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「オカリナの、音色に誘われて来てみれば……」

 累は猫背宅の廊下に立ち尽くしている。

「部屋が、すっごい綺麗になってる!」

 突入作戦から数日後、猫背の部屋を訪れた累は驚くべき光景を目にした。

 猫背の部屋が、まるで人間が住んでいるかのように片付いていた。大量の参考書は本棚に整頓され、食器は洗われ、服は畳まれている。以前までとはえらい違いである。

「おや、累ちゃん、いらっしゃい。今日はなんの用事かな?」

 ベランダから、オカリナを携えた猫背が出てきた。累は目を丸くしている。

「い、いえ、アポなしだったんですけど、偶然この辺りを通りかかったらオカリナの音色が聞こえたもので……」

「そうかそうか、まぁどうせ暇だし、ゆっくりしていってよ。なんか飲む?」


「そういえばなんですけど、結局どうして早川は薬をやってたんですか?」

 累は綺麗すぎる部屋に落ち着かない様子で、両手でマグカップを抱えている。

「? さぁ? 特に聞いてないけど」

「え、知らないんですか。一番大事なところでしょう」

 累は呆れ気味だ。「そこが知りたかったのに」と顔に書いてある。猫背は頬杖を突く。

「動機が重要なのはドラマの世界だけだよ。実際では、物理的な行為を排除できただけで丸く収まる」

 猫背は熱いコーヒーに手が出せず、マドラーでひたすらかき混ぜていた。

「まぁパッと思いつくのは、学業不振か、パートナーと別れたか、バンドに納得いってなかったのか……別に、そこは私が関与するところじゃないよ。これからの治療の過程でそういう心理的なところにもメスが入るだろうし……」

 猫背は一度言葉を区切って、

「それに、彼には友達がいるからね。あとはあっちでなんとかするだろうさ」

「……そんなもんなんですか」

「そんなもんだよ」

 猫背はおそるおそるコーヒーに唇を近づけ、「あちっ」と仰け反った。

「まぁライブハウスの欠員に関してはすぐ解決できる問題じゃなかったけど、Feelin’ Blueの皆が代わりのバンドを必死に探してるみたいだ。そのうちなんとかなるんじゃないかな」

 それで、今回の件は終了する。

 思ったより、いろいろなことが起きた事件だった。

「そういえば猫背さん、カーペット変えたんですね」

「お、分かるかい?」

 累は正座しつつ、足元の新品のカーペットを撫でる。薄緑色の爽やかな色だった。

「実は今回の件で、Feelin’ Blueから少しだけ謝礼を貰っちゃってね。折角だから新調しちゃった」

 猫背はカーペットに寝転がる。

「前のはだいぶ使って古かったからね。それに、床の一番下にある敷物を交換することで、否が応でも部屋の掃除をしなきゃいけない。我ながら名案! ついでに部屋を片付けられた!」

 累は無邪気に大の字になる猫背のさまを見て、フッと笑う。

「今回の片付けがいつまで保つのか、見物ですね」

「ふっふっふ、今回の私の決心は堅いぜ」

 見上げる窓外には桜。もう散りかけではあるが、未だ春は存在感を持って町を包み込んでいる。

 風に泳ぐ桜の花びらが見えた。

 コーヒーが飲める温度になるまで、もう少しだろうか。


〈了〉

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神使猫背の人助け 黒田忽奈 @KKgrandine

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