再生

@PrimoFiume

再生

「やめろ! お前ら一体オレに何をするつもりだ!」

「君がそれを知る必要はない。話したところで、どうせすぐに忘れてしまうんだからな」

「どういうことだ?」

「言葉通りだ。おやすみ、四浦攻しのうらおさむくん」

 轟く銃声。四浦攻は頭を撃ち抜かれて、そのまま床に倒れた。



「ここは?」

 オレは狭く薄暗い部屋に置かれたベッドの上で目を覚ました。辺りを見回そうと上体を起こした時に異変に気づいた。右肘から先が異様に小さい。まさかと思いシーツをめくると、左足もまた膝から下がまるで子どもの足のようにアンバランスなものになっている。

 窓はなく、昼なのか夜なのか確かめることもできない。

 オレはどうしてこんなところに? 記憶をたぐろうとするが、昨日何をしていたかも思い出せない。もしかしてこれは記憶喪失というものなのか? オレは動揺する気持ちを何とか抑え込み、状況を整理しようと努める。

 まずオレの名前は四浦攻。よし覚えている。とりあえず記憶喪失ではなさそうだ。年齢についてはどうだろう? 四十一歳。忘れていないが、果たしてあっているだろうか? 今が何年の何月かも分からない。一体オレはいつからここにいる? 昨日眠って目を覚ましたところなのか、それとも何年も昏睡状態だったところから意識を取り戻したのか?

 両親の名前も覚えているし、顔も頭に浮かぶ。ごく一般的な家庭で育ち、高校大学を卒業したあと就職し、その後オレは、……


 連続殺人犯として捕まった。


 手にかけた獲物の数は十三人。一審、二審ともに死刑判決を受けた。無期懲役にもちこもうと控訴したが最高裁でも判決は覆らなかった。少なくともその時までは、五体満足だったはずだ。そして、オレは独房にいれられ、……ダメだ。ここからは思い出せない。

 その時、視界の片隅に何か動くものをとらえた。目を凝らすとどうやらそれはナメクジのようだ。そういえば、心なしか部屋の湿度が高いように感じる。


「おい! 起きてるか?」

 突如勢いよく扉が開き、二人組の男が入ってきた。

「何だお前ら? ここはどこだ? 一体なんの為にこんなことを? オレの体に何をした?」

「笑っちまうな、前回と同じでデジャビュみてぇだ」男の一人がおかしそうに笑う。

「余計なことは言うな」それをもう一人が制する。

「食えよ、失った体重を取り戻すんだ」先ほど笑っていた若い男が打って変わって無表情に言う。

「目が乾くだろう。これを使うといい」今度は年配の男がそう言って目薬らしきものをサイドテーブルに置いた。

「待て、オレの質問に答えろ!」

「生憎だが、我々にそのような義務はない。行くぞ」

 そう言い残して二人の男は出て行った。

 こんな状況でも腹は減る。オレはおぼつかない手つきで食事を平らげた。ナメクジはまだ視界の中にいる。

 ふと目の乾きを覚えて、男が置いていった目薬に手を伸ばす。右手はうまく動かない。もどかしい思いで、目薬のキャップを口に咥えて、左手で外した。点眼したのち、目薬をサイドテーブルに戻すと、そこにはノートとボールペンが置かれていることに気づいた。

 何かの本で読んだことがある。記憶には短期記憶と長期記憶があるということを。オレは昔の記憶を持っている。ひょっとして、短期記憶障害で、最近の出来事を覚えることができなくなったのではないだろうか? だとするならば、まずはこの状況を忘れないうちにノートにしたためておかねばならない。

 ノートにはまだ何も書かれていない。とりあえずオレは最初のページに”一日目”と書いて、この状況をできる限り鮮明に記録した。


 とはいえ、二日目以降ノートに書くことは限定的だ。ただ食って寝るだけの毎日。強いて言えばこの不自由な体にも少し慣れてきたのか、目薬をさすのも苦にならない。あまりにも書くことがないため、排便の有無とナメクジの観察日記をつけることにした。

 ノートに七日目の文字が刻まれる。まだオレはここで目を覚ました時のことを覚えている。どうやら短期記憶障害というものでもないらしい。原因は分からないが、ごく最近の記憶がすっぽりと抜け落ち、その前後は問題なく記憶を保っている。

 こうもやることがないと、ナメクジを眺めているだけでも面白く感じる。そのノロマな生き物はまるで穏やかな時の流れの中に身を置いているようにスローな動きをする。どうもこいつらの肛門は右側の首と言っていいのか、頭の後方にあるようでそこからフンらしきものが出てきた。ある日二匹のナメクジが頭の右側をくっつけた。

「何だ?」初めて見る行動に思わず声が漏れた。

「昼飯だ!」若い男が配膳にきた。

 こいつには何度も現状の説明を求めたが、いつも答えられないの一点張りだ。オレはいつからか諦めて無視するようになった。

「交尾だ」ナメクジを眺めるオレに男が言う。

「交尾?」

「ああ、こいつらは雌雄同体でな、そうやって精子を交換して受精するんだ。知ってるか? こいつらクソするところで息してんだぜ」

「今日はよく喋るな」

「まぁ、退屈なのはお前だけじゃないってことだ。飯食ってる間にちょっとナメクジについて教えてやるよ」

 オレは無言で箸をとった。

「こいつらがカタツムリと同じルーツだとは知ってるよな。その名残で退化した極小の殻を持つものもいる」

 男は話を続けた。それによると、ナメクジは神経細胞ニューロンベースで比較すると人間の脳の十万分の一に過ぎないのにも関わらず、非常に高い知能を持っているという。例えばニンジンジュースの匂いを嗅がせた直後に苦味のある水溶液を口元にかけると、その後数週間はニンジンジュースに近づかないという。たった一回の条件付けで学習するということだ。これがどれだけすごいことかと言うと、ハエや線虫であれば繰り返し経験しないと長期記憶にならないどころか、その記憶はもって数日だという。

 ただ気持ち悪いという目でしか見ていなかった生き物が神秘的に感じた。

「詳しいんだな」食事を終えてオレは茶碗をトレーに置いた。

「まぁな、また聞かせてやるよ」男はトレーを抱えて部屋を出て行った。

数日後、オレは体の変化に気づいた。未熟だった腕と足が徐々に成長している。もしかしたら不自由な体に慣れたのではなく、体が健常に近づいているからなのかもしれない。その後も手足は成長を続け、ほぼ元の大きさに戻った。まだ若干成長の余地があるようで、特に歩く時はバランスを取るのに苦労する。

 この日から体重を測られるようになった。

若い男によれば元の体重まで、あと三キロとのことだ。さらに数日後。

「朝飯だ!」いつものように若い男が配膳にきた。

 もしかしたら、脱出できるかもしれない。そう思ったオレは男を扉から押し除けようと手を伸ばす。

「ぎゃ」

 突然懐中電灯の光を浴びせられたオレはたまらず床にうずくまった。

「おっと変な気起こすなよ。お前の弱点はわかってるってことだ」男は高らかに笑う。

 不意に光を浴びせられたとはいえ、たかだか懐中電灯。何でオレはこうも過敏になっている?

「わけわかんねぇだろ? 朝飯と一緒にお前がここに来る前に書いてた日記を置いていく。落ち着いたら読むといい。じゃあな」

 網膜に残る光の残像が徐々に消えていき、オレは立ち上がる。日記帳を手に取り、ゆっくりと開いた。


“恩赦”

 看守の足音が聞こえる。その度に執行の日が来たのかと体が緊張で硬直する。いつもは杞憂に終わるのだが、とうとう今日は表に出ろと言われた。

 だが、どうも様子がおかしい。オレは案内された個室に入ると、恩赦を持ちかけられた。表向きは死刑執行と扱われるが、ある研究の被験体となることで生きながらえることができるという。オレは迷うことなくその話に飛びついた。何か裏があるのだろう。だが、看守の足音に震えあがる日々はごめんだ。


“手術”

 それからオレは手術室へと運ばれた。全身麻酔のため、何も覚えてはいないが、再生医療の発展に貢献することになるのだと言われた。オレに殺されたのは十三人。それはオレ一人が死んで償えるものではないが、こうして被験体となることで、その後多くの命が救われるのだと説明された。

 正直そんなことはどうでもよかった。要は死刑を免れることさえできればよかったんだ。


“ナメクジ”

 ナメクジについて色々聞かされた。奴らは再生力に優れ、目だけでなく脳まで再生できるのだという。人間の場合、それは極めて限定的な話である。また、ナメクジの脳は外部に取り出してもその機能は失われることがない。脳が再生しても記憶は失われる。記憶をデータ化して外部に記録し、再生した脳に再び戻すことが可能になれば、アルツハイマー病や、脳の重篤な疾病や損傷も克服できると希望がもたれているのだと説明された。


“研究所”

 オレは研究所の個室で暮らすことになった。まさかこんなことになるなんて思っていなかった。

 オレは再生能力と引き換えに、乾燥や光に弱い体となってしまった。術後、数日が経過し状態は安定したようだと言われた。明日からは実験に入ると言う。

 何てことだ、オレはモルモットかラットか?

 いや、ただのナメクジなのか?



 オレは震える手でページをめくる。ここからは筆跡が変わっている。オレの字じゃない。


“実験一日目”

 まずは脳の再生について観察する。被験体を連れ出し、銃で海馬を撃ち抜いた。手術で摘出する方法をとらず、銃を用いたのは要人が銃撃された時のケースに備えたものである。

 海馬は短期記憶を司る部位である。再生しても、被験体はここに連れてこられたことを忘れてしまうだろう。


“実験二日目”

 とりあえず実験の第一段階はクリアしたといえる。被験体は死ぬことなく脳が再生を始めた。意識を取り戻すのはまだ先だろう。目覚めたらいくつかテストをしたのちに、再び脳を破壊する実験を繰り返すことになる。安定したデータが取れるようになれば実験は次の段階に進む。散弾銃で手足を吹き飛ばし、再生能力を確かめるのだ。再生には時間がかかるだろう。完全に戻ったあとはまたその繰り返しだ。安定したらいよいよ最終段階に入る。臓器を取り出しても再生されるかを検証する。これについてはどのような結果になるか予想がつかない。だが、簡単に死なない被験体とは便利なものだ。私だったら死刑になっていた方が良かったと思うかもしれない。



 その後も、目を覆いたくなるような記録が書き連ねてあり、オレはたまらず日記帳を閉じた。


 カツーン、カツーン


 廊下を歩く足音にこれまで以上の恐怖を感じた。

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