第24話 いつか

 コンコンコン。


 控えめに、ドアが叩かれる。


 ぼおっと天井を眺めていた私は、ハッと跳び起きる。


 ドアを開けると、最愛の人がそこにいた。


「アイン……どうして会いにきてくれないのよ」


 長い睫毛が濡れている。


 温かい鼓動が広がる。


 会いたくて、たまらなかったのは私も同じだ。


 だけど……。


 華奢な肩を抱こうとして、私は手をおろす。


 もう、彼女とは、会わない方がいい。


「……今日は忙しいんだ。せっかく来てもらったところ悪いが」


「嘘ばっかり!ベッドで寝てただけじゃない。私、窓から見てたのよ」


 切りそろえた前髪の下で、大きな瞳がうとましげに私を見る。私を部屋へ強引に押し込み、後ろ手に扉を閉めた。


「なんで、嘘ついたの」


 暖炉の光が、彼女の横顔に影を刻む。シルクのスカートが泥で汚れていた。


「だって、お前、決まったんだろ婚約が……。隣の領主と」


「お父様が勝手に決めたことよ!私には、心から愛する、あなたがいるのに」


 彼女は細い腕を、私の腰に回す。


「それに、嫁ぐ日はまだ先だわ。それまではいくら会おうと、構わないでしょ」


 彼女は、知らないのだ。


「毎日、召使いが私の様子を見に来ているんだ。私を消したいのだろう。私がいることで、お前と領主の関係が悪化しないため」


「でもだって、そんなのあっちが悪いじゃない。私は悪くないわ。だってあなたといたいってずっと言ってるのに。勝手に結婚なんて決めるんだもの」


 彼女は、私の胸に頬を寄せ、しくしくと泣き始めた。


 言い分は間違っていない。でも、決まってしまったことなのだ。険悪な雰囲気の結婚生活なんて、嫌だろう。


「お前には、幸せでいてほしいんだ。あちらに行って、他に男がいると噂になったら……決して良い思いはしないだろう」


「何よ!あなたもそんなつまんないこと言うの?」


 下から私を睨む。


「ねえ、アイン。どこかへ行ってしまいましょうよ。こんな所抜け出して。2人で、暮らしましょう」


 私は首を横に振った。


 同じことを、昔は考えた。しかし彼女は箱入り娘。生まれてこのかた、身の回りのあらゆることを他人に任せていたのだ。苦しい生活に、きっと彼女の気持ちは破綻するだろう。


 愛さえあれば、何でも叶うとは思えなかった。


「私をここから出してよ!この意気地なし!」


 か弱い力で、私の胸を叩く。


 私は彼女の、甘く香る髪をなでた。


「分かってくれ。お互いの……お前の、幸せのためだ」


「私の幸せは、アインと一緒にいることよ!」


 その時。


 トントン。ドアが軽く叩かれる。


「お嬢様」


 老人の声。


 私と彼女は後ずさった。


「ここにいるのは分かっています。出てきてください」


 私の手が、じっとりと汗ばむ。


 彼は、彼女の召使いだ。一見ただの使用人だが、暗殺術に長けていた。


 つまり、そういうことなのだ。


「逃げましょう」


「いや……」


 窓から出た所で、バレるだろう。屋根裏にのぼる?いや、あんな木製のドア、もたもたしている間に壊されるだろう。


「それなら、爺やを殺してよ」


 私は耳を疑った。


「開けますよ」


 彼女の言葉を聞き返す前に、扉の外から声がした。


 私は生唾を飲み込む。彼女の肩に手を添えて引き離し、ドアへ向かった。


 殺されるかもしれない。邪魔な存在として。


 しかし、それを予期できているのは、不幸中の幸いだ。私は近くにあった塩を一掴みして、ノブに手をかけた。


 ドアを開けた瞬間、彼の鋭い突きがとんでくる。腹に一発食らうが、想定の上だった。彼の膝に倒れ込み、バランスを崩させる。私は、手の中に仕込んでいた塩を、彼の両目に突っ込んだ。


「ぐ、ぐわあああ」


 召使いは苦し気な声を上げる。私は素早く距離をとった。歴戦の暗殺者だ、どんな武器をしこんでいるか分からない。


「彼女は、結婚を嫌がっている。少しは娘の言い分も、聞いたらどうだ」


「……一介の使用人に、主人に背くことが許されるとでも……」


 言い終える前に跳び起き、突進してくる。私はとっさに、拳を振るった。


 ぎゅっと目を瞑る。確かな手ごたえに、骨がビリビリと鳴る。


 恐る恐る目を開けてみると、老人が仰向けに倒れていた。


「え……?」


 そっと近寄り、顔を覗き込む。


 白目をむいていた。


 心臓に、耳を当ててみる。


 完全に止まっていた。


「私のために、殺してくれたのね」


 何が起こったのか覚ったのだろう。彼女が近づいてくる。


「ち、ちがう」


 たった拳ひとつで、人が死ぬだろうか?私はどこを殴ったんだろう。顎だろうか?自分のやったこととは思えず、頭が混乱する。


「そうでしょう?だって、あんなに強い爺やを。怖かったのね」


 ぶるぶると震える手を、彼女が包み込む。


 その神経を、疑った。


 あの召使いは、いつも彼女のそばにいた。献身的に仕え、どんなわがままも叶えていた。


 目の前の人間は、たった今、その人の命を奪ったんだぞ。


「食べるぞ」


「え?」


「あの召使いを、食べるぞ」


 理解不能で思考を止めた頭が、思いがけない言葉を吐く。


「ふふ、無理よ」


 彼女は、場違いに微笑んだ。


「私を連れだせないくらい、意気地なしだもの」


 カッと頭に血がのぼる。


 私は大鍋に湯を沸かす。召使いの骨ばった腕や足をぶった切り、鍋に投げ入れる。


 彼女は、微動だにせず、その様子を眺めていた。


 ここまでやっても、まだ信じないのか。


 私は、ぐつぐつと煮立った鍋に塩を入れる。手当たり次第に香辛料を入れ、鍋をかき回す。白くぶよぶよになった手足を取り出して、皿の上にのせた。


「食べるぞ」


「で、できるなら、やってみなさいよ」


「本当に食べるからな!」


 私は叫んで、肉を食らった。彼女が悲鳴を上げ、扉を蹴破るように出て行く。


 私は自分の人生が崩壊していくのを感じながら、肉を頬張った。もう彼女は見ていないのだから、食べる必要はないのに。


 私の頭はどこか異様に冴えていた。


 失うものは何もない。それならいっそ地獄の果てまで。


 興奮が冷めていき、人間の味が分かっていく。


 その肉には、得も言われぬ甘美さがあった。



……………………………………………………………………………………………



 私は、ゆっくりと目を覚ました。


 この夢は、きっと、前世の記憶。


 元ご主人様にそっくりな彼女。


 食人の罪をを犯したのは、彼女と離れるためだったんだ。


 前の夢と繋げて考えると、それ以来、人を食べるのが癖になってしまったということになるんだろう。


 なんて突飛なことをしたんだろう。衝動的にもほどがある。


 前世の自分に、教えてやりたい。お前、人間に生まれ変わるんだぞ。笑っちゃうだろ。


 元ご主人様が逆に、私を捨てたのは、この報いなのか。


 しとしとと、雨が降り始める。夜闇の落ちた公園は、誰もいない。


 だからだろうか。


 1つだけ響く足音が、私をめがけているのだと、はっきり分かる。


 雨に濡れるのもいとわず、私は足音を待った。

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