第3話 訓練
季節は春。
四季があるこの森はその季節によって景色を大きく変える。
新たに芽吹いた新緑は大地を緑に染め上げ、数十年、下手をすればそれよりもはるか昔からある岩や木々はいつも通りただそこにあった。
大地を踏み締めるたび、肺の中に酸素を行き渡らせるたびに自分の存在がどんなものなのか、それを自覚できるような気がする。
──物には限度があると言う点を除けばだが。
「ほらチンタラしてないでさっさと走れ!!」
「はいっ!!」
「あと10周走ったら休憩してよし!」
既にカリスが走り始めて3時間。
最初の頃は優しかった特訓も、着々と難なくこなして行った結果いまやこんなにも大変なことになっている。
全力疾走に近い速度を森の中でこれだけの時間維持し続けるのは本来どう考えても不可能だ。
人の心肺機能は何もなくそこまで出来るほど優れてはいない。
では何故カリスがそれを出来るのか、それは彼の出生が関わっている。
人の腹から生まれ落ちながら、その身体構造は人と他種族のキメラというのが最も近いと言っていい。
事実カリスは水中だけでなく地中でも呼吸ができるし、夜はまるで昼間のように見通し音で周囲の状況を把握する力もある。
生物としてこれ以上ないほどの利点を多数抱えたカリスは鍛えれば鍛えるだけそれに比例して爆発的に強くなり、教える側のグウェインにも力が入るという物。
昼食の準備をするかと家の中へと戻った彼を待っていたのは、ベットの上で横になっているウィンターだ。
「どうだいあの子は」
「いつも通りびっくりする身体能力だよ。身体に技術が追いついてない、本当に人の子供か怪しいレベルだな」
「別に人だって何だっていいじゃないか。昼飯を作っておいたから後でお食べ」
見れば机の上には暖かな食事がずらりと並んでおり、少し息を吸い込めば良い香りが鼻の奥へと登ってくる。
立つのも腰が痛いだろうに、机の上を埋めるほどの食事を用意するのはさぞ大変だったろう。
「休んでなくていいのか?」
「歩けなくなるほど弱っちゃないよ、あれから4年も経ったとはいえね」
グゥエインがこの家に来て既に四年。
毎日が長く感じられたように思うが、思い返してみれば不思議とあっという間だったような気もする。
充実した日々の中にあって時の流れの早いことといったらない。
「そうか、もう4年か」
「歳をとると本当に時間が過ぎるのはあっという間だね」
「俺も去年は特に短く感じたよ」
本格的に指導を開始したのは去年から。
人に教えること自体得意ではないため、色々と試行錯誤していたら気が向けば1日が終わっていたこともザラにあった。
「何も知らない子に物を教えるってのは結構いいもんだろう? それも自分の技を理解してくれる子供なら尚更だ。体作りもそろそろ終わらせて、本格的に技の練習を始めさせたらどうだい?」
「まだ11歳だぞ、あんまり無茶はさせたくない」
強くなりたいと焦るカリスを押さえつけわざわざ時間をかけて基礎を訓練しているのは、それだけ使う技に問題があるからだ。
日中夜走り回れる身体能力を持っていても万が一がある。
自分でも驚くほどに慎重なグゥエインだったが、ウィンターはそんな躊躇う彼の背中を押す。
「大丈夫だよあの子なら。それに私ももう流石に根性で耐えれる限界が来てるからね、死ぬ前にあの子が私の技を使ってるところを見たいのさ」
「分かったよ、怪我させないようにゆっくりとだけどな」
こう言われてしまえばもうグゥエインに反論する余地はない。
自分よりも色々な人を見てきた師匠が大丈夫だとそう言うのだからそうなのだろう。
そう思いながらグゥエインはそろそろ外周から帰ってくるカリスのために準備を始めるのだった。
△▽▽△
そうして三日後。
いつもよりより一層厳しいメニューをこなして大地に倒れるカリスの姿がそこにはあった。
「し、死ぬ……足痛すぎて動けない……」
「喋れてるうちは大丈夫だ。それより今日から技の訓練をするぞ」
「技って何の? 必殺技的な?」
上体をよっこらせと起こしてカリスは目をキラキラと輝かせながらグウェインに問いかける。
本で読んだ知識の中では決まって強い者達は必殺技というものを持っていた。
それを習得できるのかという思いがカリスの目を輝かせているのだろう。
だがそんなカリスに対してグウェインは冷たい反応をする。
「そんなもんない。師範代はウィンター婆さん、技術的に継げたのは俺だけの激ムズ技能だ。頑張って覚えろ」
「お婆ちゃん武術とか使えたの?」
「専業は魔法だよ。魔法打ってたらやたら近接戦を仕掛けられてね、気がついたらそっちの方も得意になったってわけさ」
いつの間にか小屋の外に出てきていたウィンター。
その老体からはとてもではないが機敏な動きができる用には思えない。
しかし実際問題小さなころのカリスが走り回っていた時にウィンターには一度も勝てなかったし、狂暴そうな森の生き物がただの一匹もこの小屋周辺に近づかないのもそれが理由なのだろう。
「つまりいまからお前には魔法と近接戦闘、両方を習得してもらう。少々厳しいだろうが、まぁ何とかならない事はない。頑張れ」
「お婆ちゃん、僕頑張るよ」
「カリスならなんとかできるさ、頑張んな」
「うん!」
出来るとそう言われたなら、試してみる価値はそれだけである。
これから先、どれだけ苦しいことがあったとしても今の言葉だけでカリスは頑張れる。
そうして冬が訪れた。
冬は季節の中で最も残酷な季節である。
寒さは生物から命を徐々に蝕んでいき、終わるべき時を待つ生き物を終わらせて次の春の肥やしに変える。
何度も超えてきた冬もとうとう超えることができなくなりそうな老婆が小屋に一人。
外の吹雪の音で震える窓を眺めながら、老婆は痛む喉を気遣いながらゆっくりと声を出す。
「……そろそろか」
「あと1ッか月あれば、あの子は技を最低限全部覚える。それまでなんとか耐えられそうか?」
「5年も耐えられたんだ、あと一月くらいなんてことはないさ」
明らかにムリをしている。
医者ではない自分が見ても見るからに衰弱しきっている彼女は明らかにいつ死んでもおかしくない。
日増しに意識を保つ時間が少なくなっていっており、食べる食事も呼吸の回数もすべてが彼女の寿命が尽きるまでもうそこまで来ていることを知らせていた。
病気ならばまだ対応策もあるだろう。
だが彼女の死因は老化、この世に生を受けた以上避けられない定めである。
こんなにも寒い中外にでてただひたすらに技を振るい続けるカリスを思えば、あと少しもう少し行きたいと願うウィンター。
気が付けば何十年と流していなかった涙が頬を零れ落ちていき、自分の不甲斐なさに嗚咽が漏れる。
かつてはこの世界に並ぶ者無しと呼ばれ、世界の覇者と言ってもよかった人物の最後の姿を見て弟子であるグウェインは言葉を無くしていた。
惜しめることは幸福か、だが見守れない事は不幸だろう。
せめて何とかカリスが間に合えば良かったろうが、グウェインの目から見てもどうやったって間に合いそうにはなかった。
武術の世界において奇跡なんてものは存在しない。
ただひたすらの鍛錬と才能、この2つだけが絶対のルールであり、それを他者がどうにかすることはできない。
「俺は……師匠の望みを最後まで叶えてやれなかった」
「馬鹿だね。グウェイン、あんたがここに帰ってきてる時点で私の望みは半分は叶ってるみたいなもんさ。私みたいなおいぼれの為に外を歩き回るのが好きなアンタがこんなに長い事この場所にとどまってくれたんだ。これ以上は贅沢ってもんだろ」
ウィンターから発せられる声は次第に弱くなっていく。
心残りになっていたことを口にするたびに、彼女をこの世に引きとどめていた未練の様な物が消えていく。
そうしてとうとう何も口にすることができなくなったグウェインと、そんなグウェインを我が子の様な目で見つめるウィンターの間に沈黙が訪れる。
そうして静かな時間はどれくらいだったろうか。
いつもならば元気に押しのけられるようにして開けられる扉が、ギギギと嫌な音を立てながらゆっくりと開いた。
「婆ちゃん……僕全部の技……覚えたよ」
泥だらけで見るからに疲労困憊の体を引きずるようにして歩きながら、カリスはにっこりと笑みを浮かべた。
具体的にどれくらいの日数で死ぬのか、それをカリスには伝えていなかったがなんとなくで感じ取っていたのだろう。
直近の異常なまでの特訓にのめりこむ姿勢は、何とかしてウィンターが死ぬまでに間に合わせたかったというカリスなりの思いだ。
ボロボロになったカリスは甘えるようにしてベット脇に座り込み状態をベットに預けると、ウィンターもそんなカリスを慈しむように頭を撫でる。
「随分と無茶をしたんだねぇ、そんなに全身傷だらけにして」
「婆ちゃんはすごいよ、最低限の動きはできるけどまだ全然上手くいかないや」
生涯をかけて作り上げたものだ。
そう簡単に極められるようなものではない。
仮とはいえその極地に手をかけたカリスが異常なのである。
「カリス、アンタが手にしたその力は自分を助けるためにあるものであると同時に、大切なものを守るためにある。力の使いかたを間違ってはいけないよ」
過ぎた力は破滅を招く。
ましてや親に捨てられた捨て子であり、そしてこの世界に生まれることを否定された忌子であるカリスだ。
愛情をこめて何とかすくすくと育つように育てたつもりのウィンターだったが、目の前の可愛らしい子供が将来どうなるかはこの先を生きれない自分では分からない。
だからせめて言葉を贈ることでウィンターはこの小さな子供がどうか幸福に生きてくれるようにと願う。
「うん、婆ちゃんの言う事だからきっと守るよ」
「良い子だ。お前さんを拾えたこと、それが私の人生で一番の幸福だよ。二番目はそこの馬鹿弟子に教えられたことだね」
「師匠にそう言ってもらえるなんてな」
「あんたに師匠って呼ばれるなんていついらいかねぇ。別に今すぐ死ぬってわけじゃないんだ。さぁゆっくりと休んでからカリスの技を私に見せておくれ」
自分の頑張りを見てくれること、そしてそれがきっとウィンターに技を見せる最後の機会になるであろうこと。
全てを理解しながらカリスは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
そして次の日の朝。
ウィンターは春の訪れを知らせるあたたかな風と共に、この世界を去った。
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