十九 優雅なお茶会 壱

 先帝――儒帝じゅていの時代は、後宮で様々な宴が催された。人工池を造り、その周りには様々無草花を植えて、舟を浮かべて遊覧。それに飽きると、人工池の上に浮島の如く四阿あずまやを建て、夏季に夕涼み。または大きな舞台を造り、舞や芸が得意な妃嬪達に競い合わせるように披露させたりと、他にも様々な建造物が無作為に建てられた。


 その幾つかは維持費が掛かるからという理由で剋帝陛下の言葉一つで取り壊されてしまったわけだが、人工池だけは周皇后が気に入っていたという理由で残されて、今も手入れがされている。

 四阿へ向かう朱塗りの橋を歩くだけでも、十分に涼やかな風が吹いて、夏であれば景色と共に爽涼な時間が味わえた。しかし、秋頃ともなると風が吹く日というのは寒さが身に染みる。

 その日、朝方は曇天と生憎の空模様。とある茶会の準備をしていた女官は中止だろうか、と考えながらも着々と準備に勤しんでいた。ひゅう――と風が吹く。冷気を纏った風に時折肌を摩っては、なんとか茶会の昼頃には太陽が顔を覗かせてくれるようにと願いながら手を動かす。

 別に、主人の為に茶会の成功を願っているわけではなく、寒さを嫌った招待された妃嬪達が茶会に来ないとあっては、主人が居宮で荒れ狂うだろう。その時に、ただの女官が目をつけられても抵抗する術はないのだ。

 いそいそと同じく準備に取り掛かる同僚も、寒さで悴む手を擦り合わせている。時折、不安と寒さで顰めた顔を見合わせては、雲よ消えろと胸中で願っていた。

 

 

 その願いが聞き届けられたかどうかは判らないが、定刻の――日昳にってつ(十四時頃)の鐘がなる頃には灰色雲は姿を消して、暖かな日差しが展望台へと降り注いでいた。


 

 

 その展望台に、四人の妃嬪が集まった。


 正確には四人しか集まらなかった、だろう。正客である上座の席は空であり、そこから望む席は互いを見合わせるような卓の配置となっている。後宮の主たる女が不在とあって、妃嬪達はこれ見よがしに目は合わせない。

 四人の妃嬪達に目立った争いはない。普段は腹を探り合う程度の茶会はする。これと言って実りはないが、わざわざ敵にするよりも同じ男の妻として、まあそれなりの関係でいようという心持ち程度のものだ。

 今までは、それで良かった。皇帝陛下はご不調が続き、房事に至る程の体力が無いのだと自身を言い聞かせれば誰も敵ですらなかった。

 しかし体調が回復した、と報告を受けたのにも関わらず、皇帝陛下は後宮へと訪れない。それどころか、妖しい女道士を皇帝宮(耀光宮)へと招いて密会していると言う噂まである。

 はっきりいえば、妻としての立場である妃嬪達にとって、由々しき事態であった。



 


 そう貴嬪きひんは、澄ました顔をて茶を飲む妃嬪達の顔を順に眺めては、茶を啜った。たんしゅうとは対極の位置にあるらん州。その諸侯の娘という立場、蒼尚書令の妹という立場、与えられた貴嬪という立場。現状、後宮で蒼貴嬪より上の位に君臨しているのは、周皇后くらいである。しかし、周皇后の為に用意された席は空のままで、蒼貴嬪は扇子片手にゆったりと寛いていた。


 高みの見物を決め込んでいるというのもあるが、普段目にする事のない幼顔の敵意らしき目線が、西からひしひしと届くので、殊更に遊んでいるのもあった。

 そんな蒼貴嬪の視線が、西から北へと移る。ちょうど、真正面に淑やかに座る女――しょう貴人きじんだ。白くしなやかで繊細な指先が、両の手でそっと茶器を支えて静かに音もなく啜る。その姿だけでも十分に優雅な居住いである。

 蒼貴嬪とて、自分の容姿には自信がある。けれども、冬の女神と呼称される容貌と器量には、一目見て及ばないと実感した。


 ――朱貴嬪も相当な美貌の持ち主だったと言われているけれど……それを、で燻らせておくなんて


 勿体無い。喉を通りかかった言葉に、蒼貴嬪は目元まで扇子で覆う。丹諸侯の孫であり、皇帝の従兄妹。いくらでも利用しがいのある身分が、皇帝に取り入る事もできずに茶を啜っている事を鑑みれば、そんな発想にもなるかも知れない。

 実際、蒼貴嬪が後宮に在るのも、政治的理由だ。皇帝の側室という立場は利用し甲斐があり、蒼家が娘を後宮という魔窟へ放り込む事に躊躇の無かったからこそ、蒼貴嬪は後宮にて暮らしているのだ。


 そういえば、と蒼貴嬪の視線が東――美人びじんへと移る。彼女もまた、家長が無理やり後宮へと押し込んだ経緯があった。容姿は整っているが、茶器を支える手はお世辞にも綺麗とは言い難い。剣を握っていたであろうその手は、骨張っていて傷も目立つ。袖や襟で隠してはいるが、今も鍛えているであろう筋張った身体は武官である姿を連想させた。

 

 聞けば、本来は呂美人の姉が後宮に入る予定であったのだが、どうにも先帝の噂の先入観で心を病んでしまったのだとか。それで、呂家は娘を後宮に入れる機会をむざむざ手放せるかと言ったらそうでもなく、武官として皇軍に勤めていたもう一人の娘――呂美人を無理やり呼び戻して後宮に入れたそうだ。


 後宮にいる事――皇帝の妻など望んでいない。今も心ここにあらずと言った態度で、目線は茶器を見つめたまま動かない。が、蒼貴嬪の視線に気がつくと流し目で陰鬱な瞳だけを寄越したかと思えば、直ぐに視線は茶器へと落とされていた。


 蒼貴嬪の興味は、再びはん宮人きゅうじんへと戻った。矢先、たまたま目がかち合う。そのまま逸らしてやり過ごそうとする範宮人に対して、蒼貴嬪はにこりと微笑んで見せるが、どうやら範宮人は微笑み一つで機嫌を損ねたらしい。今にも嫌悪感のままに愛らしい顔を歪めてしまいそうな毒気を醸し出して、厭悪が眼光へと宿る。が、自らの位と立ち位置を理解した佇まいは揺るがず、蒼貴嬪同様に扇子で口元を覆い、わざとらしく目を細めては微笑み返す程度の余裕はあるようだった。

  

 蒼貴嬪とて家という枠から完全に逃れられはしない。しかし、範宮人と違って、蒼貴嬪に現状でこれと言って不満は無いのである。その違いが蒼貴嬪の余裕の正体なのだが、理由を知らない範宮人からすれば悠々とした様が奢っているように見えるのだろう。


 余裕を宿した蒼貴嬪の目は範宮人を哀れに思う心はなく、家という重圧に苦しむ女の姿を優雅に楽しんでいる。その余裕の様が、範宮人にとって嫌味にも見えるのか。堪えてはいるが、今にも手にした茶器を蒼貴嬪へと投げつけてしまうのではとすら疑わしい程に、力の籠った手の中で茶器が強く握られていた。

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