第6話 芳香猫は空の夢をみる(改)
数日後、猫毛が一斉に抜けた。
試しに庭でジャンプしてみたら、ぜんぜん飛べなくなっていた。残念ながら、そっちも抜けたらしい。
そんなこんなで夏休みがやってきた。
母・ルリ子が納豆臭に顔を顰める季節だった。
道場へ行ったら、野木美月しかいなかった。
手元には木刀。
おお、やっぱり素浪人。
俺に気付くと軽く目だけ向けた。
食う?と言ってアイスを渡したら軽く頷いた。
牧田翡翠もだけど、野木美月も『あっち』こと、異世界にいた時の方がよく喋る気がする。
なんでだ?
「あのさ」
野木美月が目だけ上げた。
「何度も助けてくれて、ありがとう」
「なんのことだ」
そう言うだろうと思ったので、俺はへへっと笑った。
野木美月はアイスに目を戻すと、ぼそっと言った。
「翡翠は友達が欲しかったんだ」
「へ?」
どういうことだ? 野木美月も牧田翡翠の友達だろう。
俺の気持ちを読んだように補足した。
「私は友達じゃなくて、姉みたいなもんだ。翡翠はあんなだから友達ができなくて、ずっと友達ってもんに憧れてた」
「ふーん」
「お前のことだ」
「俺?」
「翡翠が嬉しそうだ」
そうなの? 確かに牧田翡翠はニコニコしてたけど、あれは特別だったの? 俺、そんなに歓迎されてたの?
「体育の時間にバク転やったことあっただろ?」
「うん」
確かにやったが、それがどうかした?
「かっこよかったんだそうな。それからお前は、ずっと翡翠のお気に入りなんだ」
そっか、だからあの時バク転を見せてって言ったのか。
「アースメントの葉も、かなり危ない断崖にあった。飛翔族だから死ぬことはないと思っていたが、危ないのは間違いなかった。あんな楽しそうな翡翠を見るのは、初めてだった」
あれ、野木美月、ちょっと笑った?
目元も口元も緩んだよね?
うわーーー
すごいもん見ちゃった。
野木美月、笑えたんだ。
そこにちょうど牧田翡翠が入ってきたので、話しは止めたが、俺はニヤニヤを抑えるのに必死だった。
そろそろ二人の稽古?の時間だったので、俺は退散することにした。
中にいたら死ぬかもしれない。
でも、二人の稽古は是非とも見たいので、外へ出てベストポジションの窓へ向かった。
あの日覗いてた窓だ。
おー、やはり野木美月すごい。というか、早すぎて見えない。
野木美月だけじゃない。
それを見切って飛び回る牧田翡翠もすごい。空中でぽんぽん跳んで、攻撃を避けてる。
説明によると、空中に飛び石みたいなものを作って、跳んでるんだそうな。
わけがわからん。
けど
俺は、ため息をついた。
牧田翡翠、いいな……。
俺も跳びたい。
王三郎から命がけで猫化止めてくれた二人には言えないけど、本当に気持ちよかった。
牧田翡翠みたいに空中を跳び回るのは無理かもしれないけど、俺もぽーんて跳べて、本当に気持ち良かった。
なんか俺の身体が飛びたいって、うずうずしてるんだよね。
溜息つきながら二人を見ていたら、突然足下の雑草がガサガサ鳴った。
玉ちゃん!
そこにいる
目が合うと「シャー」と俺を威嚇した。
しゃがみ込んで、玉ちゃんの方へ人差し指を伸ばした。
玉ちゃんは警戒しながら俺の指の臭いを嗅ぎにきた。
玉ちゃん、ありがとね。
君のお陰で俺、すごい経験できたんだよ。
野木美月と牧田翡翠とも、友達になれたんだよ。
ちょんと指先に鼻が触れた。
指を少し返して、喉を撫でよう……とした瞬間。
「——!」
玉ちゃんは俺の手を叩きつけ、鋭い目で睨んで去っていった。
あー、失敗。
およそ二センチ、手の甲に赤い筋。
やられた。
俺は傷口を舐めた。
舐めた。
ん?
玉ちゃんにつけられた傷だよ、これ。
心臓がどっくんと音を立てた。
手の甲にはまさしく、玉ちゃんのばい菌が入った傷がある。
もしかして俺……。
首を振った。
だって俺、王三郎の薬飲んだんだ。
それにあの時は牙だったけど、これは爪だし。
あきらめろ、俺。
顔を上げると、道場の中から、二人が俺を見ていた。
牧田翡翠が「どーしたの?」って顔をしている。
俺は「なんでもないよー」って顔を作って、二人に手を振った。
その後、傷は化膿しなかった。
ばい菌、なかったらしい。
束の間の夢だった。
そして夏は過ぎる。
俺のオリジナルの体毛はあっという間に育ち、癖毛のすね毛は、蚊が絡みついて逃げられなくなるレベルを回復していた。
玉ちゃんの噛み跡もすね毛に隠れた。でも、しっかり跡は残っている。今となっては愛しい傷だ。
久しぶりに傷跡を撫で撫でしたら、違和感があった。
例の噛み跡が盛り上がっていた。
傷跡が盛り上がるってのは珍しくないと思うが、そこから生えている毛が妙だった。
なんだ?
そのエリアにあったのは、柔らかくて薄茶色の毛だった。
これ、玉ちゃんの猫毛だ!
俺は乙女のように両手で胸を抑えた。
だめだ俺、またドキドキしてる。
あの跳躍力が復活していたら、どうしよう。
てか、復活してほしい。
猫毛も、ちょっとだけなら生えていいから、どうか、どうか。
———————————————————
夜を待って、俺は人の来ない公園へ行った。
木を見上げた。
あの太い枝、普通なら届かない。
でも、もしかしたら届くかもしれない。
俺の中には、木の上に飛び上がった時の感覚がまだ残っていた。
絶対届くはず。
飛びたい気持ちが膨れ上がっていた。
俺はゆっくりと踏み込んだ。
脳裏にあったのは、あの時のイメージ。絶対に届くはず。
俺は思いっきり、飛び上がった。
東堂和也 異世界で人型芳香猫になる 水丸斗斗 @daidai_dai
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