第3話   悪女スカーレットの始まり②

 夢にまで見た、両親からの手紙。嬉しくて嬉しくて、スカーレットは封を開ける前に、叔父夫妻の部屋へ報告に向かった。


 封は叔父のコレクションしていたペーパーナイフで開封された。叔父が広げたその手紙には、挨拶文も、スカーレットの様子をうかがう言葉も、叔父夫妻への感謝の意も、何もなかった。


 ただ、あの三行だけが、汚い字で走り書きされていた。書き手がよほど急いでいたのか、代筆を頼まなかったようだ。


 優しかった叔父が、この時、スカーレットの前で初めて怒りの形相を浮かべた。


「スカーレット、行っては駄目だ。昔から弟夫婦の生き方にはほとほと困っていたが、まさか私たちに相談もなく、娘の婚約者を決めていたとは! どこまでお前に辛い思いをさせる気だ、絶対に許さん!」


「あなた……」


 そばにいた叔母が、おろおろと夫の腕に手を添える。彼の手紙を持つ手は、怒りで震えていた。


 十年以上も世話になった叔父夫婦に、婚約者の存在を何も告げなかった、その件はスカーレットも大変失礼だと思ったが、初めて届いた両親からの手紙を前に、口には出せなかった。


「叔父様、わたくしはどうしたら……実家に戻っていきなり結婚などという事態に、なったら、どうしましょう……」


 うつむいて、叔父からの啓示を待った。さっきまで嬉しくて舞い上がっていたのに、今は本当にどうしたらいいのか、わからない。


 叔父の短いため息が聞こえた。


「この手紙の内容から察するに、すでに婚約者は弟夫婦の屋敷で待たされているのだろう。どのような身分の殿方かはわからんが、彼の存在を無視して、手紙をゴミ箱に入れるのはしのびない」


 叔父も判断に迷っているようで、いつもの凛々しい雰囲気が、苛立ちに崩れていた。空いた片手で、前髪を後ろへ撫でつける。


「……ハァ、すまん、少し冷静にならなければ。スカーレット、お前自身はどうしたい?」


「え……?」


 数歩ほど、後退りしてしまった。どんな教科書にも、参考書にも、家庭教師だって、親からいきなり帰りなさい未来の旦那様が待ってますよと急かされた場合の最適解を、教えてくれていないのだから。


「ごめんなさい、よく、わからないのです……初めて貰った手紙の内容が、いきなり婚約者の話だったので、どうしたらいいのか……」


 震えるスカーレットの白く細い指を、叔母がそっと両手で包んだ。


「スカーレット、なんにも難しくなんてないわ。あなたは、ご両親に会いたいかしら? 未来の旦那様になるかもしれない男の人とも、会ってみたい?」


 叔母の優しい声で問われて、スカーレットは頭を整理できた。叔母の言うとおり、大事なのはこの二つだけ。そしてスカーレットにしか、答えは出せないのだ。


「この子をうちに預けて以来、一度も屋敷に顔を見せなかった、あの弟夫婦だぞ! ろくな縁談ではないだろう!」


「まあまあ、あなた。大事なのは、スカーレットの想いですよ。尊重してあげませんか?」


 叔母はいつだって穏やかで、そして優しかった。誰をも嗜めることもなく、ただ淡々とスカーレットの気持ちを尊重している。


 スカーレットは淑女としてスマートな返答を用意するべきだと考えたが、気持ちが溢れて、止まらなくなってしまった。


「ごめんなさい……わたくしも、この手紙には嫌な予感がするのですけれど、本当はずっと、ずっとずっと! 両親から気に掛けてもらいたかったのです!」


 言いながら、涙が溢れてきた。小さく「ごめんなさい」を繰り返しながら涙を手でぬぐうスカーレットに、叔母が柔らかいレースのハンカチを差し出した。


「ありがとう、話してくれて」


「よし、私も同行するぞ! 留守を頼む」


「ええ、お気をつけて。スカーレットを守ってあげてくださいね」



―・-・—・—・—・—



(叔父様はいつだって勇ましくて思いきりが良くて、叔母様はどんなときでも聡明で優しくて、叔父様を支えておりましたわね。理想の夫婦像ですわ……きっとわたくしが不在の今でも、変わらず領土を治めていらっしゃるのでしょうね……)


 轍くっきり彫り込まれたガタガタの一本道、馬車に揺られながら、空を仰ぎ見た。


(お二人のことですもの、旅に出たわたくしのことを、さぞ心配されているでしょうね……。胸が痛いですわ、今度はわたくしが、手紙の一つも出すことができない身の上になるだなんて)


 スカーレットは、真っ赤なドレスの胸元から、一枚の地図を取り出して広げた。そして、前方の道と、照らし合わせてみる。


「ゴーレムちゃん、次のY字路は左側ですわよ」


「お嬢様、ご両親は領土をまともに統治していなかったとお伺いしています。そんな方々からくすねた地図が、正しいとは限りません」


「何が言いたいんですの? この地図しか頼りになるものがないのよ。それともお前は、正しい道順を知っているとでも言うの?」


「いえ、僕はこの領土の出身者ではありませんから、道に詳しくありません」


「ほーら、みなさい。いちいち不安になるようなことを言うんじゃないの」


「ですから昨日のうちに、先程の農村で、正しい道順を教えてもらいました。彼らも近隣の農村や、地域同士で物々交換をするために、遠くまで足を運ぶことが多いのです。この辺りの地理なら、彼らほど詳しい人はいません」


 そう言ってグレージュは、羽ペンと一緒に胸ポケットに突っ込んでいたくるくる巻きの紙束を引き抜くと、丁寧にシワを広げてスカーレットに手渡した。


 半信半疑で、二つの地図を見比べるスカーレット。その空色のジト目が、みるみる大きく見開かれてゆく。


「えー……? ここから先の道順が、全く違うではありませんの。これはほんとに正しい道順なんですの?」


「さあ。僕はこの辺の人間じゃないので、今この馬車で走っている道も、初めて目にします。しかし、何事にも無関心な人間が長期間倉庫に放り入れていた書類の束よりも、現地で働く人間の声のが、信憑性があります」


「……」


「現状お嬢様の実のご両親を、間接的にけなすことになっておりますが、僕は悪くないので謝りません。迷子になって野垂れ死にするのは、僕とお嬢様なんですからね、その事態を避けたかったんです。だから僕は悪くありません」


「……そうですわね。もうちょっと言い方というものがありますけれど、まぁいいでしょう、今回はお前の地図を参考にしますわ」


 いろいろ不満や文句が溢れるのをこらえて、スカーレットはゴーレムのお尻をトントンとノックした。


「ゴーレムちゃん、さっきの命令は撤回しますわ。次の道は右側でお願いしますわね」


 ところが、見えてきたY字路を、左めがけて歩みを進めていくゴーレム。スカーレットが後から何度訂正させても、ピンと来ていないようだった。


「ぐぬぬぬー! 右って言ったら、右ですわよ! どうしてこの程度の命令もわからないんですの!?」


「お嬢様。このゴーレムはもともと単調作業型なうえに、腹部の穴に命令を記したプレートを挿入しないと、指示が聞けないのですよ。それをお嬢様が無理矢理、会話とスキンシップで交信できるように無理な改造を施したから、誤作動が多発するのです」


「だーって、そのプレートがどこにも見つからないんですもの。適当な木札を突っ込むわけにもいきませんし、それに会話でやりとりができるなんてこと、プレートよりもお手軽で、利便性が高いと思いませんこと?」


「暴走させてばかりいるのに」


「……」


 左側へと荷車を進めてゆくゴーレムを止めるすべがなく、まさかの野宿二日を挟んで、ようやく軌道修正を果たしたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ぐぬぬ系」悪役令嬢と、諦めが早過ぎる従者たち 〜婚約破棄され領土も奪われ、復讐するため珍道中!なぜかとんでも過ぎるチート従者ばかり増えてきて手に負えませんわー!〜 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ