第8話 妖怪のおじいさん
春休みが終わった。
絵描きの少年は嬉しそうに学校へ通い始め、あまりここへ来なくなった。かわりに学校に行けない女の子がまた毎日来るようになったため、にんじんには困っていない。
それでも、腹を満たすには物足りない。
夜になったら草を食べよう。のんきに寝ていたが、冷たい雨に起こされた。
私は慌てて、屋根の下に逃げ込んだ。せっかく夜になったのに。これじゃご飯を食べに行けないじゃないか。
雨が止むまではひもじいままか。
しとしと降る雨の音を聞いていると、夜なのに眠くなってくる。まあ、慢性的に寝不足だしな。私は二度寝の夢へ落ちて行った。
「よう、ここにおったか」
突然声が降って来て、私は文字通り跳ね起きた。
うさぎはとても耳がいい。近づいてくる足音があれば必ず目覚めるのに。
立っていたのは、腰の曲がったじいさんだった。
雨が降っているのに、傘を持ってすらいない。街灯に照らされている感じも、なんだか不気味だった。
「うさこちゃんや。元気しとるか」
私の名前はうさこちゃんではない!私の名前は……名前は……。
名前は……?
あれ、なんだったかな……。
「今日はいい天気でなあ。つい外に出たくなってしもうた」
と、まるで知り合いであるかのような親しさで話しかけてくる。
というか、いい天気ではないし。
じいさんは、屋根の下にあるベンチに座った。
「いい雨じゃ。毎日こんな天気だったらいいのに。のう、うさこさんよ」
うさこじゃないし。別兎と間違えているのか?もしかしてらボケているのかもしれない。
逃げたい気持ちはやまやまだが、どうしても雨に濡れたくない。
「ワシもこんな風にまるっこかったのう」
老人は私を見ながら、懐かしそうに言う。
「ワシね、ほんとは妖怪なのよ。すねこすりって知ってる?雨の日の夜に人間の足をひっかけてこけさせる、なかなか可愛い妖怪なんじゃが」
……このじいさん、やっぱりボケている
「まるっこい、犬みたいな姿の妖怪じゃ。……久々に、元の姿に戻ろうかの」
どろん、と低い音がして、老人がいたはずの場所には煙が漂っていた。
どこへ行ったのか……?
「ここじゃよ」
目の前に、犬とも猫ともつかない奇妙な動物がいた。
異様に丸い。耳もペタンと閉じられているし、鼻のラインも目立たない。遠くから見たら、漬物石とそう区別はつかないだろう。
何かを企んでいるような目つき。妖怪というのだから、確かに普段見る生き物とは違った雰囲気がある。
でも、なぜか、親近感がわいた。
「この姿なら、しゃべれるじゃろう」
「ほんとか?」
「ほんとじゃ」
驚く私を見て、すねこすりはにんまりと笑った。
やっぱりちょっと、不気味だなあ……。
「ワシ、もう五百年くらい生きてるの。妖怪にも病気とか色々あるから、結構スゴいことなんじゃ。で、神様から褒美として、人間に変化する術をもらったわけ」
「どこにでも、不思議な力を与えたがる神様はいるもんだなあ」
「おぬしも、なんか力をもらっとるじゃろ?そんな力を感じて、会いにきたんじゃ」
親近感の正体は、これだったのか。
私は、神にもらった力のことを説明した。
「なんと、ライオンになれるのか」
そっちが気になるのか。人間食べる方の力が、メインなんだけど。
「いいなあ。ワシ、もっと強くてゴリゴリマッチョの青年になりたかったんじゃ。でも年寄りの妖怪にそれは無理だと言われてしまって」
どこの神も、あまり融通はきかないものなんだな。
「でもね、じじいもなかなか便利なんじゃよ。人間にとって変なことをしても、ボケてるだけだと思ってもらえるし」
「たしかに」
私もさっき、そう思ったばかりだし。
「ワシは、死んだことを誰にも気づかれんかったじいさんに成り代わっておってな。広い一軒家で過ごしとるんよ。昼は眠いで外に出られんから人目につかん、貯金もあったで税金とかの支払いもバッチリじゃ」
「人間の世界の仕組みを知っているのか?元ご主人様を見ていたが、複雑そうで私には全然分からなかったが」
「これでも五百年生きておるからの。色々知っておるんじゃよ」
得意げに胸を反らしても、すねこすりは丸いままだ。
「うまいこと住めておったんじゃが、最近ちと怪しまれておってな。他の所に移り住んだ方がいいかもしれんと思っとって、散策をしておるんじゃ。そんでおぬしを見つけて、ちょっと話したいなあって思ったんじゃよ」
「私は全然気づかなかった……。見た目は普通のじいさんだし」
「実はね、おぬしも妖怪かもと思ったんじゃが。神様に力をもらっとるだけで、ふつうのうさぎじゃったな」
こんなにプリティなうさぎさんが妖怪なワケないだろ!人間からも毎日可愛がられてるんだぞ。
「それで、どんな人間を食べるつもりなんじゃ?」
「まだ決めていない。ゆっくり人間を観察して、練っていくつもりだ」
「そうか。しかし、気をつけるんじゃぞ。たまにおるから、人間の見た目しとるだけで、人間じゃないやつ。ワシみたいなさ」
「そうは言っても、たくさんはいないだろう」
「いいや。意外とね、いるもんじゃよ」
すねこすりはまたニヤニヤと笑う。
私を驚かせようと思って、嘘をついているのだろうか。
とはいえ、目の前にいるのだ。人間の姿になれる妖怪が。
「見分ける方法はないのか?」
ライオンに変身して、さあ食べるぞって時に「実は妖怪でした~」なんてことになったら最悪だ。
「見た目は同じだからなあ。ワシも実はよく分からない」
「分からんのかい」
「でも、おぬしに近づいてくるヤツは、自分ホントは妖怪ですってバラしてくれると思うぞ。きっとワシみたいに親近感を覚えるはずじゃから」
ぜひそうしてほしい。
「ところでうさこさんよ、腹は減っておらんか?エサを持ってきてやらんこともないぞ」
こう見えて家庭菜園が趣味でな、とすねこすりは片目をつむってみせる。
「それは嬉しい!今日は雨でごはんが食べられないから、助かる」
「分かった。持ってこよう」
またどろん、と低い音がして、煙が立つ。腰の曲がったじいさんが「それでは、またあとでな」と手を振った。
いやあ助かる。何を持ってきてくれるのだろう。ワクワクしながら待つ。
……そういえば、私の名前はうさこじゃないと訂正するの、忘れてたな。
しばらくすると、雨が止んだ。
私はじいさんを待ったが、やって来ない。地面が濡れているのも気持ちが悪くて嫌なので、屋根の下で待っている。だが、とうとう夜が明けてしまった。
――すねこすりって知ってる?雨の日の夜に人間の足をひっかけてこけさせる、なかなか可愛い妖怪なんじゃが
じいさんの発言を思い出し、私はハッとした。
もしかして、雨が降っていないと外に出られないんじゃないだろうか。
まったく、期待をさせやがって。ぐうぐう鳴る腹を抱えて、私は眠りについた。
【本日の人間(?)】
人間の姿をしていても、それが人間とは限らないなんていう、妙なことがあるらしい。妖怪は食べたくないので、きちんと確認をしなければならない。
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