エピローグ:英雄サイラスの余生

のゆ

エピローグ

 陰鬱な空に、ぎゃあぎゃあと鳴きわめく海鳥。

 石積みの柵が連なる緑の丘陵を、濃い潮風が吹き抜けていく。

(とんでもないド田舎だ。なんで英雄サイラスはこんなところに隠居したのか……)

 海岸沿いの街道に馬を走らせながら、男はうんざりと辺りを見回した。



 かのダストヒルの戦いから半年。長きに渡る内乱は終結し、インリヴァーの血脈による新王朝が樹立した。

 インリヴァー家を勝利に導いた立役者、英雄サイラスには、ありとあらゆる地位の打診や縁談が舞い込んだ。

 平民の出でありながら、学者あがりの天才軍師。年齢もまだ二十代後半で、容色に恵まれ、出会った人に好感を抱かせる魅力の持ち主である。

 特に国王は彼を手元に置きたがり、美姫と名高い王妹との縁談を進めようとしていた。


 だが、サイラスはそれらを固辞し、大学に近いこの僻地を望んだ。

 妻には、学生時代から懇ろだったという町娘を選んだ。確かにサイラスと恋人の熱愛ぶりは有名で、彼は戦場でも恋文を欠かすことはなかった。



(だからと言って、あれだけの功績を挙げながら、こんなショボい生活でいいのかねぇ)

 馬の歩みを緩めると、海岸で何やら作業をする住民たちと目が合った。漁民であろう、日焼けした屈強な体つきの男女が、こちらに軽く頭を下げる。

 何をしているかと思えば、不気味な緑の物体を広げ……海藻を干しているらしい。


 この辺りの文化では、たしか海藻を食するのだ。

 サイラスの家で出てきたらどうしよう。男は身震いした。



 サイラスの家は、道中見てきた家々よりは大きいものの、都市にあると「邸宅」と呼べるかどうかは微妙な規模の屋敷だった。

(十分な恩賞は受け取っているだろうに、どこに貯めこんでいるのやら)


「やあ、王都から遠かったろう、ご苦労様!」

 男を出迎えたサイラスは、王都で軍師職だった頃と変わらぬ美丈夫ぶりだった。明るい金髪に華やかな雰囲気、朗々とした声。

 ここまでの道程に嫌気が差していた男も、サイラスに労われると悪い気はしないものだ。

 一方で、脇に控える彼の妻を見ると、先ほどの陰鬱な海岸の風景を思い出した。

 あのサイラスが大恋愛の末に娶ったというモードリンは、陰気をまとった痩せぎすの女で、お世辞にも美人だとは言えない。

 本日も来客があるのは分かっていたはずなのに、特に飾りたてる様子もないようだ。

 彼女は、はるばる王都から来た男に、引きつった笑顔と形ばかりの挨拶を示したあと、早々に自室に引っ込んでしまった。

「すまない。妻は体調が悪くてね」

 サイラスはそう言ったが、過去2回の来訪でも同じだったので、あの女は客の歓待をしたくないだけだろう。



 昼食を囲んでのサイラスとの歓談は、楽しいものだった。

 食事は簡素だが、この屋敷の酒はとびきりに美味い(ちなみに海藻は出なかった!)。

 彼は話し上手なので、男はたびたび、ここが鄙びた漁村の屋敷ではなく、宮廷の晩餐会場にいるような感覚に陥った。


「しかしサイラス、あのスタゲイン河の戦いの作戦はすごかったな。地形を活かして敵軍を追い込み、一気に火を放つ……。圧勝だったが、圧勝過ぎて少し怖かったよ。あんな残酷な作戦をさ……」

「作戦が残酷すぎる、とはよく言われたな」サイラスは苦笑いした。「まあ、俺は学者だ。机上で作戦を立てるから、残酷にもなれるのさ」


 サイラスは元々、この辺りの下級地主の生まれで、大学で才を発揮した。

 学生だった彼が記した戦術理論書が現王の目に留まり、取り立てられることになったのである。

 彼が威風堂々と作戦を説くと、聞く側はみな必ずうまくいくような気にさせられたし、事実、全てがうまくいった。

 

 男は、彼と戦場で過ごした日々が忘れられない。数々の奇抜な作戦は、聞いているだけで心が躍った。


 セージヒルの戦い。霧を味方につけて、相手軍の同士討ちを誘った。

 サウザンドマウンテンの戦い。火薬の凄さを思い知った戦いだ。サイラスはどうやって、最新の火器を最大活用する方法を思いついたのだろう?

 アプタウン台地の戦いでも、火薬だ。この時は、大きな音で相手軍を誘い出し、大勝利に至った。


 それから……


「だからサイラス。なんでお前がこんなところで隠居してるか不思議なんだ。お前はもっと、中央で活躍すべき人材なのに。

 王はお前を諦めてない。だから2か月に1度、こうして俺を派遣して、お前を勧誘している。

 お前は社交的だし、都会のあの雰囲気も嫌いじゃあないだろう?向こうにいる時は、俺とまあまあ楽しんだじゃないか」

 酔いに任せて、男は本題を切り出した。

「少し楽しんだから、都会はもう十分だよ」サイラスは首を横に振った。「王の誘いはありがたいが、平和な時代に軍師は要らんよ。それに、あの王は十分に優秀だが、仕えるには俺のような平民あがりには荷が重い。君みたいに根っからの貴族じゃないとな」

「だからってこんな何もない田舎……」

「馬で走れば大学から日帰りできる土地だ。今の俺は本をどれだけ借りてもいい身分なんでね、静かな家で読書三昧の最高の生活なんだよ」


 だったらせめて、もうちょっといい嫁さんをもらえば……。

 という言葉を、男は飲み込んだ。以前、それを言ったらサイラスが気分を害したからだ。あの枯草みたいな女にサイラスは本当に惚れているようで、趣味は悪いと思うが、とやかく言う筋合いもない。


 王都から託された荷物や伝言、諸々の用事を終え、男は早々にサイラスの家を立ち去ることにした。

 今からなら、馬で走れば大学のある都市で宿がとれるのである。

 本当はサイラスの家で一晩泊まるのが楽なのだが、あの奥方が嫌がっているようだし、こちらも気詰まりだ。

「また2か月後の、満月の日に」

 男はサイラスに見送られ、海岸沿いの街道を戻っていった。


(正直なところ、俺は、サイラスが中央に来てほしくはない。あいつは優秀すぎて、俺たち凡人は霞んでしまう。だからこうして、無欲でいてくれるのはありがたいのだが……「監視」役の俺からすると、もう少し王都の近くに住んでほしいと思うよ)



「彼は帰ったよ、モードリン」

 サイラスが妻の部屋をノックすると、モードリンが大きなため息と共にドアを開けた。

「ああ~、良かった!ごめんねサイラス、私、あの手の人、本当に苦手で」


 元々人見知りなモードリンは、他人の好き嫌いが激しく、嫌いな人間にはこうして近づこうともしない。

「あの人名前なんだっけ?いっつも覚えられなくて……」

「いや、嫌いな人間の名前を覚えなくていいだろう。君はその分、色々と考えるべきことがあるだろうから」


 そう言ってサイラスは妻の部屋に目線をやった。

 大量の書物。書きかけの書類。広げられた地図。何かの模型。そう、優秀な彼女の頭脳に、不必要な雑音を入れることはあるまい。


――真の軍師は、彼女なのだから。



 モードリンと出会ったのは、サイラスが大学に通っていた時。書籍商の娘が、女人禁制の大学に入り込み、図書館でたびたび本を読み耽っている、と有名だった。


 追い出しても忍び込んでくるので、やがて皆は黙認するようになり、時々は面白がって彼女に話しかける学生も現れた。

 その一人が、サイラスだ。


 話をしてみると、彼女の博識さと知性に衝撃を受けた。次から次に湧き出てくる突拍子もないアイデア、もしも戦争があったらこんな方法で勝てるかも……。


 彼女の話があまりにも面白かったので、サイラスが論文にしてみたところ、教授たちに大変に好評を得てしまった。

「いいよ。あなたの名前で、私の案を書いてちょうだい」

 謝るサイラスに、モードリンはあっさりとそう言った。

「どうせ私の名前じゃ出せない話だもの。それに、私の話を真面目に聞いてくれたのはあなただけだったから。みんな、私の外見で侮るのよね」


 それからあとの話は英雄譚のとおり。

 モードリンの考えた戦術書は王の目に留まり、サイラスは王都に召し上げられた。

 戦術を考えたのはモードリンだが、サイラスは人に話をするのが得意だ。見た目もよく、好まれやすいと自覚している。もちろん、面倒ごとにも巻き込まれやすいのだが……2人の長所を合わせての「軍師サイラス」が誕生した。


 モードリンとは別に恋仲だったわけではない。

 常に文通を欠かさなかったが、彼の頭脳たるモードリンに策を伺う必要があったからである。

 恋仲だと言ってしまえば話が早かったし、異性からの誘いも半分くらいは遠ざけられたので、そういうことにしてしまったのだ。


 それで、戦いは終わり、サイラスは英雄に祀り上げられた。

 宰相、大領主、美しい姫……ありとあらゆる地位と名誉が彼に与えられようとしていた。


 サイラスだって、名誉欲も出世欲もある。王位以外の全てを手にしそうな状況で、全く心が動かなかったわけではない。

 だが、彼は自身を弁えていた。

 モードリンの頭脳を失えば、自分はただ見た目が良いだけの男に過ぎない。


 恋愛感情ではなく、もはや運命共同体として、サイラスはモードリンに求婚した。

 おそらく向こうも同じ感じでそれを承諾した。

「まあ、そうなるでしょうね」


 モードリンの希望は、この漁村一帯の小領主となり、この辺りで暮らす生活だ。サイラスの希望として王に伝えたそれは、当然のごとく承諾された。

 ちなみに、王にお披露目するためにモードリンを王都に連れていった時は、全く水が合わなかったようで、彼女は体調を崩してしまった。

 着飾った男女たちから品定めの視線をぶつけられ、苦手な愛想笑いを強いられたモードリンは本当に気の毒だった。

 サイラス自身は王都の生活が嫌いではなかったが、モードリンに無理はさせられない。



 黄昏が近い海岸。

 散歩するサイラスとモードリンの姿を見て、領民たちがにこにこと挨拶をする。

「奥様、例の作業、順調ですよ!」

「ありがとう。また作業を見に行くわね」

 モードリンは満面の笑顔で領民に返事をしたあと、サイラスに向けてにやりと笑った。

「ここが、何もない田舎に見えるなんて、あの貴族本当に見る目がないわね……ええと、名前なんだっけ」

「覚える気ないくせに」

 サイラスの軽口に片眉を上げたのち、モードリンは水平線にひとりごちた。


「海藻からは硝石が採れるのに。火薬の凄さを思い知ったんじゃないのかしら?

 そうでなくても、この領内には鉱山がある。屈強な村人たちで拓けば、一気に豊かになるわ。

 そしてここは海流がいい。魚に困ることがないし、東の新興国と貿易するのにいい風が吹く。

 鉱山を糧に、船と港を整備すれば、王国で一番豊かな街になるでしょう。

 ああ、戦術はもう飽きたから、次は最高の街を作るのよ!楽しいわ!」


 モードリンは心底楽しそうに眼をきらきらと輝かせ、屈託なく笑った。

 サイラスも共にその港町の幻を見る。海岸を行きかう大きな貿易船、異国の人々、方々から持ち込まれた交易品……その中には珍しい本もあるだろう。モードリンはそこから次は何を作り出すのだろうか。平凡な自分は想像もできないが、それを隣で見ていられる人生はとても楽しみだ。


「見る目がないと言えば」

 モードリンはサイラスに微笑みかけた。

「サイラス。あなたの本当の長所は、その外見やいい声じゃあなくて、偏見なく物事を判断できる客観性なのよね」

「優秀な君にそう言われると嬉しいよ」

 本心だ。

「そうだ。あの男、見る目はないけど、君のことを一つ褒めてたぜ。『作戦が残酷だ』って」

 モードリンは目を丸くして、その後、頬を赤らめた。

「嬉しい!最高の誉め言葉ね」

 長い影を追いかけながら、2人の軍師は帰路についた。


――この土地は後に、世界的貿易港バウンダリポートとして名を馳せることになる。

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エピローグ:英雄サイラスの余生 のゆ @noyubh

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