七 浄化の儀 壱
それから二日の後――秋晴れの雲一つ無い空模様で、実に朝日が眩しいとすら感じる朝一番の事だった。
流麗が手配した道士や
突如として現れた光景は、まさに異様。何せ皇宮に道教に身を染める者が現れるといえば、葬儀の時程度であったからだ。それも、いつもの顔馴染みの寺院の者の姿はなく、全てが新参者で構成されている。
しかも、顔まで隠しているものだから尚の事。
皇宮へ震撼を呼ぶ……とまではいかないのものの、疑心を生むには十分であった。
何か、あったのだと。
「陛下、事前の告知もなく今朝の騒ぎは一体」
その日の朝議の場で最初に玉座に向かって声を上げたのは、皇帝の一番側に侍る
官吏達は整然と玉座にある皇帝を前に座すが、戸惑いを隠せず困惑を浮かべた顔ばかりが並んでいた。その中でも比較的に落ち着いて口を開いたのが、風左丞相だ。厳しい目つきはいつもと変わらずと言ったところ。白髪がちらつき始めた厳粛な面持ちで、今も背筋の伸びた姿勢のまま風左丞相は舜へと強気の目線を向けていた。
「巫覡達による鎮魂の儀を執り行う」
「では道士は?
百鬼や幽鬼は時に力を持つ。その力の強さが故に、人の目に映ることもある。のだが、今回ばかりは、そう言った報告もない。誰も
「先日、陛下が女道士を伴って後宮を歩いていた事も既に噂になっております。
「隋徳は余を想って、余の病を治す者を見つけてきただけだ。謀ってなどおらん。お陰で女が来て以来身体が軽い」
風左丞相の発言など、舜は日常茶飯事程度に躱わす。
実際に身体は軽い。ただ、舜の言葉には期待をもたせてしまうものも含まれていた。
「では、陛下。お身体はもう……」
と、風左丞相とは対極の位置から期待に満ちた声を上げたのは、風左丞相と同じ歳の頃だが、恰幅の良さが目立つ男――周皇后の父親でもある周
真面目な男ではあるのだが、少々欲深な部分が目立つのが玉に瑕である。皇族と外戚になった今、周右丞相の地位は確固たるものだ。が、
「余の不調は皆、耳にしていよう。完全では無いが、余に治療を施したのが、その女――姚流麗だ。八代前の皇帝
既に流麗を信じきっている舜は己が言葉で流麗は信頼できると語る。
されど、左丞相を含む多くの官吏は未だ納得はせずに舜に疑いの眼差しを向けたままだった。
「信用に値する名分はある……と。その姚流麗の言葉のまま、あれだけの道士や巫覡を呼び寄せた事と、陛下の御身に一体何の関係が御座いましょうか」
そう、道士・巫覡を呼ぶとなると金がかかる。恐らく、後ほど寄付をせびられるであろう事は目に見えている。
その名分が官吏達には存在しない。単純に舜が詐欺にあっている可能性をそれとなく示唆していた。かと言って、舜も己の能力を軽はずみに話すつもりはない。であれば、別の理屈を捏ねる必要がある。
「我が父、
舜は虚実
『多くの者が死んで、自分を呪っている』
遠回しではあったが、その言葉に異を唱える者は一人としていなかった。
実際に舜の病は隋徳では治せずに、年々、舜が不調を訴える日は増えていたのも事実。呪いの恐ろしさを身を持って実感した事がある者は少ないだろう。だが、その後の朝議で道士や巫覡といった言葉が出る事も、姚家という言葉もなく、いつも通りの平静としたまま朝議は終わりを迎えた。
ただ、疑心だけは残したまま。
◇◆◇◆◇
後宮にも異様な景色は広がっていた。
仰々しく、祭壇の上には供物が並び、香が焚かれる。
そして、祭壇の前に集められたのは後宮に暮らす者達。
周皇后を筆頭として、四人の妃嬪が並ぶ。
青味がある髪色を持ち、柔和な容姿で
五人の麗人が一堂に会して並ぶ姿は珍しく、それもまた異様な光景であった。
その後ろに控える、侍女や女官や下女の誰もが口を閉ざす。
牽制の如く流麗を睨む者もあれば、無関心の如く目を閉じて待つ者もある。薄ら寒い空気を前に、下手に口を開けない。
だが、一堂が揃えて心待ちにしている事が一つだけあった。
皆、関心があるのは噂の女、姚流麗である。白い面をつけた女となると、道士の中で一等目立っていた。
皇帝が贔屓をしている妃嬪はいない。更に、皇后に関しては殆ど顔すら合わせていないのが現状だ。後宮は舜の取り計らいもあって平穏そのもので、妃嬪達の目立った争いもない為に、
混乱という程ではないが、何か新たな変化を望んでいる者も少なからずいる。
その何か――値踏みするかの如く、ちくちくとした視線があちらこちらから流麗に突き刺さる。特に、妃嬪の中でも
二日前、二人は並んで……しかも何時間と時を共にしたのだ。何をしていたとも知れず、護衛も侍中も無しにだ。妃嬪ですら、そのような状況はあり得ないだろう。しかも、当の本人が何の気無しに堂々と目の前に現れたのだから、
重くなるばかりの状況を面白がるものもいれば、空気に飲まれそうになるものも出る。思惑ばかりが募り、空気が目に見えて澱んでしまいそうな状況だった。
だがそれも、一人の男が姿を現した瞬間に空気はがらりと変わった。
一堂の視線が皇帝である舜の姿を捉えたかと思えば、言葉もなく頭を垂れて揖礼の姿を見せる。それは、道士や巫覡達も同じで、畏まる姿に違和感はない。
勿論流麗も、深く深く頭を垂れた。
舜は揖礼する一堂を見渡すと、漂う空気など微塵も気にもせず、最初に声を掛けたのは五人いる妻の誰でもなく、流麗だった。
「姚
月影の門の前に用意された祭壇の側で、頭目と思しき道士の横に並んで待機していた流麗は目の前で止まった舜の声に顔を上げずに、「滞りなく」とだけ答えた。
舜は「そうか」、と穏やかでいて流麗に対して一切の疑念のない声で返す。舜の目線は再度、後宮の方へと向いた。後宮の総勢、二百人あまりの人員がそこで頭を下げたまま舜の言葉を待っていた。
「今のままでは儀式は始められぬだろう。皆顔をあげて良い」
舜の言葉に迷いなく、頭を上げたのは皇后や妃嬪達だった。次いで、侍女や女官達が妃嬪達に倣う。そして、揖礼のままでは事を進められない道士や巫覡達。最後に、下女が恐る恐るといった様子で、縮こまりながらも皇帝を見据えていた。
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