第2話 いずれ

 カリスがウィンターに拾われて既に7年もの月日が経っていた。

 7年という年は人を赤子から子供にまで成長させ、カリスは無事にスクスクと育っていた。

 赤子の頃に全身を覆っていた異形の姿は一才になる頃には全てなりを潜め、今はどこからどう見ても年相応の幼い子供である。

 赤子の頃から予想していたよりはいくばくか整った顔立ちになってはいるが、それだって別に成長の範疇に収まる程度のものだ。


「今日の薪割り終わったよ」


 自分の身の丈ほどの大きな斧を担ぎながら、片手には束にした薪を手に持ってカリスは窓際で茶を飲んでいるウィンターにそう言葉を投げかける。


「お疲れさん、いつも言ってるけど足でドアを開け閉めするのはやめな。行儀が悪い」

「そうは言うけど婆ちゃん、見ての通り両手塞がってるから足で開けないと効率悪いじゃん」

「そうやって横着するのが良くないって言ってるのさね。何事も丁寧に、そうも教えただろ」


 ウィンターの言葉をカリスはよく理解できない。

 彼女よりもはるかに長い間赤子として生きてきたカリスの価値観は、人のそれとは全く異なるものだ。

 文化も種族も違う母の腹の中に入っていたのだから当たり前だと言えるだろうが、それでも一応カリスはウィンターの言葉には従う。

 それが生きていく上で一番間違っていない事であり、理にかなった行動だと理解しているからだ。

 薪割りで汚れた手を洗うために蛇口を捻り冷たい水で手を洗えば、ウィンターも満足そうに頷いている。


「そう言えば婆ちゃん、今日ってこの前言ってた行商人が来る日?」

「もうそんな日付だったか。忘れてたよ、前は熱を出してまともに話もできてなかったが、私以外の人間と話す機会は貴重だからな。用事は後回しでいいから話をするんだよ」

「別に僕は婆ちゃん以外と話をしなくても大丈夫だよ?」

「そう言うもんじゃないよ。この世界に生まれ落ちてきたんだ、色んなことを経験して世界の広さを知ることも良いもんだよ」


 この世界のことをウィンターは積極的に教えたがる。

 初めてこの部屋に入ったときにはあまり物がなかったのに、いまや外の世界を知れるからと本や異国の道具で部屋の中は少し手狭にすらなっていた。

 そこまでしてなぜウィンターが自分に外の知識を与えたいのかカリスにしてみれば全く理解ができなかったが、小さいころからそうして育てられていればさすがに外の世界への興味もわく。

 昔を懐かしむようにして外を眺めるウィンターにカリスは純粋な興味から質問を投げかけた。


「婆ちゃんも昔はそうしてたのか?」

「そうだね。私も昔はそんな事をしていたよ、懐かしい」


 いつも自分と同じくらい食べるし外にでて走り回れば自分よりも足の速いウィンター、だがそんな彼女も全盛のころに比べれば動けなくなっているらしいとカリスは知っていた。

 早朝になれば口を開けば腰が痛いと言っているし、体調が悪い日は今日のようにカリスがまき割などの力仕事をすることも多い。

 また外を走り周りたいのだろうかとそんなことを思っていると、ふと玄関の方からドアノッカーの音がする。

 先ほど話をしていた行商人の人が来たのだろう。


「ウィンター、いるか?」


低い声だ。

ウィンターのしわがれた声とは違い、元からその声の低さなのだろう。

すりガラス越しに映る体の大きさからして身長は180を優に超えていそうだ。


「代わりに俺が開けるよ」

「わるいね」


ベットから起き上がろうとしていたウィンターの代わりに駆け足でドアの方に寄っていき、鍵を外してカリスは男を家の中に招き入れる。


「おはようウィンター。この子供は?」


「わたしの新しい子供だよ。久しぶりだねグウェイン」


「初めましてカリスという。よろしく」


ウィンターから初対面の相手にはそうしろと言われていた通りに頭を下げて挨拶をしたカリス。

ついでに気が付かれないように目の前の人生で初めて見る成人男性を観察してみる。

がっしりとした体に低い重心。

目つきは森でよく見かける生き物たちよりもさらにいっそう鋭く、肉食の獣のような威圧感が全身から漂っている。

こちらを警戒しているような雰囲気はないが、それでも何かこちら側から仕掛ければ反撃されるという確信を感じさせるには十分な立ち居振る舞い。

若いころのカリスはきっとこういった雰囲気だったのだろう。

男性にしか生えないというあごひげを触りながらカリスの視線を鬱陶しそうにしているあたりどうやら子供はあまり好きなようではないが。


「話し相手がわしみたいな婆さんしか居ないから本で話し方を覚えさせたせいでちょっと口調が悪いが、まぁ勘弁してやってくれ」


「カリス君か、元気そうないい子だな」


「今日も朝から10個も薪割ってきたんだからな、婆ちゃんは俺の事働かせすぎだよ」


「これくらいで文句言うんじゃないよ。大人の話をするんだからお前は外で釣りでもしてな」


「そんなこと言うなら釣れても食わせてやんないもんねー」


悪態を付きながら部屋を出ていったカリスを目線で見送った二人は、何かを示し合わせたわけでもなく向かい合わせの椅子に座る。

その姿は先ほどまでのカリスと二人でいたときよりもなぜかピッタリとした印象を与え、二人が一緒に居た時間の長さを感じさせた。


「それにしてもお前さんが子供とはね」

「何だい。何か文句でもあるっていうのかい」

「人を嫌っているからわざわざこんな辺境の土地に住んでいるっていうのに、子供を拾ったら珍しいと思うのはそうおかしな話じゃないだろう」

「……別に人が嫌いってわけじゃないさ。騙し合いしようとする精魂が嫌いなだけだよ」


過去に何かあったのだろう。

思い出したように語るカリスの顔は隠そうとしてはいるが嫌悪感があらわになっている。


「なら人が嫌いってことだな。いつも通り生活必需品は表において置いたぞ、手紙通り量も多めにしてあるし布も持ってきてある」

「助かるよ。街まで買い物もこの年じゃ難しいからね」

「言ってるうちは大丈夫だろ。まぁ世界を脅かす魔女様も歳には勝てないってことか」

「そりゃねぇ、一体何年生きてきたと思ってるんだい」


部屋の中に置かれた品々の中には、毎年しっかりと手入れをして掃除もしているのに壊れかけていたり埃が取れなくなってしまったものもある。

過ぎた時代を感じさせるには十分な品々、ましてや目の前に座って喋っている男こそウィンターにとっては過ぎ去った日々を最も実感させる存在だ。 


「……あの子供、どうするんだ?」

「アンタに任せるよ」

「おいおい冗談きついぜ、さすがに子守はいくらアンタの頼みでも勘弁だね。何のために独り身人生謳歌してると思ってんだ」

「そうは言っても私なんて持ってあと5年、こんな辺鄙なところで子供一人。どうなるかなんて分かってるようなもんだろ」

「……近くの街までなら、連れてってやってもいい。だけど流石にそっからの面倒は見切れないぞ、自分の人生くらい自分でどうにかしてもらわないと困る」

「苦労かけるね」


とてもではないが目の前の人間が死ぬとは思えなかったグウェイン。

だが彼女が生き物の死ぬ時を間違えたことはない。

師として教えを仰ぎ、長い時を共にした人物が死ぬという事実は数々の大事な人間の死を経験してきたグウェインとしてもはいそうですかといえるものではなく、顔を突き合わせ続けることが耐えられなくて家から出た。

すると扉の近くで膝を抱えて座っているカリスの姿があり、グウェインはなんとなくカリスに声をかける。


「聞いてたのか」

「ウィンター、死ぬのか?」

「そりゃああんな化け物婆さんでも人だからな、寿命には逆らえないさ」

「そっか。婆ちゃんもあそこに行くんだな」


あそこというのが何を指すのか。

数々のを経験してきたカリスは死後の世界を知っている。

死を恐れないカリスだが、他社が死ぬことに関しては不快感を感じずにはいられなかった。

それは寂しさであり、悲しみであったが本人はその感情をあまり理解できていない。

だからきっとその感情を理解しているのだろうグウェインにカリスは疑問を投げかけた。


「なぁ、婆ちゃんとグゥエインさんはどんな関係なんだ?」

「どんなって言われても弟子だよ。お前こそどんな関係なんだよ、あの婆さんに旦那がいるなんて聞いたことないぞ」

「俺は川に投げられたのを拾われた、捨て子だ」

「……悪かったな」

「別にいいよ、気にしてないし」


母が自分を捨てたことをカリスは言葉通り全く気にしていなかった。

母という存在が自分を捨てることが理解できず川に流されたときはあまりの衝撃から長い間混乱に陥っていたが、人として教育を受けてきたいまであれば母が自分を捨てた理由というのは理解が出来る。

可愛い子供が生まれてくると思ってみてみれば出てきたのが様々な生物の間の子の様な異物であれば、恐怖心からそのような行動に出てしまうというのもおかしな話では無いと思って居たからだ。


「お前外の世界でどうするつもりだ? 一人で生きていけんのか?」

「分かんないよ、一人になったことなんてないから」

「それもそうか」


父母に頼れないとなればウィンターが死ねばカリスはこの世界に一人きりだ。

人を嫌う辺鄙な婆さんが住んでいるだけの事はあり、この土地は子供が一人で生きていくにはかなり厳しいと言わざるを得ない。

自分が置かれている状況を理解しているのか。

まだ年端もいかない子供に自分の状況を理解しろ、そういう方が難しいだろう。

だが何もしなければ目のまえの少年がどうなるかは長い間外の世界で生きてきたグウェインからしてみれば火を見るよりも明らかだった。

子供は嫌いだが、それでも見殺しにしたいわけではない。


「お前、俺の弟子になるか?」


△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽


「随分長いこと話してたんだね、あの子はなんて言ってた?」


時刻は夕方。

再び外からカリスが薪を切る様な音が聞こえている室内で、お茶を飲みながら優雅に外を眺めているウィンターがそんな事を口にした。

静かな室内の中では物音一つがやけに耳に残る。

自分の飲み物の用意をしながら、グウェインは問いかけに対して答えた。


「一人は寂しいってさ」

「そうかい。そりゃあ私も長生きしないといけないね」

「……あの子、俺が生きる術を教えてやってもいいか? アンタに教えてもらった上等なもんは全部汚しちまった。こんな俺がそんな事を言うのは腹立たしいかもしれないが、少なくとも道端でのたれ死ぬような事はしなくて済むはずだ」


かつてウィンターが自分に教えてくれた生きるための技。

それを今度はウィンターが子供と呼ぶあの小さな少年に教えようというのだ。

勝手にこの家を飛び出て、挙句の果てには完成されていた技を自分の手で汚してしまった。

そんな自分だが、あの少年くらいは助けて、自分が受けた恩をほんの少しでも返したい。


「私並みに人嫌いのアンタが珍しいね。情でも湧いたかい?」

「アンタが俺を拾ってくれた時のことを思い出しただけだよ」


こうしてグウェインによるこの世界でカリスが生きていくための修行が始まるのであった。

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