十八 姚家 弍

「それで、現状で問題はあるか」


 流麗は思案するように姿勢を正したまま視線を落として、頭の中で情報を整理しているのか眼球だけが動く。そうして落としていた視線が当主に戻ると、流麗の唇が動いた。


「先帝陛下の崩御の頃から、剋帝陛下の在位数年まで私は皇都におりませんでした。何か、情報があれば」


 流麗の問いに、今度は当主が思案する番だった。先帝の崩御がそう古い情報ではないのだが、当時の混乱めいた状況を整理する為か、しばし腕を組み瞼を伏せて考え込む仕草を見せる。

 どれだけ考え込むのだろうか、流麗がじっと待っていると瞼を伏せたまま、当主は音も無く息を吸い込んで話し始めた。


「先帝の崩御自体はあまりにも突然だったのもあるが、その後に皇太子殿下と皇后陛下のお二人も病死という話が広まった程度しか知れ渡っていない。皇子・公主・妃嬪方も同様の病だった――私が知っているのはその程度だ。後は、そうだな。陛下の母君であらせられたしゅ貴嬪きひんの死だけは間を置いていたな。陛下が即位して半年だったか。その頃には病は終息した、と言われていた頃だった……確か、病死とは報じられず些細な風邪で亡くなったと耳にしたな」


 当時の状況をつぶさに語る姿に、やはり抑揚はない。だが、薄く開かれた瞼の中で瞳は揺れて、悔いが残されているようにも見えた。


「それと、あとは陛下の御子――しょう殿下。確か、陛下が十六の頃にお生まれになり、二つの年の頃……確か、亡くなられたのは四年前だったか」

「四年前……」


 それまで黙って耳を傾けていた流麗だったが、資料では気にしていなかった年数を言葉で耳にして、ふと思い出す。


『……いつ頃からこの様な状況に?』

『余が物心ついた頃は、黒い靄だけであったが数年前から徐々に蟲が現れ始めた。そうだな、四年ほど前から……だろうか』


 流麗は思わず、もう一度「四年前、」と口にする。そうして何かを得心したかのように、当主と目線を合わせて問いかける。


「先帝の頃に仕えていた、仙朴せんぱく道観の道士と巫覡が殺された理由はご存知ですか?」


 流麗が唯一調べていなかった――いや、調べる事の出来なかった死だった。当時の記録を調べたところで、恐らく不当な理由だけが確かであり、詳細については誰も知らないだろう。


「儒帝陛下の不況を買った……程度だ。だが、当時の穢れ蔓延る状況を鑑みれば、それとなく予測はつくな」


 当主の開かれた目線が変わらず無情のまま流麗を見つめる。だがそれが、より事の残酷さを浮き立たせているようでもあった。

  

「恐らく、先帝陛下は見えてはいなかった……。見えてはいない者に、真実を見せる事も、理解させる事も容易では無い。これはあくまで推察に過ぎないが」


 当主の言わんとしている事は、流麗も得心がいった。


「当時の道士は力のある者だと?」

「仙朴道観は今でこそ皇宮と断絶しているが、当時は真直であった。派遣されていた道士・巫覡共に実力を加味されていたと考えるのが妥当だろう」


 当主の言葉が終わり、流麗は途端に肩の力が抜けて顔も緩んだ。それまで、腑に落ちなかったがすとんと収まったようで、当主の顔色に合わせていたはずの表情は晴れて穏やかな様相だった。


「御当主の命令通り帰ってきて正解でした。全てが繋がった気がします」

「それは何よりだ。犀苓さいれいや他の者は私が牽制しておくから、お前は気にせずに帰ってきなさい。ここはお前の家でもある」


 流麗は苦々しい笑みを浮かべる。口を噤んではいたが、一族によく思われていない事だけは承知していたからこそ、やはり早々帰って来たい場所では無いという意思表示なのだろう。


「お前は私の娘だ、たまには顔を見せてくれ」


 変わらず抑揚のない声が寂しげにポツリと呟いた。それがあまりにも申し訳なく思えてか、流麗は眉尻を下げ、殊更弱々しく「……善処します」と珍しく躊躇いながらも呟いた。



 ◇


 薄暗い道中、流麗は地面ばかり見て歩いた。

 思考は全て整った。それでも、憶測の域を出たわけではないが、解が導き出せたような気分にはなっていた。

 あとは夜を待つばかり――と言いたが、用事は思いの外早く終わり、まだ昼餉の頃合いだった。

 周りからは何やら鼻腔をくすぐる匂いが立ち始め、空腹感をこれでもかと促してくる。そこで丁度目に入ったのは、一件の大衆食堂。流麗が店を軽く覗くと、酒も提供している一般的な食堂のそれではあったが、麺料理を食べている客が見受けられる。スープが無く、濃い醤の味付けの挽肉が乗せられたそれ。流麗それが目に入った瞬間に、何も迷う事なく空いた卓に座って、目録を見る事もなく店主に向かって注文を投げかけていた。


 漸く卓にお目当ての料理が卓の上に置かれて、箸を手にしたその矢先。丁度空いた流麗の向かいの席に、一人の男が座った。

 流麗は軽く視線を流すも、黒に程近い濃紺の下級官吏の官服かんぷく姿だけを確認すると直様に視線を戻して麺へと箸を運ぶ。


「姚流麗女士とお見受けする」


 目を逸らした事も昼餉を続ける姿も気にせずに話し始めた男は話し掛けても尚、箸を止めない流麗に対して暫し沈黙する。が、どうにも男も気にしない事にしたらしい。そのままの口振で、勝手に話を続けていた。


「貴女のおかげで陛下のご容体が改善されたとお聞きした。そこで、とある方が貴女とお話がしたいと。ご同行、願いたい」


 男の態度は流麗を位が低いと見くびる様子もなく誠実と言って良いだろう。しかし、皇帝を相手にした時ですら物怖じしない流麗は、男の態度に姿勢を改める事も無かった。

 満足げに麺を咀嚼して、ごくりと飲み込んだ口が一言。 


「それ、行かないと駄目ですか?」


 大胆不敵な言葉が、軽々と飛び出していた。

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