頭の痛くなるようなアラーム音が鳴り響く。啓太は唸り声をあげてそれを止めた。しばらくボーッとした後、頭を軽く振ると、両頬を強く叩き、「よしっ」と声を上げて起き上がった。朝食はトースト一枚と野菜サラダ。サラダの中には昨日の晩の残りである鶏ささみを小さく裂いて入れてある。それと、冷蔵庫から牛乳を取り出して賞味期限を確認し、カップに注いだ。


 テレビに映るのはなんてことの無い朝の情報番組。だが、その中に話題のおもしろ動画を紹介するコーナーがあり、啓太は最近それに少しはまっている。サラダを口にしながら、軽く笑う。それから、クリーニングに出したばかりのスーツに着替え、家を出た。


 満員電車に流されながら、ふと窓の外を見る。雲一つない青空に小さく飛行船が飛んでいた。珍しいものを見た、と啓太は一人笑った。やがて、会社の前に辿り着く。一回深呼吸をして、彼は飛び込んだ。


「辛い、息苦しい。楽しくない?分かるよ。よく分かる。俺もそうだったから。っていうか今もそうだし」


 昼休憩の時間。啓太は後輩の男と共に、サラリーマンで賑わう安い蕎麦屋に来ていた。注文したのはたぬき蕎麦。後輩の男は、天ぷらの乗った蕎麦を注文した。


「でもな、どんなに昔に戻りたい、やり直したいって思ったって、それは無理なんだ。そんなこといくら考えたって仕方がないこと。それよりも、今を全力で駆け抜けて、早く未来に進む事を考えるんだよ。未来から見たら、辛い今だって過去の思い出の一つなんだから」


「はあ……」


 後輩は力なく頷いた。そして、モソモソと天ぷらを齧る。そんな姿を、啓太は苦笑いして見ていた。悩んでいる時に他者からかけられるポジティブな言葉ほど鬱陶しいものは無い。それは分かっているのだが、つい声をかけてしまう。魔法の言葉は、自分自身で見つけるしか無いのだ。俺は、少しはその助けになれるだろうか。そんなことを考えながら蕎麦を啜った。


 啓太自身が魔法の言葉を見つけたきっかけは、一人の不思議な少女だった。名前も知らない彼女が戦いに向かう背を見届け、見送ってから五年。未だその姿を見ていない。安否は不明だが、彼の中には確信があった。苦しみ、悩み、もがきつつも、あの時の魔法少女は今を全力で生きている。そう思える。


「松川さん。ありがとうございました」


 昼飯と悩み相談のお礼を後輩から言われ、啓太は静かに笑った。


「気にすんなよ。さ、午後の仕事も頑張って耐え抜こうぜ」


 そんなことを話しながら、二人の勤め人は蕎麦屋を後にした。


 二人と入れ替わるように、リクルートスーツを着た女性が蕎麦屋に入ってきた。落ち着き無い様子で時間を確認しつつ、蕎麦と小さなカレー、そして揚げ物を一つだけ注文した。蕎麦を食べつつも、時折鞄の中のファイルから履歴書を取り出して、その内容を見返し、確認する。


 名前の欄には『葉櫻綾乃』という彼女の名前が書いてある。前に受けた企業に提出した履歴書で、あろうことか自分の名前の文字を間違えていたことがあった。そういうケアレスミスが一番怖い。彼女は注意深く自身の名前を見直した。


 志望動機や特技、経歴、これまで取り組んだことなど色々な欄がある。彼女は過去に一時、人とは違う特別な経験をしていたこともある。だが、それは履歴書に書けるようなものでは無かった。どんなに貴重な体験であっても、企業受けするものでなければ就職活動において意味は無い。


 やがて約束の時間が近づき、綾乃は緊張した面持ちで蕎麦屋から出た。ふと空を見上げると、青空に小さく飛行船が飛んでいた。珍しいものを見たな、と彼女は一人笑うと、気を引き締めて面接会場へと向かった。


 立派な大人になるために。今日も彼女は苦しみ、悩み、戦い続ける。明るい未来を目指して、全力で駆け抜けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女と歯車 繭住懐古 @mayuzumikaiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画