6〈魔法少女と戦い〉
魔法少女がいようがいまいが、日々は続く。彼女と出会う前と後で、特に生活に大きな変化があったわけでも無い。
相変わらず頭痛のするようなアラームで目を覚まし、ボーッとした頭で少ない朝食を食べて、満員電車に揺られ息苦しい職場へと向かう。昼は軽く早く食べられるものを人の混み合う店で食べて、夜は疲れた身体を引きずり一人、家へと帰る。
一つ変わったことがあるとしたら、空を見上げる回数が増えたということだろうか。晴れの日、雨の日、そして曇りの日。天気によって気持ちが左右されることはそんなに無いが、雨の日には少し楽しいことを考えるようになった。
楽しいことは常に過去にある。現在も未来も輝きを持たずに不透明で薄暗い。
明るい思い出は相変わらず学生時代の出来事が多いが、時折魔法少女が出てくるようになった。初めて出会った人ごみの中や、うどん屋での会話、歯医者帰りの雨の日や、芋ようかんソフトを食べたこと。
魔法少女の思い出と共に湧き上がる、辛く息苦しく憂鬱で無気力な日々。そして少女の言葉の数々。
少女の言葉が魔法の呪文のように作用して、雨音を何か素敵な映画のBGMかのように感じさせた。気分を盛り上げてどこかドラマチックにさせるBGM。感情を増長させると言うのはこういうことかと男は思った。辛い時、寂しい時でさえも雨の中で一人鼻歌を歌えば、ネガティブな感情もペーソスやノスタルジックといった綺麗な表現に変換できる。それは悪くない心持ちだった。
ある日の仕事帰り。曇天の夜空の下を男はゆっくりと歩いていた。自宅近くの緩い坂道に差しかかった時、その坂の一番上の街灯の下に、白いブルドッグが静かに座っていた。異質で不気味な雰囲気を纏い、男を無言で見つめている。男は、何とはなしにブルドッグに話しかけた。
「あの子は元気かい?」
ブルドッグは何も発さずに黒い瞳で男を見つめていた。途端、強い光に包まれ、男は目を瞑った。そっと目を開くと、真っ暗な公園に男は立っていた。空を見上げると満天の星空が輝いていた。天の川が広がり、時折流れ星が光る。
しばらく見とれていると、何か小さな物音がした。小さな公園のすみにこれまた小さなベンチがあり、その上に何かが横たわっている。小さな物音はそれだった。男が恐る恐る近づいて見ると、それは魔法少女だった。寝ているようだが何かがおかしい。呼吸が荒く、顔色が悪い。そっと掌に触れてみると熱い。額に手をやる。明らかに高熱であった。
医療機関に連絡すべく、男は懐からスマホを取り出した。しかし全くの圏外であり、いかなる通信手段も使うことが出来ない。それならばと、近所に助けを求めるため公園の外へと向かったが、目に見えない強力な力に跳ね返されて公園から出ることが出来なかった。
男は看病するための道具も、タオルや水なども持っていなかった。せめてもの対応として自分の着ていた上着を少女にかけた。少女の具合は一向に良くならないばかりか、心なしか表情はより苦しそうで息もさらに荒くなっている。何も出来ない男は、無意識に少女の手を握っていた。ふと、足元を見るとブルドッグが古い電球のようなものが付いた杖状の何かを咥えて男を見つめていた。
男はその杖を受け取ると、少女の手に握らせた。少女が薄っすらと目を開く。ゼエゼエと息をしながら、半目で男の顔を見た。
「……おにい...さん?」
その時、杖の電球が淡く暖かな光を放った。その穏やかな光が数分間少女と男を包み、やがて消えた。辺りは再び真っ暗になった。少女の呼吸は穏やかになり、静かに眠っていた。表情も少し穏やかになったようだ。
時計が止まっていたため詳しくは分からないが、一、二時間ほど過ぎただろうか。ガバッと少女が上体を起こした。しばらくそのまま呆然としていたが、自身にかけられた上着に目を落とすと、男の方を見た。
「あ、あれ。なんでここに……?」
男は何も答えず、足元にいる白いブルドッグを見た。どう説明すれば良いか分からなかったのだ。男自身も、何故ここにいるのか理解していなかった。少女は、ブルドッグに視線を移すと、納得したように頷いた。男はそっと聞く。
「気分はどうだ?」
「うーん……。気分は楽になったかな。まだ少しふらっとするけど……」
少女はゆっくりと立ち上がろうとした。それを男は止めて、もう少し横になっているように言った。それから改めて周りを見回して聞いた。
「ここは、どこなんだ?」
「なんて言ったら良いのかな……」
少女は目を瞑った。
「あたしの個人空間ってとこかしら」
曰く、魔法少女と呼ばれる者は皆、自分だけの特殊な空間を持っているらしい。その空間の内装は人によって違い、彼女の場合は満天の星空が輝く夜の公園だ。基本的には、彼女自身と彼女が許可したものしか入ることはできないそうだ。
横たわったまま目を瞑り、少女は静かに呼吸する。男はそっと上着をかけ直しつつ、言う。
「家に帰って、布団の上で寝た方が良いんじゃないか?」
「この空間は治癒効果もあるから。魔物からのダメージを癒すにはここの方が良いの」
少女の言葉で、男は彼女の熱がただの風邪ではないということを知った。ちらりと足元のブルドックを見る。ブルドックは男の方には目もくれず、冷たい無表情で真っ黒な目を少女に向けていた。
「熱は、魔物と戦ったせいなのか」
「珍しく、しくじっちゃった!」
少女は声を大きくして笑った。男の言葉を遮るように。これ以上何も聞くなと言わんばかりに。男は何も言えなかった。本当は問い詰めたいことがたくさんあった。だが、それは聞いてはいけない気がした。そしてもし尋ねたところで、彼女は否定するとしか思えなかった。
少女はやがて、再び眠りについた。静かな寝息が聞こえてくる。男は、少女の寝るベンチの隣にあった別のベンチに座り、星空を眺めていた。どれほどの時間が経っただろうか。男は少し眠くなり、少しだけ目を閉じた。
「~さん。ぃ~さんっ。お兄ぃ~~さん!」
肩を揺らされ、男は目を覚ました。ぼんやりとした視界が定まると、目の前に魔法少女の顔があり、こちらを見つめていた。男はハッとして聞いた。
「今、何時だ⁈」
「この空間に、時間は無いわ」
少女は爆笑を堪えているような半笑いで言った。
「お兄さん、ぐっすり寝てたよ?疲れてるのね」
にやにやと少女はからかうように笑った。男は少し頭を振ると、立ち上がった。少女は綺麗に畳んだ上着を男に手渡した。
「ありがとね。看病してくれて」
「……。んいや、俺は何もして無いし……」
「そんなこと無い。嬉しかった」
少女は男の顔から目を反らし、肩の辺りを見て言う。それからふわりとベンチに腰掛け、夜空を見上げた。男もまた少女の目線と同じ方向を見上げた。星の並びは先ほどと全く変わることなく、同じ場所で流れ星が流れた。
「あたし、たまに思うの。永遠にこの場所に隠れていたいって」
男は少しだけ顔を動かし、目の片隅で少女の方を見た。表情は読み取れなかった。
「でも、それじゃ楽しくないものね」
時間の止まった特殊空間。恐らく、この世界では歳をとることも死ぬことも無いのだろう。だが、心の時間だけは止められない。
「ごめんなさい、長い時間付き合ってもらっちゃって。もう帰ろう。元の世界へ。お兄さん」
「ああ」
男は小声で答えた。少女は古びた杖を手に取った。彼女が杖を構えた瞬間、男は尋ねた。
「また、魔物と戦うのか」
「それが、魔法少女だから」
そう言ってにこっと笑うと、少女は杖を振るった。
杖が光を放つ瞬間、男は咄嗟にその杖を掴んだ。少女は少し驚いた表情で手を止め、男を見た。辺りは依然暗いままで、星だけが輝いている。少女の持つ杖を手で抑えながら、男は少女を見た。少女もまた男の顔を見つめ返していた。
「ど、どうしたの……?」
少女が恐る恐る口を開いた。男は静かにそっと杖から手を放しつつ、意を決したように言う。
「辞められないか……?魔物と戦うの」
「え?」
「魔物は倒さなきゃいけないものかもしれないけど……。それで傷つくことは、君が傷つく必要は無いはずだ」
大して事情も知らない者が外野からそんなことを言うのは無責任極まりないだろうことは分かっている。それでも、魔物との戦いで高熱を出し苦しんでいた彼女を目の当たりにした。そして何より、気が付いてしまった。あの時の言葉の意味に。
「……あたしは大丈夫だから」
少女は静かに笑った。その笑顔からは何も分からない。
「あたしは、自分で望んで魔法少女になったの。世のため、人のために戦えるなんて、素敵なことでしょ。それに選ばれるなんて、名誉なことだし」
男の顔を正面から見つめて、魔法少女は言う。その瞳を見たら、男はもう何も言えなくなってしまった。彼女に傷ついてほしくないというのは、自分の我儘なのかもしれないとすら思う。
「心配してくれて、ありがとう。嬉しい」
見つめる少女の笑顔から、男はばつが悪そうに顔を反らした。少女は背伸びをして男の顔に両手で触れると、自分の方へ向けた。二人は見つめ合った。
「心配してくれるなら、見てて、あたしを。そして応援して欲しい。魔法少女の最後の戦いを」
「最後の?」
男は少女の表情を見た。少女もまた男を見つめ続ける。
「魔法少女は、一定の期間戦い続けて生き残ったら、最後は卒業するの。でもその前に大物の魔物を倒さなくちゃいけない。それが『ラスボス』なの。あたしは負けた。でも、次は勝つ。そして、今度は無事に戻ってくるから。大人になるために」
それは、一人の少女が背負うには重すぎる覚悟であるように男は感じた。止めたい。辞めさせたい。だが、それは魔法少女の望みに反する。彼女を子ども扱いして危険だからと使命から遠ざけようとするのは、男のエゴだろうか。彼には分からない。
自分が彼女くらいの歳の頃を思い出す。子ども扱いして抑え込んでくる、『守る』という言葉で首輪をつける声。明るい記憶しか無いと思っていた学生時代、そのリアルタイムは決して楽では無かったはずだ。辛い、辛い、辛い、息苦しい、薄暗い、分からない。そんな感情が渦巻いた日々を今まで忘れていた。
「これまで、ずっと一人だった。誰にも知られないまま戦ってた。それで良いと思ってた。でも、ほんとは知って欲しかったんだ。応援して欲しかったんだ。今気づいたの」
「そうか」
男は、そっと少女の両手を取り、自分の顔から離した。両の手を繋ぎ、男は静かに言った。それは、『大人』としては出してはいけない答えだった。
「分かった。頑張れ」
「ありがと」
少女は満面の笑みを浮かべた。男は頷いた。
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