第15話 さわやか野球部
初夏の日差しが降り注ぐ中、私とジョンソンは一心不乱ににんじんを食べていた。
「今日はちょっと、多めに持ってきたよ」
と、登校できない女の子が笑う。
ここのところ、彼女が来なかったのだ。3日ぶりのにんじんとなる。
「嬉しいっす。僕。もう一生にんじんが食べられないと思ってました」
「大袈裟だな」
私たちの間で、登校できない女の子が、学校に行ってしまったのではないかという説が浮上していた。そうなったら、絵描きの少年のようにあまり来られなくなってしまう。定期的なにんじんの補給がないと、少し不安になる。うさぎはか弱いので。
「ちょっと風邪引いちゃって、来れなかったんだ。元気してたみたいで、良かったよ」
「なあんだ。心配して損しました」
「損ではないだろ。病気だったんだから」
「あ、そっすね。すいません」
女の子は、私たちの頭をなでた。
「うえっうさぎ?」
公園中に響き渡る声に、私たち2匹と1人は、びっくりして目を向けた。
自転車に乗った、坊主頭の若い男の子だ。高校生だろうか。動きやすそうな服を着ている。
「お兄さん、もしかして……」
登校できない女の子が、おずおずと言う。「え、何?」と高校生が首を傾げた。
「桐院高校の、野球部の人?」
「そう。よく分かったね」
「うん!お母さんが高校野球見るの好きだから、知ってる!強いよね!」
「俺らのファンってことか!応援ありがとう!サインいる?」
「それはちょっと……」
「あっはは!冗談だよ」
野球部は快活に笑う。笑顔がなかなかさわやかだ。
「うさぎかわいいなー。君が公園で飼ってんの?」
「ううん。エサをあげに来てるだけ」
「いいなー。俺もあげにこようかな。けっこうなつく?」
「うん!寄って来てくれるよ」
「俺普段は部活あるんだけどさ、夜とかに来ても大丈夫かな」
「うさぎは夜行性だから、夜の方がいいんだよ」
「マジか!大根の葉っぱとか食べる?」
「食べるよ」
「学校で大根作ってるから持ってこよ」
「やった~!先輩!またエサをくれる人が増えましたね!」
ジョンソンが垂れ耳をぴょこぴょこさせて喜ぶ。
「あでも、勝手に大根切ったら怒られるわ。どうしよー」
「お家から持ってきたら?」
「朝早いからなー。夜までにしわっしわになっちゃうな」
「なんとか工夫して持ってきてくださいよ!もう!」
聞こえないながらも、ジョンソンは抗議をした。
ちょっとした沈黙になる。女の子は野球部の表情をうかがった。
「あ、あの」
声が小さすぎて、うさぎにしか聞こえてないぞ。
もっと頑張るんだ!
「あの!」
大声になりすぎて、野球部はびっくりした顔で女の子を見た。
「どしたの」
「あと1本余ってるから、うさぎにあげてみる?」
「お、サンキュ!」
野球部は笑顔で自転車をとめ、私にエサをくれる。横でうらやましそうに見ているジョンソンの頭をなでた。
「癒されるわ~。やっぱモフモフだな」
「うさぎ、好きなの?」
「おう。昔友達が飼っててさー。動画とか見まくってる」
「私も見てる!らびらびさんの動画とか」
「俺もそれ見てるよ!らびっこちゃんかわいいよなー!見過ぎて寝不足になっちゃってさ」
「私もよく怒られる!」
「俺この動画が特に好きなんだけど……」
スマホを見ながら、2人は楽しそうに笑っている。
「僕ら置いてけぼりっすね」
「これは恋の予感だな」
「恋の、予感?」
ジョンソンは首を傾げる。
「これでも私は、いくつかの恋愛を見守ってきたのだよ」
終電逃しのサラリーマンだとか、恋するギャルとかな。
「女の子の顔、なんか急に女の子!って感じになりましたもんね。あれ、これ意味分かります?」
「色気づいたってことだろ」
「なんか生々しい言い方で嫌ですけど、そういうことです」
悪かったな、生々しくて。
「でもまだ、恋の感情には気づいていない。そんな様子だ」
「詳しいっすねえ。前世の記憶っすか?」
「そうかもしれない」
「僕には分かんないから、そうなんじゃないっすか」
ジョンソンはあくびをした。
2人は楽しそうだが、私たちにとっては眠い時間帯なのだ。
しばらく眠っていたが、私は野球部の声で目を覚ました。
「そろそろ帰るわ。宿題しないと監督に殺される」
「あ、あの!また会えますか?」
「試合を見にきてくれたら、いつでも会えるぜ。俺、スタメンでショートやってるんだ」
野球部は、きらりと白い歯を見せる。
「その……公園には、来ないですか?」
「夜は来るかもなー。エサがなんとかなれば」
「そっか……」
「んじゃ、またね!」
野球部はひらりと自転車にまたがると、滑るように漕いでいった。
「あれ、帰っちゃいましたね」
ジョンソンが目をしばしばさせている。
「いい人だったな……」
女の子がぼーっと、野球部が去って行った方を見ている。
「連絡先、交換しておけばよかったな」
スマホをぎゅっと握りしめる。
「これが恋の予感ですね!」
「その通り」
「ここまで露骨だと、よくわかります!」
「露骨っていうのもなんか、嫌な言い方だな」
「そうっすか?」
それじゃあね、と女の子は私たちに手を振る。いつもより嬉しそうな顔をしていたが、同時に悲しそうでもあった。
心配するな。きっとまた会える。
私たちににんじんを持ってくる日課を続けていれば、ラッキーがやってきてくれるはずなんだ。
【本日の人間】
野球部はエサ補給要員になるかもしれないので食べない。もしかしたらエサを持ってこないかもしれないが。でも特に食ってやろうという気にはならなかったので、どのみち食べないと思う。
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