それから幾つかの日にちが経過した、とある休日の朝。男の部屋を魔法少女が訪ねてきた。足元には白いブルドッグを連れている。その日がきたと、彼女は告げた。


 男の自宅から十数分の最寄り駅。そのすぐ近くのスーパーで、男と魔法少女はカートを転がし、食べ物を物色していた。


「これも食べたい!」


「そうか」


 少女が指さしたから揚げを、男はカゴに入れた。カゴの中はすでに様々なお惣菜やお菓子、ジュース類が山のように積み重なっていた。少女は少し心配気に男を見る。


「でも、良いの?こんなにいっぱい……」


「良いんだよ。ラスボス戦前なんだから。勝利の前祝いみたいなものさ」


 ビニール袋いっぱいに買った食事を詰めて、それを持って二人は店の外に出た。大きなエコバッグを持っていれば良かったかなと少しだけ男は思った。


 少女が杖を振るうと強烈な閃光が発せられ、二人はまた星空の公園に立っていた。公園内にある木製のテーブルに買ってきたものを広げて、宴が始まった。男は自分用に買ってきたビール缶に指をかけた。


「大人は、何かあるとすぐにお酒を飲みたがるわね」


 オレンジジュースのペットボトルを開けながら、少女がからかうように言う。男は小さく苦笑した。


 ボトルと缶が軽くぶつかり、二人はそれぞれの飲み物に口をつけた。それから、総菜や菓子を食べながら二人は話をした。最初は他愛もない世間話から始まり、少し笑える話や、日常のちょっとした愚痴、悩みなど、後になったら忘れてしまいそうなどうでもいい内容の会話が続いた。


「俺が君くらいの歳の頃は……」


 酒で若干頬を紅潮させながら、男は語る。


「毎日楽しかった?」


 少女が付け足した。


「……ああ。今思えばな。けど、当時は違った……と、思う。大変なことや辛いことが色々あった」

「そうなんだ」


 少女はオレンジジュースを一口飲み、ポテトチップスを齧って続けた。


「……あたしも、そう。楽しいこともあるけど、大変なことや辛いこともたくさんある。たまにね、ちょっと考えることもあるわ。もし、過去に戻れたらって。魔法少女にならない選択肢を選んでたら、どうなったんだろうって。後悔はしていないつもりだったけど……」


「『過去に戻れたら』か。分かるよ。痛いほど」


 男自身は何度そう思ったことか、分からない。


「それでも、過去には戻れない。それは確かなことなんだ。だから、過去に戻りたいって考えることは悲しいことだよ。それよりも、前に進むべきなんだ。今が辛いのなら」


 魔法少女は男の目をまじまじと見た。男はさらに話し続ける。酒の上での言葉だが、魔法少女との邂逅から現在に至るまで、男自身が悩み考えて得た答えの一つだ。


「今が辛く、苦しいからこそ、今を全力で生きるべきなんだ。きっと。必死に、必死に、今を走り抜けて、辛い現実を過去にするべきなんだ。多分。今より明るい未来へ、全力で向かうべきなんだ。今の辛い現実も、いつかは笑い話にできるから。いつかは『良い思い出』と言える日がきっと来るから。そんな未来に早く、早く、辿り着くために。現在を全力で駆け抜けるべきなんだ」


 それは、男自身が見つけた魔法の言葉であった。男は、グビッと缶の中身を一気に飲んだ。少女は紅くなっていく男の顔を見つめながら、木のテーブルに腕枕を置き、頬を横たわらせた。


「あたし、今は楽しい。でも、同時に怖くて、辛いの。過去に戻って、逃げ出したいって、どうしても思っちゃう。戦いたくないって、嫌だ、嫌だって、考えちゃう」


 テーブルに頭を乗せたまま、男が置いた缶を見た。


「それを飲んだら、怖いって感情は無くなるかな?楽しさだけで心を満たせるかな」


 そう言いながら、少女は男の飲みさしの缶に手を伸ばす。缶に触れた手を、男はそっと止めた。


「だめだよ。これは大人の飲み物だ。君はまだ、大人じゃない」


「経験させてよ。大人を。もしかしたら……」


 少女は一瞬口をつぐみ、また開いた。


「もしかしたら、なれないかもしれないから」


「なるんだよ。大人に」


 男ははっきりした口調で言った。


「子供はいつか必ず大人になる。でも、それは今じゃない。全ては戦いが終わったその先だ。そうだろ?」


 少女は少し眠たそうな半目で、缶をじっと見ていた。


「どんな飲み物なの?お酒って。教えて」


「そうだな……。雨音みたいなものかな」


 少女は顔をあげて、男の顔に目を向けた。


「人の気持ちを増長させる効果があると思う。良い気持ちも、悪い気持ちも。だからこそ、良い時や楽しい時にこそ飲みたくなるものだな」


「今、楽しい?」


「ああ。だってそうだろ?君は、魔法少女として立派に戦い抜いて、無事に卒業して、いずれは立派な大人になる。色々な苦しみや辛さを乗り越え続けて、幸せな未来を目指して進める大人にきっとなる。これは、その前祝いなんだから」


 男は真っ赤な顔で弾けるように笑った。それを見つめる少女の口元にも笑みが浮かんだ。


「……太陽みたい」


 それから、どれくらい話したのだろうか。分からない。相変わらずこの空間には時が存在せず、この宴は永遠に続くようにすら思えた。だが、それでは未来には進めない。今を過去にすることが出来ない。全てを食べきった後、少女はゆっくりと立ち上がった。男はその姿を見上げた。少女の姿と、背景の星屑たちが無音で煌く。


「あたし、全力で生き抜く。頑張って、頑張って、走り抜ける、今を。今を明るく楽しい思い出にするために。そんなこともあったねって、あなたとお酒を酌み交わせるように。だから……」


 少女は杖を手に取った。ゆっくりと杖の先が光を放ち、それはどんどんと強くなっていく。月明かりのように儚く淡く冷たく美しい煌きとなる。


「だから、見守っていて。見届けて。あたしの変身」


 男は頷いた。杖から溢れた光の煌きが少女を包んで膨らみ、弾けた。男の目の前には魔法少女が立っていた。「行ってくる」と彼女が笑うから「行ってこい」と彼は答えた。

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