第16話 再・妖怪のおじいさん

「今日も雨っすねえ……」


 屋根の下で、ジョンソンは雨の夜空を見上げた。


 もう5日は降り続いているだろうか。


「僕お腹すきました」


「私もだ」


 雨が降ると、登校できない女の子も来ないことが多くなる。絵描きの少年は前ほど来なくなってしまったし、期待していた野球部もまだ来ていない。


「腹が減ったな」


 私は溜息をついた。


「そうっす。濡れると嫌だからシロツメクサとかも食べられないし。うえーん。雨止んでほしいっす」


「さすがにもう、限界が近いよな」


「濡れてでもシロツメクサを食べますか……」


「風邪を引くぞ」


 公園には温まれる場所がないから、一度風邪を引くとかなりしんどい思いをすることになる。


 私たちは、やつれた顔を見合わせる。


「僕たちこーんなにかわいいんだから、全人類がエサをくれたっていいのに……」


「同感だ」


「よう、うさこさん。元気しとったか」


 突然割り込んできたしゃがれ声に、私たちはそろって跳びあがった。


「何っすか!足音も聞こえませんでしたよ」


 慌てて隠れたベンチの影からのぞく。


 街灯の下、見覚えのあるじいさんが立っていた。


「あれは……」


「知り合いっすか、先輩」


 エサを持ってきてくれるといって、結局持ってこなかった妖怪のじいさんだ。


 しかし目の前のじいさんが実は妖怪だなんてことをジョンソンに言って、信じてもらえるだろうか。


「なんか、人間じゃなさそうっすね」


 コイツは勘が良かったんだった。


「その通り。あのじいさん、実は妖怪なんだ」


「ええええ、妖怪!?」


「呼んだかいの」


 じいさんは、猫のような犬のような、「すねこすり」の姿に変化してやって来た。


「も、もしかして、あなた、さっきの、ご老人?」


「その通り。まさか、新入りがおるとはな」


 ふぉふぉふぉ、とすねこすりは笑う。


「ぎゃーっ。先輩!どうしましょう!」


「大丈夫だ。この妖怪は何もしない」


「その通り。仲良くしようなうさおくん」


「僕はうさおじゃないっす。ジョンソンっす」


「じょんそん」


「なんか変な発音っすねー……ジョンソンですよ」


「じょんそん」


「これは素質ナシっすねー」


「ワシ古い人間じゃからのう」


「もしかして、100年以上生きてるとかそういう……」


「鋭いのう。500年じゃ」


 すねこすりの細い目が、糸のように細められる。


「ひいいいいいい。正真正銘妖怪だ!!!!」


 すねこすりは、ゆかいそうに笑う。


「もしかして、エサを持ってきてくれたのか?」


 私は、忘れ去られたままの約束を問い直す。


「エサ……?なんのことかの」


 すねこすりは、丸すぎる首を傾げる。私は前回会ったときのことを話した。


「ああ、思い出したぞ!あの後雨が止んで、外に出れんくなったのじゃ。ワシは雨がないと外に出れんからのう。一度寝たらすっかり忘れてしもうたよ。すまんすまん」


「先輩、妖怪にエサを持ってきてもらう約束してたんすね!すごいっす、改めて尊敬っす!!!!」


 ジョンソンのキラキラした眼差しがとんでくる。


「ごめんのう、うさこさん。エサは持って来れんくなってしもうた」


 すねこすりはしゅんとうなだれた。


「何かあったのか?」


「ワシがじいさんに化けとることが、バレてしまってのう」


 死んだことが周囲に知られていないじいさんになりすまして生活している、とこの前言ってたな。


「ガヤガヤと人間が入って来て、家を壊されてしまったんじゃ」


「要するに家なしってことっすか。僕たちと同じですね!」


 ジョンソンが明るく励ます。


「そうなんじゃよ。もっと早く行き場所決めておけばよかったんじゃが……。大人しく妖怪コミュニティに戻るかとも思ったんじゃが、おぬしの顔を見たくなってのう」


「妖怪コミュニティ?」


「あるんじゃよ、闇の中に、秘密の場所が」


 すねこすりの目が、再び細められる。


「そんなに仲良かったんすねえ」


「いや、1回しか会ったことないぞ」


「回数は関係ないぞ。おぬしはやけに、印象的でな。ふつうのうさぎのようだが、どこか我らに似ている……」


 前にも言われたが。神に力をもらったということも忘れたのだろうか。


「だって先輩は、神様から、ライオンになって人を食える力をもらってますから!当然っす!」


 となぜかジョンソンが胸を張る。


「そう。前にもそう聞いて、納得はしたんじゃが。なんか、それだけじゃない気がするんじゃよ……。なんなのでしょうこの気持ち」


「知りませんよ」


 魂は人間だと言われたり、妖怪っぽいと言われたり。私はただのかわいいうさぎじゃいられないんだろうか。


「ところでおぬしら、やけにやつれておるの」


「そりゃそうっすよ!毎日雨ばっかりで、何も食べれてないんですから」


「そういうことなら、ワシがエサをとってきてやろうか?この辺りの草でも食べとるんじゃろ?」


 なんか嫌な言い方だな。


「シロツメクサとってきてください!お願いします!!!!!!」


 ジョンソンはもうよだれを垂らしている。


「ふぉふぉふぉ。たくさんとってくるから、待っておれ」


 じいさんの姿に変化をし、屋根の下を出て行った。


 私たちは、また雨が止んでしまわないように祈りながら待った。さっきまで、雨が止んでくれないかと言っていたのになあ。


「お待たせしたのう」


 また音もなくやってくるので、私たちはそろって跳びあがる。シロツメクサをどっさり持ってきてくれていた。


「わーい!!!!ありがとうっす!!!!!」


 私たちは脇目もふらずむしゃむしゃ食べる。


「喜んでくれてよかった」


 すねこすりの姿に戻り、にこにこ……というか、にやにやしていた。何か企んでいるように見える顔だが、多分純粋に喜んでいるだけだと思う。


「お腹いっぱいになりましたあ。ありがとうございます」


「それで、すねこすりはこれからどこへ行くんだ?」


「ひとまず妖怪コミュニティに戻って、のんびりしようかと思うとるよ」


「どんなとこなんすか?」


「むかーしの日本みたいな場所じゃよ。いっつも夜で、みんなゆったり暮らしておる」


「ずっと夜だったら、いつ寝るんすか?」


「そんなの、適当に決まっとるじゃろ。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる」


「いいなあ。自由そうで」


「そうじゃなあ……。ワシは人間になれたことが嬉しくて、こっちで頑張っておったが、やっぱり妖怪コミュニティが過ごしやすいかもしれん」


 すねこすりは、懐かしそうに遠くを見た。


「決めた。ワシ、帰る」


「いいなあ。僕もたまに、元ご主人様のとこに帰りたくなりますよ」


「そうじゃな。帰る場所があることは、幸せなことじゃ」


 すねこすりは、何度か頷いた。


「気づかせてくれて、ありがとう。お礼に、またエサを持ってきてやろうかの」


 雨の日にな、と言い残して、すねこすりは闇に消えていった。


「妖怪って、意外といいヤツなんすねえ」


「人間と違って、話もできるしな」


「先輩も、もしかして妖怪なんすか?」


「なんでそうなる」


「すねこすりがそう言ってたし……」


「私が聞きたいくらいだ」


「まあでも、先輩が妖怪だって、先輩は先輩だから、なんでもいいっすね!」


「なんだそれ」


 なぜだか笑うジョンソンにつられて、私も笑った。


 周囲の闇が、だんだんと薄くなっていく。

 私たちにとっての眠りの時間が、やってくる。


「お腹いっぱいで、今日はちゃんと眠れそうっす」


「そうだな」


 私たちは身を寄せ合う。


 腹が満たされていると、忌まわしかった雨音も心地よい。私たちはほとんど同時に、寝息を立て始めた。

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