第14話 遊んでくれる浪人生

「先輩、あいつまた来ましたよ」


 最近、夜になると、一人の青年がやってくる。


 まるまるとした立派な体をしているのに、覇気がないのか弱々しい。毎日独創的な寝ぐせをつけて現れる。


 今日も私たちとは距離をとってしゃがむ。何やら、カラカラと音がするものを振っていた。


「昨日は確か、ダンボール振ってましたよねえ」


 周りの人間は、彼を避けて歩いていく。


 見た目が、かなり怪しいのだ。口元には薄ら笑いを浮かべているし。


「あれ、確実に僕らに向かってアクションしてますよね」


「おそらく」


「嫌だなあ。ストレスでハゲそうです」


 と、ふさふさの毛並みを震わせた。


「うさ……うさぎちゃん……うさぎちゃん……」


 ニタニタしている男は、周りの人間に聞こえないよう、努めて小さな声でそう繰り返していた。


 気を引きたいのだろうが、気味が悪くて近寄る気がしない。


「正直、今日のカラカラしてるやつは、ちょっと気になっちゃいますけどね」


「あれがか?」


「楽しくて跳ねたくなっちゃう音じゃないです?」


「私は、そうとは思わないが」


「僕、ちょっと見てこようかな」


 ジョンソンがそわそわし始める。


「やめとけよ」


「そうですよね……やめとくべきですよね」


 とは言ったものの、ジョンソンは音の方から目を離せずにいる。


「そんなに気になるのか」


「ぶっちゃけめちゃくちゃ気になりますね~。本能的な感じで」


「でもあいつ、あれで私たちをおびきよせて、取り殺すかもしれないぞ」


「近づくのはちょっと怖いっすよねえ」


 しばらくすると、青年は残念そうに溜息をついて立ち上がる。大きな背中を丸めて、トボトボと帰っていった。


「哀愁漂う背中っす」


「いなくなったことだし、シロツメクサでも食べるか」


「賛成でーす!」


 私たちは人もまばらになった公園で、腹ごしらえをした。


 青年は、次の日もやってきた。


「こりないヤツですねえ」


 今日は、昨日持っていたカラカラ鳴る物と、新たに良い匂いのする物を持っていた。


「これは……」


 鼻の奥に抜けていくさわやかな香り……そう、それはどこか懐かしくなってしまう草の香り……。


「いぐさだ!」


 突然大声を出した私に、ジョンソンはびくりと身を震わせる。


「なんっすか」


「あいつ、今日はいぐさを持っている」


「これいぐさっていうんすね~。いい香りっす」


「元ご主人が、これを私のゲージに入れてくれてたんだ。懐かしい」


「じゃ、先輩、今日はちょっと行ってみませんか?」


 私はもう、いぐさをかじりたくて仕方がなくなっていた。

 思わず頷くと、ジョンソンはダッシュで青年の元へ駆けこんでいく。


「う、うわ、うさぎちゃん、う、うさぎちゃん!!!」


 人間にも聞こえる声量で言うので、近くを通っていた人が急いで距離をとる。かわいそうなものを見る目が、青年に集まった。


 しかし彼はジョンソンに夢中で、そんなことは全く気にしていなかった。


「君は、ボールかな?それともいぐさかな?」


「ボールっす!」


「こっちかあ、そうかそうか」


 と、ボールでジョンソンと遊び始めた。


 私がおずおずと近づくと、青年はにっこりと笑う。こっちの笑顔は、なかなか悪くないな。


「君も、ボールかな?」


 私はいぐさだ。


 いぐさを持つ左手に近づくと、青年は察していぐさを私に近づけてくれる。

 久し振りの匂いに、私は感激する。軽やかな歯ごたえも、記憶の中のままだ。


 私は一度に、たくさんのことを思い出した。元ご主人が小さく切ってくれるにんじん、たまにくれるきゃべつ、外に出してくれたときは、トンネルで遊ばせてもらったなあ……。


「わーい。ボールを追いかけるのも楽しいっすね!」


 ジョンソンはカラカラと転がるボールを、自分の鼻先で蹴り飛ばすようにしながら追いかけている。器用なヤツだな。


「嬉しいな。うさぎちゃんたちが来てくれて。毎日違うおもちゃを持ってきた甲斐があったよ。今回のを、気に入ってくれた?」


「気に入りました~」


 今日もジョンソンは、聞こえもしないのに律儀に答える。


「俺は浪人生なんだ。正直もう勉強に疲れちゃってさ……毎日予備校には行ってるんだけど、何も頭に入ってくなくて」


 って、うさぎちゃんに言ってもしょうがないか。青年あらため浪人生は、私の頭をなでた。


「俺はあんま勉強できなくてさ。でも、親がいい大学行けっていうから、浪人生やってるんだ。……正直、また1年勉強したところで、駄目だろうなって思っているんだけどね」


 でたぞ。人間の「●●できなくて落ち込む」生態。


 食べる物があって、帰る場所があれば十分だと思うのだが。


 人間にはやらなければならないことが多いから、そうもいかないのだろうけど。


 私はちょっと、いぐさを引っ張ってやる。ちょっと見上げると、浪人生は嬉しくてたまらないといった表情をしていた。


 ふふふ。狙い通りだ。


 これでお前もエサ補給要員になるがいいぞ。


 私と浪人生は、しばらく引っ張り合いをして遊んだ。ジョンソンはずっと1人で遊んでいた。


「よっし、今日はうさぎちゃんたちと遊べたし、明日からは頑張るかな!」


 ジョンソンが飽きてその辺のシロツメクサを食べ始めた頃、浪人生は立ち上がった。


「じゃあエサ持ってきてください!なんか、あまりものとかでもいいっすから」


「それじゃあ、明日も来るね~」


 もう浪人生は声量への配慮ができていない。完全に不審者に向ける目線を浴びながら、意気揚々と帰っていった。


 何も無い暗闇に向かって手を振るデカい人間……そりゃ怖いよな。


「楽しかったっすー!久し振りにおもちゃで遊びました」


 ジョンソンは嬉しそうに飛び跳ねた。


「私もいぐさを久し振りにかじることができて、楽しかったよ」


 口元に残ったいぐさの匂いで、とても気分が良かった。


「あの人、追加でエサも持ってきてくれたら、満点っすね!」


 テストで点数を取るのは難しいかもしれないが、うさぎの好感度は簡単にとれるぞ。勉強なんかよりも、うさぎのご機嫌とりに励んでほしいものだ。


「それにしても、嬉しそうに帰っていきましたね」


「周りの人間には引かれてたけどな」


「暗い人なのかなと思ってたから、意外でした」


「気分転換になったのかもな」


「僕たち、人にパワーを与えてますよね!けっこう良いことしてるから、人間に生まれ変われそうなもんなのになあ」


「人間に生まれ変わったら、逆に、うさぎに元気をもらうようになったりしてな」


「あはは!面白いっすね!」


 落ち込んだり、何かに悩んだりしている人間ばかりだ。力を得る代償とはいえ、大きすぎるように思えるのだが。


 それとも、悩める人間だけが、この広い公園の中からうさぎを見つけられるのかもしれない。



【本日の人間】

 太っているので、肉がやわらかそうだ。でもなつかしい気持ちになるおもちゃを持ってきてくれる珍しい人間なので、食べようとは思わない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る