六 女の園
華美絢爛なる後宮。
入る事の許された男は、皇帝のみ。
外界と隔絶された世界は一見華やかで、見目麗しい女達の園と羨望の眼差しを向ける者もあるだろう。女官とて皇帝に見初められたなら、位を賜り地位を得る事も可能である。
今でこそ後宮は人が減り、今上皇帝である
妃嬪の殆どは
その状況が面白くなかったのは、当時儒帝の本妻だった
そうして、次々と孕む女達。
その世界に住み慣れた舜には、華美絢爛などという言葉は浮かばない。
悍ましい。ただその一言に尽きた。
怨讐渦巻くとはよく言ったもので、今も後宮は恐ろしいまでの禍々しさが蔓延って煤けた様に黒々とした色が全てを埋めていた。
宮、庭園、それこそ女達の煌びやかな衣まで。
その裾の下には幽鬼が呻いて、縋りつこうと手を伸ばす。
まだ後宮の入り口である
皇后の宮、
その宮を囲うように更に小さな宮が点在する。その宮の殆どが、今は使われていない。
「此処は……」
舜の横に並び続いて後宮へと足を踏み入れた流麗は言葉を失っていた。陛下の横に並ぶなど畏れ多いと最初は断っていたのだが、いちいち後ろ背後に顔を向けるのが面倒だ、と舜が一言発すれば大人しく従った。
煤けて黒く染まった後宮は、耳が痛い迄に静寂に覆われていた。広大な敷地の中で暮らす人々は少ない。女官や下女は妃嬪達に不自由の無い程度の必要最低限で構成されているのもあって、殊更に閑散として見える。
今も皇帝に向い
まあ、それは生きている人間の話だが。
当然、流麗も舜と同じ景色が見えているのだろう。流麗が目を向けている先――虚な幽鬼がとある宮の壁に縋り付いて咽び泣いている姿を切なげに捉えていた。
「先帝の時代、多くの女も子供も死んだ。その殆どが趙皇后による毒殺とも考えられているが、実際はよく分かっていない。何せ、病も蔓延していてな。医者の手も足りなかった」
「儒帝陛下は、事態をどのように」
「父は誰がどの様な死に方をしようが歯牙にもかけなかった。実の子が死んだ時でさえもな」
舜の目は、徐に後宮の北方にあたる宮へと向いた。その目線の先みある宮――玄武宮は、今でこそ蕭貴人が住まう居宮であるが、誰かに想い焦がれていると言う目つきでは無く、誰かの死を悼んでいる様に儚い。その姿で流麗も何か思い当たるものがあったのかそっと口を開く。
「陛下の母君は――」
「
舜は、小さく嘆息する。
「そなたは、現状をどう見る」
「陛下、此処が根源と見て間違い無いでしょう。多くの人々の怨讐が重なり合ってこの地を穢れで埋め尽くし、幽鬼を現世に留まらせております。更には幽鬼が新たな穢れを集めて禍を呼んでいる状態です。此処にお住まいの皇后陛下や妃嬪達もいずれは影響を受ける恐れがあり、危険かと。一度、浄化の儀式が必要です」
幽鬼を浄化させるならば巫覡の祈りを。鬼や邪を祓うならば道士が必要となる。流麗も巫覡や道士の真似事は出来るが、規模が大き過ぎる故に人手がいると言った。
「姫家と繋がりのあった
「道観等は私が手配致します」
二人はそのまま妃嬪達の住む宮を遠目にも幽鬼達が彷徨う姿を横目に進んだ。戦地にでも迷い込んだかのように、多様に溢れる魂達。怨讐と共に悲しみに暮れ打ちひしがれる姿は心が傷む。話では死んだのは妃嬪や皇子や公主とされているが、何の関係もない女官や下女も巻き込まれたと考えても良いだろう。それ程までに、怨みや遺恨を抱えた魂がそこら中を這いつくばっていた。
「急ぎましょう」
流麗は落ち着き払ってはいたが、どこか焦燥も見えた。それは姚家として看過できぬ状況という事なのか、使命感にも似た重積に圧迫されているよう。
「……そなた、」
と、舜が流麗に声を掛けようとした時だった。
「陛下、この様な所で如何されましたか」
背後より、艶めかしい女の声が舜に突き刺さった。流麗同様に舜を恐れないその声は、威圧を含むが冬の川よりも冷たい。振り返った瞬間の女は顔を歪ませ強張っていた。
喪に服したように黒い衣を纏い、
「
他人行儀に己の妻の名を呼ぶ舜の目は憮然として落ち着いていた。互いに一間(二
「陛下が珍しく昼間に皇宮を訪れたと聞き及びまして。それも、女を引き連れて、。面白そうだったので、その女の顔を拝見に来たのですよ。ですが……仮面をつけていますね。無礼では?」
周皇后の声色は冷め切って、とても夫婦を思わせる会話ではない。
「余が許可した。この者は姚流麗と言って、姫家に仕える者だ。余が直々に仕事を頼んでいるところでな、もう暫く皇宮を見て回るつもりだが……目障りなら日を改めよう」
「陛下を疎む者などありません。ですが、誤解を生む真似は控えるべきかと。新たな妃嬪を迎えるやもと、誰かが勘違いするかも知れません。事を荒立てたいなら別ですが」
「今回ばかりは、護衛にも聴かれたくなかったのでな……気をつけよう」
舜の言葉をどう受け取ったのか。周皇后は、大して興味もなさそうに「そうですか」と零して、舜に背を向ける。
周皇后、それに続く侍女や女官達は軒並み周皇后と同じく黒々と染まっていた。その静けさは葬儀の列でも成しているようで、去り際の空気まで、ずんと重くした。
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