくりと眠れる環境はカリスが待ち望んでいたものであり、明日の予定を組み終わった事を確認してベットに体を投げ出す。
こうして今日から街での生活が始まるのだった。
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