十一 消えない縁
「封印の後、
「……それで、
「恐らくですが。貴人に封じる術があるならば、その子が力を扱う術もあると考えた顓頊帝は三人を皇宮から逃し、隠れて援助を続けたそうです。それが、我が一族の始まり……ですね」
「……という事は、余とそなたは遠縁に当たるな」
「我々にも高貴なる姫家の血が流れいてるなどと……
遠縁とはいえ、安易に皇帝と親族であるなどと口にするものではない。特に、その皇帝本人の目の前でなど。
ただ、舜は流麗が嘘を述べているとは一切考えていなかった。
まだ出会って数日。「流麗が嘘をつくような人物には見えない」などという陳腐な言葉では事足りない。言うならば、因縁を感じていた。
「言っただろう、狭量ではないと……ただ、そなたの中には禍があるのか?」
「あります。そこらにいる禍蟲とは違い、少々特殊なものですが――姚家の女だけが、その力を受け継ぎ、扱う事が出来ます。禍を祓う術は後天的に身に付ける事は出来ますが、姚家の女だけは禍をこの身体に取り込む事が出来る。お陰で、我々の界隈では、姚家は
流麗は一息つくと、喉を潤すように酒を喉へと流し込んだ。会話の途絶えた夜は静まり返り、リーン――と鈴音にも似た虫の音だけが夜の闇の中に響いた。秋の夜のしらべに耳を澄ませる為か、その顔が横を向く。夜風で月光の輝きに照らされた濡羽色の髪が黒絹の如く滑らかに流れ、髪を抑える仕草一つでさえも、舜の心を騒つかせる。
――何故、流麗にだけ……
舜は騒がしい胸中が自分のものではないようだった。それまで、妻の誰一人に対しても生まれなかったもの、というのもあるだろう。
靄が晴れてようやく、舜は妃嬪達の顔をそれぞれ認識する事ができた。顔が見えるようになれば、自分の中の妻達に対する認識が変わるのではと疑念があった。
だが結果は、何も変わらなかった。
それまで殆ど人の顔など比べてこなかったものだから、横に並べたその顔を見ても、まあ美しいのだろう程度の感想しか浮かばない。
流麗が初めて仮面を外した時のような胸の高鳴りが、全くと言って良いほどに無かったのだ。
流麗の器量は、どの妃嬪と比べても遜色は無い。今も、月の精と見紛う程の美しさは、皇帝の御前だと言うのに涼しい顔をして夜の晩酌を楽しんでいる。下手な貴族よりも肝も据わって、そこがまた舜には好ましいものがあった。
その姿を見つめていると、横へと流れていた流麗の視線が正面へと戻る。
「どうか、されましたか?」
月明かりの所為か、小首を傾げ微笑む姿は妖艶だ。その姿からは、流麗がどういった生き方をしてきたのかを想像するのは難しい。しかし、過去に囚われている生き方を自分と重ねて、舜は新たな問いを口にしていた。
「……そなたは、今の生き方は苦ではないのか?」
「と、言いますと?」
「禍を継ぐのは女だけ、と言っただろう。であれば、女に生まれた時点で道は決められたも同然。反抗しようとは思わなかったのか。余が病にならねば、此処に来る事もなかったはずだ」
舜もまた、皇族という身分に生まれ、決められた道に生きている。今の生き方は至極当然と受け入れ、後継が自分しかいないと判じた時点で使命感に駆られたが故に人生を捧げて生きてきた。
まるで、流麗に問いかけているようで、自問しているような。流麗へと問いかけた言葉が世迷いごと感じながらも、飲み込みかけた言葉を止められなかった。
流麗は杯を両の手で抱えて、少しばかり首を傾ける。悩んでいる、というよりは言葉を選んでいるようで、うーんと珍しくも間を置く。が、それもそう経たずに流麗の口は動き始めた。
「……私は――そうですね。陛下だからこそ、でしょうか」
「どういう意味だ」
「陛下の様な聡明な方にお仕えできる事は、大変名誉な事です。それで十分です」
流麗に迷いはなかった。黒翡翠の瞳は変わらず真直に舜を見つめて、その輝きは眩しくもある。
ふと、流麗が立ち上がったかと思うと、卓を回り込んで舜の目の前に膝を突き首を垂れた。
「陛下。私は陛下をお守りする為に此処にきました。決して裏切らず、陛下の為ならば死をも厭いません」
宣言と共に、流麗は舜を見上げた。決意ある眼差しと声には、今この瞬間を切望していたように情熱が籠る。恐れを知らず、欲望を宿さず、自身が口にした言葉の重みを証明する瞳だ。
「何なりと、御用命を」
舜は意図せずに流麗が自分の手に入った気分だった。そう感じたと同時に、舜は自身の感情にようやく答えが出た気もした。ほんの少し手を伸ばせば、流麗が思いの儘になる事は間違いないだろう。されど、それでは先帝がやっていた事と何ら変わりない。
「では、今夜は
手を出す気はない。最初から、避雷針の役割として宮に招いただけだと自分に言い聞かせながら、しれっと言い放つ。そんな舜に対して、流麗は如何に受け取ったのか。ただ跪いたまま微笑んで見せた。
「仰せのままに」
ザアザア――と。木々を優しく撫ぜた秋の夜風が、再び二人の元へと金木犀の香りを届けていた。
◇◆◇◆◇
暗闇の麒麟宮。暗闇と言っても、今日は月が眩しく夜を見通すには良い夜だ。
周皇后は、月明かりに照らされた自室で一人長椅子に腰掛ける。
幽鬼が如く、生気を失った瞳は暗闇を宿しているかにように重い。だが、とある一点を見つめる眼差しは聖母の如く柔らかく、頬も緩んでいた。
その目線の先は、周皇后の腕の中。
しかし、腕の中には何もいない。
ただの丸まった布地が、さも
微睡へと誘うように、聖母の慈悲に満ちた子守唄を歌い、優しく腕の中のものをあやす姿は、母親そのものだった。
「……
優しく、ゆっくりと籠の中へと下ろす。
良い子、良い子、と胸をとんとんと叩いて、深い深い眠りへと誘っていく。
何も存在などしていないのに。
籠の中の
「……
周皇后は顔を上げて、自身を見つめていた瞳を思い出す。白い仮面の向こうの、眼差しを――
「あれは、消さなければ」
不穏な言葉は、流れる風の中へと消えていった。
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