大きな幼稚園が小さかった事を、うちの双子姫たちは知らない

かずなし のなめ@「AI転生」2巻発売中

「あの幼稚園、異様に大きかった気がする」

 自分が幼稚園年中から年長に移行する時に、引っ越した。

 それからは定住し、小学校に上がってからも幼稚園の近くを通る事が多かったため、【幼稚園の景色】とやらは色褪せなかった。流石に実名を出すのは憚られるので、仮にこの幼稚園をBとしよう。


 一方、引っ越し前の幼稚園Aの景色は、私の中で色褪せている。

 廃園したようで地図検索でも引っかかる事は無い。

 ただ思い出せることが一つだけある。


 A


 たった一年間、それも4歳から5歳にかけての記憶なんて微塵も残っていないのだが、不思議とその印象だけは残っている。

 あとは玄関の不思議な鏡くらいだろうか。素直に私を移さず、反射角によって縦に伸び、横に縮む、そういうのだ。


 教室の天井は大きかった。親が迎えに来るまでの玩具と自分だけでは、「ぽつん」という言葉がこれ以上似つかわしくないくらいに、大きかった。巨人でも格納するのか、それくらいに大きかったと思う。


 体育館も大きかった。内装なんてまるで覚えてないが、少なくとも何個もあるクラスが並んでも十分なスペースがあったように思う。よく列からはみ出して怒られた。何が当時悪いのかわからなかった。古臭い木の、熟れた匂いも鼻孔を擽っていた。泣いていたのは、多分それが気になったからじゃなかった。


 グラウンドはとても、とても大きかった。遊んだ記憶はない。私は内向的な性格で、遊ぶ友達に乏しかったと思う。でも、外からグラウンドを見れば、園舎がはるか遠くの対岸に感じられるほど、遠かった。

 辛うじて覚えている事は、花壇があった事。勿論咲いていた花の名前も、花言葉はおろか、どんな色をしていたか覚えていない。何も咲いていなかったかもしれない。あの細い丸太に囲まれた花壇らしきものは、花壇じゃなかったのかもしれない。


 当時はゲームに夢中な、内気な子だったらしい。もっと幼稚園Aを見ておけばよかった。でもタイムスリップしたところで、きっと4歳の私は聞く耳を貸さないだろう。内気になる気持ちは、今の私にも通ずるところがあるのだから。


 転園するとき、泣いていたかは分からない。あの時の私は、住む場所を変えるという概念さえ無かったように思う。旧住所から出掛けて、新住所に泊まったまま、いつまでも帰らない。そんな風に思っていたのだろう。

 そのうち旧住所への親しみが消えて、新住所が住処になった。新住所を、私は今では【実家】と呼んで偶に懐かしむ。旧住所の事は記憶の片隅に閉じこもったまま、埃をかぶっている。


 体が成長していくにつれ、幼稚園Bは小さく感じられた。妹が幼稚園Bに入園していたので、お遊戯会とかそういうイベントを見に行った時の事。教室の天井も小さかったし、グラウンドもなんと小さく感じられた事か。おまけに便器も、小便がはみ出すんじゃないかってくらいに小さかった。体育館に至っては無かった。もしかしたら幼稚園Aでも、お遊戯会をやるような大きな教室を、体育館と勘違いしていただけなのかもしれない。


 多分、Aなんて錯覚は、今の私が幼稚園Aに行けば解決する事なのだ。全ては1m在るか無いかの身長しか持たぬ、自我が芽生える前の優しい夢だったと。あなたの伸びしろを感じさせるトリックだと。幼稚園Aが廃園となった今では叶わぬ相談ではあるが。


 ……ふと、そんな風に逡巡したのは双子の娘のおかげだ。


 娘二人は保育園に入った。幼稚園との差異はよくわからない。

 送迎の時、とにかく彼女らは走り回る。「帰るよー」とか「先に行っちゃうよー」とか言ってみても、はだしで歩廊を元気に駆け回るものだ。

 駆け回る双子の背中に過去を見た。


 きっとあの子達には、この保育園は異様に大きく感じるのだろう。もしこのまま引っ越さなければ、その夢はどこかで醒めてしまうのだろう。

 俺は、醒めてほしくない。「」という心を大事にしてほしいと思う。難しいかもだけど。

 その代わりになるべくパパも覚えていよう。いつか君達が「」と話してくれた時に、「そうかもね」と言えるように。

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