欲望の石城

 一週間ほどして警察に一枚のメモリーカードが届けられた。

 事件が起きた栃木県警にではなく、千葉県警山武署の北山に宛ててである。

「どうして俺なんだよー。だいたい、超グロいっぺー。あー、見たぐねぇ!」

「変なのに好かれたみたいですね」

 元相棒で今は自衛隊に勤務する黒岩が、横から覗いている。

「なんでお前がいるんだよ。この部屋は関係者以外立ち入り禁止だっぺよー」

「僕は署長直々の御指名で来ているんですよ。少しは歓迎してくださいよ」

 史上まれにみる凶悪な事件らしいからと、所内で総すかんを食らっている北山の相棒に、わざわざ署長が防衛省と掛け合っていた。

 それは承知しているものの、普段から大人しくて存在感が薄い上に、兵器マニアである事以外にはこれといって非常時にとりえと思える所のない男が黒岩である。

「どうしてお前なの? 確かに以前はバディーだったけどよ、昔の話だっぺな。頼りがいのねえ奴だものなー。足手まといにだけはなるなよ」

 今から先の事を心配する北山には、もう一つ不安材料がある。


 なんで俺なのと言いながらも、今回の猟奇殺人に関わる画像の送り先が、自分になっている事にまったく心当たりがないわけではなかった。

 北山の家は古くは幕府に仕える武士で、幕末の動乱期に東京を離れあちこち点々と住居を変えているうち、事件のあった地域にも住んでいたのである。

 北山がまだ十歳頃で、三十年悪魔の捜査にかかり切りだった父親が事件の十年後、通りすがりの男に殺されていた。

 三十年悪魔の仕業ではないかとの噂も有ったが、祖母の証言から犯人は祖父を殺した人物と同じだとされ、以後は久蔵と言う名の男を追うはめになった北山である。

 一方、久蔵は殺したのではなく助けようとしただけだと主張していた。


 結局久蔵の疑いははれ、北山は久蔵が妖怪化け物である事を知った。

 こんな経緯から久蔵と北山は悪行とも思える商売で協調する間柄となり、以後は良くも悪くも深い信頼をもって互いを見てきていた。

 今回の事件に関わる情報を送ってきた者の名は、久蔵とはしていないものの、蔵久となっている。

 匿名にも何もなっていないではないかといった勘ぐりが、北山の脳内を駆け巡っている。

 久蔵から遠回しの知らせとあっては、何か自分に協力して欲しいからであろう事は容易に想像できたが、何分動画の内容が強烈すぎる為に、全てをそのまま受け入れていいものかどうか、ひょっとしたら全てが作り物ではないのかと疑ってかかっている部分もある。


 一通り画像を見終え、動かない証拠となった動画を持って栃木県警へ向かう二人。

 電車の中ではすっかり旅行気分の黒岩が、一杯入ってすっかり良い心持ちになってきた。

「ねえ先輩。その動画って本物なんですか? 出来すぎと言うか、そんな画像を犯人に気づかれないで撮影するなんて不可能ですよね」

「普通の人間ならな。ただよ、送ってきたのが久蔵だっぺ。

それによ。見ていて気付いたんだけどな、一人殺した翌年には、その犯人が別の人間に殺されてるんだ。順番が決まっているみたいにな。翌年の犯人が撮影しているとすれば納得のいく画像なんだー」


 駅で買った弁当を広げ、北山が缶ビールを勢いよく開けると、泡が溢れくたびれたジーンズの膝にかかる。

「いい加減にそのジーパン替えたらどうですか。随分と使い込んで元取った感が満ち溢れていますよ」

 スリーピースで身成をがっちり固めた黒岩がバックからタオルを出し、泡で濡れた膝めがけて放り投げる。

「これー? 三本あって二日に一回は履き替えてるし、洗ってるっぺよ。おめえの着た切りスーツとは違うぞ」

 タオルで履きなれたスニーカーの汚れを拭き、くしゃくしゃにして投げ返す。

 それを受けた黒岩が、そのままタオルをゴミ袋に入れる。


「バックにタオルって準備は良いようだけど、ティッシュペーパーって物は入ってねえのかよ」

「生憎と忘れました」大きな旅行鞄を擦る黒岩。

「何入れたらそんなにでかいバックになるかなー」

 自分が持ってきた小さなリュックと見比べ、不思議そうにする北山がリュックから型崩れしていないティッシュペーパーの箱を引っ張り出す。

「四次元リュックか?」

「んっ? ハリネズミにもらったんだー。結構と物が入るし軽いし。重宝してるっぺよ」

「先輩、少しは常識を身に着けてくださいよ」と言いながらも、自分にも一つ欲しいと願う心が体全体ににじみ出ている。

「なんだったら御前にも一つもらってやってもいいけど」

「はい! 御願いします。感謝します」


 刑事時代に消防士が引き起こした誤爆事故に巻き込まれ、体の殆どが吹き飛んだにも関わらず、サイボーグ化とも言える大手術で奇跡の生還を果たしたのが黒岩である。

 この先一世紀かかっても同じレベルまで人類の医学科学は進化しないだろうとされている特殊技術の集大成として防衛省に所属し、特殊技術を持った団体の代表警護の任についている。

 今回の事件と代表には関係ないが、特別の計らいである。

 いかに警察署長からの嘆願があったとは言え、生きた極秘技術である黒岩を、簡単に外部組織に貸し出すはずはない。

 この二人を再びコンビにして、わざわざ千葉県警から栃木県警まで出張させるのには、影で恐ろしく強い力が働いている。

 その事を薄々感じ取っている二人ではあるが、深く追求するとあまり得策でない事も知っている。

 この場合は大人しく上の指示に従って、経費を使って旅行半分。

 事件には適当いい加減いい塩梅で向かった方がよさそうだと、内心を手繰れば二人共に同じ気持である。


 本来なら、現地に到着したら真っ先に地元警察に顔を出すべき者であるが、この二人は一杯でも酒が入ると抑えが効かなくなる性質を有している。

 駅前でぐるり辺りを見渡せば、動画に出てくる居酒屋が目に入る。

「とりあえず聞き込みだっぺー」

「いいですけど、先に荷物を宿に置きたいです」

「しょうがねえなー。貸してみろ」

 北山が黒岩のバックを奪い取ると、自分のリュックに押し込み始めた。

「先輩ー。いくらなんだって蛇じゃないんだから。それは無理ですよー・・・・・・…入った!」

「四次元だって言ったっぺ」

「本物?」


 店の中には何時もの板前が待っている。

 二人が同時に縄のれんをくぐって入ってくると、顔を確認するでもなく「いらっしゃい。お待ちしてましたよ」と声かけして、注文も取らずに生ビールと船盛を手早くカウンターに出した。

 置かれた席に黙って座る二人。

 ビールを二口ばかり勢いつけて飲み、同時にカウンターにジッョキを置いた二人が板前に聞く。

「待ってたの?」

「はい。もうすぐ店主とその御友人がこちらに到着するからと、これはサービスです」

 船盛とは別に作ったカツオのたたきに、容赦なくマヨネーズを乗せ、さらにその上からタバスコを満遍なくかけまくって差し出す。

 これを、躊躇なく北山が口の中に放り込む。

 黒岩はサイボーグの目でこの物質を科学分析した後、毒性がないと判断して口へと運んだ。


 店主とその御友人にまったく心当たりがないのではない北山、どうせ付録と自分を認めノンビリした顔つきの黒岩、二人が一時間ばかり飲んだくれていると、こっそり店の戸を開ける者がある。

 店主であるハリネズミと、今回の事件をリークした久蔵である。

 ハリネズミが外にかかっていた縄のれんを持っている。

 久蔵は春夏冬中と書かれた看板を閉めた引き戸に立てかけ、ハリネズミから渡された本日休業の看板を外にぶら下げた。

「おまたせ」

 ハリネズミ二人に挨拶する。

「やっぱりオメエらが関わってたのかよー。あーはっはっはー」

 すでに出来上がっている北山が二人を指さして笑う。

 長く待たされて飲み過ぎた黒岩は、半分寝た状態でこれを聞く。


「ハリネズミー、こいつも四次元リュックが欲しいんだってよー」

 自分のリュックをペシペシする。

「それ~? まだ有ったかなー」

 ハリネズミが足早に店の奥へと入って行く。

「証拠の動画は見てくれたか?」

 久蔵が北山の飲んでいた酒徳利を持ち、そのまま一気に飲み干す。

「ああ、見たけど作り物感満載だっぺ。どこまで本物よ」

「なに言ってんだよ、全部本物だー」

 北山の動物的直観に、若干の脅威を感じる久蔵である。

「所轄に問い合わせたんだけどよ、殺人事件ったって何とか愛って女社長が白骨で見つかったってだけらしいじゃねえか」


 黒岩が本格的に寝るために座敷へ移動すると、その後に久蔵が座って出ていた船盛をがつがつと食い始める。

「なんだよ。随分と時間がたってるじゃねえかこの生」

「久さんが遅れてきたからですよ。電話ではすぐにでもこちらに来るみたいな事を言っていたのに………」

 珍しく料理にけちをつけられた板前が反撃に出る。

「ああ、悪かったな。ハリネズミが途中でタヌキをはねちまってよ。それだけなら良いんだけどよ。タヌキ汁にするって言いだしてな。谷に落ちたのを拾いに行ったら鹿の死体まで発見しちやって大量よー。今日はタヌキ汁に紅葉鍋だってよ」

「何で死んだ鹿だか分かってるんですか?」

「いや、俺は毒食って死んだ奴だって関係ねえからよ」

「そりゃ貴方やオーナーは平気かもしれませんけどー。たまには他の人の事も考えてくださいよー」


 板前と久蔵がこれからのメニューについて相談していると、ハリネズミが奥からリュックをもって出てきた。

「あった、あった。まだ何個か残っていたよ。この店のオープン記念で配ったんだ。随分と古い物だけど十分に使えるから。はい、これ」

 寝ている黒岩の頭にリッュクをすっぽり被せる。

「てめえらー、俺の質問には一切答える気がねえのかーっ、よーっぺっ!」

 痺れを切らした北山が、立ち上がって店に響く大声を出す。

 リュックを被った黒岩はすっかり寝ている。

 頭だけが別世界で、どうしようもなくくだらない夢の世界に行ってこちらに帰って来る気配がない。


「ごめん。こっちの警察じゃよ、俺達がばらまいた証拠を発見してくれそうもねえんでな、お前さん達に手伝ってもらおうと思ってよ。なっ、良いだろ。頼むよ」

 久蔵が北山に向かって両手を合わせて拝み倒す。

「何を御願いされてんのかな?」

「だからよ、あの画像が送られてきて、そのなんだ、こっちの警察と共同捜査って事にしてだ」

「ちよっと待て。そんな簡単な話にはならねえっぺ。複数県にまたがる凶悪犯罪は、警視庁かFBIか公安とかマトリの仕事でよ、俺等は県警だから管轄違うしいー。無理だっぺ」

「その事なら既に所轄へ防衛大臣から連絡が入っている筈だから問題ないよ」

 ハリネズミが出来立てのタヌキ汁を久蔵と北山に勧める。

「………だから黒岩がセットなのかー」

「そういう事、おまけは君なのだがね。この場合、彼は使い物にならないからねー」

「まあ、確かにそうだわな」

 北山が座敷でリュックを被ってのたうち回る黒岩を見て、妙に納得する。


 狸は事故死なので安心感のある素材と言えようが、鹿の生肉については不安材料がテンコ盛りの状態である。

 しかし、目の前に置かれた御馳走を無駄にするような二人ではなく、ハリネズミと久蔵は何も気にせず飲み食いを始めた。

 食う飲む以上に今回の事件についてもっと詳しく知りたい北山は、この景色に苛立つばかりではあるが、ここで癇癪をおこしては何一つ得るものがないのも知っている。

 ひとまず周囲に歩調を合わせ、二人が食っても異常を示さないのを確認してからタヌキ汁を食し、さらに一時間程してから鹿の生肉に手を出した。

 この間、板前はひたすら食品衛生に関する本を読みふけっていた。


 北山が生肉を食してから更に一時間。

 簡易検査の結果が出たらしく、生肉をさっさと仕舞い込む板前「どうしてコレラが出るかねー。この鹿は海外旅行でもしたかねー?」物騒な事をつぶやく。

「おい、今なんて言った? 随分と危ねえ肉になってっぺー」

 小声にコレラと聞こえた北山が、酒で胃袋を消毒しようと無茶な飲み方をする。

「コレラが怖くてポルシェに乗れるかよ! 何かあったら弔いは俺達が出してやるから心配するなって」

 いい気分になっている久蔵が、慌てる北山の肩をたたく。

「そうですよー。先輩は心配性だなー。О157じゃないんだから大丈夫ですよ」

 熟睡していた黒岩はコレラのつぶやきを聞き逃し、起き出すと元気に生肉を食って美味いゝする。


「それよりー、事件の話はどうなったんですか? こんな所で油売ってると、また署長から御目玉いただいちゃいますよ」

 レンタルされている身である黒岩は、捜査の進展についてはたいして興味がない。

 本心は早く宿舎になっている温泉宿に行って、のんびりしたいだけである。

「所轄に行きてえのは山々なんだけどなー、なにせ飲んじまってるからなー。いくらなんでも、この酒浸り吐息はまずいっぺ」

 酔っていてもまだ少しばかりの分別が残っている。

「そうですよねー。所轄に行くのは明日にして、今日は早めに宿へ行きましょうよー、先輩ー」

「そうするか、飲むだけ飲んだし。これ以上ここで食っちゃ命に関わる雰囲気だしな」

 丁度の頃合いと黒岩の意見に賛同して、北山が重たかった腰をあげる。


「これ、御土産です。鹿とか狸じゃないんで、衛生上問題ありませんから」

 板前が上等の霜降り肉を奥から持ち出して差し出す。

「なんだよ、随分と気がきくじゃねえか。ハリネズミが見てねえ間にこんな事しちまっていいのかー」

 店について一時間もしないで座敷の奥に作られたカラオケ専用防音室に閉じこもったハリネズミは、中に置かれたカメラと仲良く遊んでいる。

 この事を知らない北山と黒岩が、板前の近未来に不安を抱くのは当然である。

「大丈夫ですよ。最近ここに来た時のオーナーは気分上々最上級ですから」板前が二人に告げる。

「そうなのー、あいつにカラオケの趣味があったとはねー。ちょいと覗いてやっぺー」

 帰り支度をしながら北山が黒岩を誘ってカラオケルームへと向く。


「やめとけ! 覗かれると一気に機嫌を悪くするから!」

 久蔵が慌てて二人を引き留める。

「それからよ、御前らが予約した旅館な、今は閉館してるから泊まれねえよ」

「いや、ネットでしっかり受け付けてくれたっぺ。なークロ。御前が予約したんだよな」

「はい、電話でも確認しましたよ。冥途さんって人が承りましたって………本館は使えないので別館を御用意しますって言ってました」

「なっ、別館があるんだー。心配すんな」

 自分が仕切ったのでもないのに、北山が自信有り気に久蔵を見下す。

「………その別館てやつな、事件のあった石城の事だぞ、冥途美智恵にからかわれたんだよ御前ら」

 久蔵の言葉で事態が思わぬ方向に進んでいると悟った黒岩が、何も言わずに店から出て行こうとこそこそ始める。

「逃げるんじゃねえよクロ。御前さんがいないと仕事が地元の警察と繋がらないんだよ。重要なオマケなんだから帰す訳にはいかねえよ」


 北山が久蔵の差し出した首輪を黒岩にかけ、鎖で店の柱に繋ぐ。

「嫌だなー。先輩を置いて逃げ出したりしませんよ。ちよっと実家に用事を思い出しただけですからー」

「実家って沖縄だろ。逃走する気が漲ってるっぺー」

 ここで、僅かの時間で来た時より数キロは痩せた風に見えるハリネズミがカラオケ部屋から出てきた。

「やあ、準備はできたから。これから宿舎に向かうといい、向こうで美智恵さんと美絵さんと、瞳ちんと文恵さんが浴衣で待っているよ」

「四人も? なんで待ってるの?」

 北山の疑問に間髪入れずハリネズミが答える。

「勿論、君達を歓迎する為さ。どの御嬢さんも別嬪さんだよ。もっとも瞳、文恵、美絵の三人は三つ子だから、見分けがつかないけどね」


 この言葉に北山がにんまりとする。

 恐れをなして逃げ隠れしようとしていた黒岩は、自分から首輪を外し荷物を四次元リュックに詰めて担ぐと「早くー、行きましょうよ。先輩はー、何時だって愚図なんだからー」率先して石城に行こうとする。

 打って変わった思いが身体的特徴となって、股間にずっきゅん浮き上がっている。

「今から膨らませてんじゃねえよ。助平ー!」

 こう言って笑いながら叱る北山もまた、ぶら下がっているべきものが立ち上がり硬化しているのを隠しきれないで困った様子である。


 ハリネズミの運転で石城に向かう。

 引っ張り出した車は取引価格で一億にもなろうが、エンジンの手入れが悪く白い排気ガスをしこたま吐き出している。

 数年に一度しか洗わないので、小汚いスクラップとしか思われないクラシックカーである。

「不思議なのだけど、いつも帰り道は調子がいいのさ。この車には感情があるのではないかと思う時があるのだよ。だーよ」

 途中、坂道を上る馬力が出せず同乗者に押してもらう事数回。

 長く生きているだけで、ハリネズミの機械に関する知識は皆無である。


 運転させてはいけない高齢者である事に違いはないが、いかんせん見かけが実年齢に比べて遥かに若い分性質が悪い。

「ちょっと確認したいんだけどよ、城には君達が連続猟奇殺人の犯人に仕立て上げた牧保とか言う、えげつない趣味の男もいるんだっぺ」

 北山が後ろの席から助手席に座っている久蔵に聞く。

「ああ、いるにはいるけどよ、行っちまってんだよオツムがな。地下室に閉じ込めてあるよ」

「そうなのだよ。本当は一人殺して次は自分の番なのに、死にたくないからって次の殺害者役だった有羽愛を殺しちゃったんだよ。おまけに、連鎖殺人の輪に入っていなかった家庭教師まで殺しちゃって、僕がなんとか繕ったけど酷い有様なのだよ。だーよ」

 久蔵に続けてハリネズミが、自分が仕出かした殺人を含めた三件の事件ともに牧保の犯行であるのを強調する。

「地下室に閉じ込めてあるって、それだったらそのまま地元の警察に突き出せばいいだけですよね。なんで僕達まで巻き込むんですか?」

 暇を持て余していたところへ温泉宿への出張と聞いて飛びついたのはいいが、よくよく事情を聴けば自分の命が危うくなりそうな事態と知るや、適当にはぐらかして逃げ切りたい黒岩が当然の意見をここで述べる。


「それね、たいして重要な理由もないんだけどよ、地元の連中がな、愛の死体が出た所をもっと深く掘ればいいだけなのによ、ばらまいた証拠をことごとく使い物にならなくしてくれてな、牧保を自首させても公判維持ってのができそうにねえのさ。そこでだ、通りすがりの君達が偶然にも重大な証拠と犯人を見つけて、地元警察に引き渡すって筋書きに変えたんだよ」

「変えたのは分かった。でもな、それだったら事前に署長に連絡を入れてるってのは考え物だっぺ」

 北山にとっても、あまり関わり合いになりたくない山である。

 できればこのまましらばっくれて帰りたいと願うのは当然と言えよう。

「それなら気遣ってくれなくていいよ。君は父親と祖父を殺害した犯人を追っていて、偶然この城に泊まった事にしてあるからね」

 ハリネズミの段取りで、全てのつじつま合わせが終っていた。

 北山と黒岩は言われるまま一晩二晩石城に泊まって、地下に隠れていた牧保を発見したと証言すればいいだけの操り人形である。


 城の中庭に車が入ると、玄関では四人の女が浴衣姿で出迎えてくれた。

「見ている分にはいいんだけどよ、浴衣だけってのは少し寒くねえか。なんだか気の毒だっぺよ」

 肌寒いを過ぎた季節に、日ごろ無神経な北山でも女達を心配する。

「そうですよね。風邪でもひいてうつされたらたまりませんねー」

 別の意味で黒岩は心配する。

「御心配痛み入ります。御疲れの所もっと疲れるお知らせで申し訳ありませんが、牧保君が脱走しましたの」

 冥途美知恵が四人を代表するように一歩前へ出て告げると、リュックを担いで屋敷に入ったばかりの北山と黒岩の動きが止まった。


「逃げたって、いつ?」

 久蔵が驚く風でもなく、暖炉の前に置かれたフルーツの中からリンゴを一つとりあげると、着流しの裾でごしごし磨いてかじりつく。

「夕飯の時にはいたから、昨日の夜から今朝の間ね。それより、なんであんたまで着物なの」

 美絵も牧保が逃げ出した事を重大には受け止めていない様子で、久蔵のかじったリンゴを取り上げ、かじった側が見えないように元の位置に戻す。

「なんとなくよ。合わせた方がいいと思って、ハリネズミなんかこの寒いのに浴衣だぞ。御前らもよくその恰好で平気だよな」

「君達には危機感がなさすぎるよ。牧保君が逃げてしまっては、この二人がここにいる意味がないような気がしてならないのだけど、その辺の事は考えてあるのかな?」

 今、この中で最も真面な思考を巡らせているのがハリネズミである。


「どうやって逃げたんだよ。手錠かけてあったろ」

「自分で両手の親指をかみちぎったみたいですわ。流石に自前の御肉は食べる気がしなかったとみえて、丁寧にテーブルの上に並べてありましたわ」

 冥途美智恵が美絵の置いたリンゴを取り上げると、懐から出したサバイバルナイフでかじり痕を綺麗にそぎ落として元に戻す。

「君達は僕の発言を聞く耳を持っていないのかな?」

 ハリネズミは少し怒り気味になっている。


 現状を把握しきれない北山と黒岩は、ただボーっと突っ立っているだけである。

 だらけまくった雰囲気の中、普段は大人しい黒岩が勇気を出して質問する。

「逃げちゃった犯人を捜さなくていいんですか?」

「おお、そうだっぺ。俺達の仕事って事かな、いよいよっつうか、酔っちゃってるけど、どうしたらよかっぺ」

 うっかり気づいた風に北山が付け加える。

 猟奇殺人の証拠を送りつけられ、訳も分からず犯行が行われた石城に連れてこられた二人にとって、肝心の犯人逃走は一大事である。

 それを、ここにいる連中は落ち着き払って別の会話に没頭しようとしている。


 温泉旅館への宿泊といった優遇条件がなくなってしまえば、目の前に浴衣姿で並んだ女達以外に率先して捜査に関わる理由のない北山にとって、この扱いは想像以上に屈辱的であったが、それ以前に今すぐ幽霊化け物の類が出てきても不思議ではない建物から、一刻も早く逃れたい気持が沸々湧き上がって来ていた。

「ひっとして、俺達は帰って良いんじゃねえの?」

 自分を呼び出したであろう久蔵に対して、これから良い事が何もないなら帰ってやるとの気持ちを伝えてみる。

「いや、ちよっとばかり待っててやってくれや、どうなってるかは大方予想がつくんだけどよ、そうなったらなったで、やってもらう事があるんでよ、とりあえず温泉にでも浸かってのんびりしていてくれや」

 ここで帰られては、今回の殺人事件を解決する人間がいなくなってしまう。

 そうなってはこれまでの苦労が報われない。


「温泉って、これから無人の旅館に行くんですか?」

「違いますわよーん。ここにも温泉がありますのー」

 入るも入らないも答えを聞く前に瞳と文恵が北山と黒岩の手を引き、奥の風呂場へと連れてゆく。

 四人が出ていくと、場は一気に緊張した雰囲気になる。

「まずいなー。行くならあそこしかねえけど、昨日の夜に出て行ったなら完全に手遅れだよな」

「だろうね。ゾンビだって生き返りはしないよ。諦めて、別の方法を考えるんだね」

 久蔵がお手上げなのを見ると何時もならば喜ぶところだが、今回は少しばかり協力関係で関わっているハリネズミが建設的意見を言う。


「別の方法ってもなー。あいつらが証拠を持って警察に行くくらいしか思い浮かばねえなー」

「僕の考えを言っていいかな」

「どうせろくでもない考えでしょう」

 美絵がハリネズミの頭をつつくと「そうですわ。助兵衛しか頭の中にない方ですものね」冥途美智恵が浴衣の中で膨らんでいるハリネズミの一物をグイッと握って微笑む。

 すると、つけてあったテレビの画面に見た事のある景色が映し出される。


〈昨夜遅く、栃木県山奥村の釣り堀、峠の茶屋駐車場で、松の古木に首をつって死んでいる男性が発見されました………〉とテロップが流される。

「あーあ、まただよ」

 久蔵が天を見て両手を上げる。

「毎回同じなのに、どうして君達は予防措置をとっていないのかね。村の記録に残っているだけでも、百二十年もの間に僅かの進歩も見られないのだよ。だーよ」

 何度となく同じ樹に犯人がぶら下がってしまう結末を経験してきたアウン一族が、これまでこの結果に甘んじて対策を取らなかった事に、ハリネズミが抗議とも受け取れる意見を述べる。

「まったくそのとうりなんだけどよ、俺達にも掟っつうか、暗黙のルールってのがあってだな、ここで自殺しちまうようだと、逮捕されてからだって勝手に死んじまうだろ。御前以上の変態だってかまわねえんだがよ、何があっても生きていく精神力ってのがねえのは、結局のところ使えねえんだよ」   

「あれだけの事をやった犯人に仕立て上げられて、はい私がやりましたって開き直って生きていられる人間が少ないのよ。牧保だったら何とかなると思っていたんだけどね、なかなかどうして、やっぱダメだったわ。弱い生き物なのよ、人間って」

 美絵が少しばかり人間のはかなさを憐れんだ顔つきになって、冥途がナイフで切って置いた食いかけリンゴをハリネズミに差し出す。


「ふーん、僕には理解できない世界観だね。ずうずうしい奴なら履いて捨てるほどいると思うけど、それでもダメなものかねー」

 うけとったリンゴを一口かじると、そのまま久蔵に手渡す。

「どんなに気丈にしている風でもな、いざとなったらからっきしってのが人間だよ。命は俺達だって惜しいだろ。短い分、あいつらは俺達よりずっと命ってのに執着しているんだけども、良心てのも持ち合わせているんだなー。良い事なんだか悪い事なんだか………」

 ガバッと口を開けると、蛇のように顎が外れた久蔵。

 受け取ったリンゴを丸のみして、ガキガキッとはめてシーハーする。


「今回はどうやって始末をつけましょうか」

 冥途美智恵がこれからの相談に備え、軽食とワインのデキャンタをワゴンに乗せて運んできた。

「そんな事はこの二人に任せて、僕達も一緒にお風呂に行こうよ」

 ハリネズミが、美智恵の着ている浴衣の袂を取って、一歩風呂に向かって歩き出そうとする。

「まあ、そんなに慌てなくても時間はたっぷりありますわ」適当にあしらう美智恵。

「だめだよー、御前らが本気になったら。またこの城が阿鼻叫喚の変態地域に変わっちまうからよー」

「そうよー。あたし達には相手がいないの、いまの所ね。それを何とかしてからじゃないと遊ばせないわよ」

 美絵がいちゃつく二人に言い放つ。

「そこじゃねえだろ問題は………」久蔵は事態の収拾を諦めた。


 結局、画像を含め一連の証拠を、匿名で地元警察の窓ガラスを突き破って放り込み、北山と黒岩が「石城で牧保を見かけたが、逃げられてしまった」と証言した。

 今までの経緯から警察が犯人死亡のまま書類送検し、検察の起訴で一件落着となったのは当然の事である。

 しかし、これはあくまでも石城の中の出来事である。

 更には、事件解決だけでは納得しないのが北山という男で、今回の場合は牧保の近くに最期の犯行時期になってから冥途美知恵が登場している。


 これまでの三十年悪魔は模倣犯ではなく、代々受け継がれて来た連続殺人であるのが画像証拠から分かっていた。

 警察が指摘した被害者の死に方は、連続する依願自殺となっている。

 これで総ての犯行を説明できるものの、久蔵の編集によって冥途が出ている場面は絶妙にカットされ、肝心の殺人現場での指紋やDNAは検出されない為に、共犯であるとの確たる証拠がない。

 しかし、次回の被害者が冥途美知恵であると、北山と黒岩のコンビは非公式に推測し、保護しようと言い出した。


 勿論、完全に下心からの保護であり、心底から彼女を守ろうなどとは思っていない。

 なんだかんだと理由をこじつけ久蔵とハリネズミを説得し、暫く石城で共同生活をするまでに持ち込んだ。

 二人は美智恵と同じ趣味を持っているのでもなく、同じ屋根の下に住んだからといって、簡単にあれやこれや思いのままに慰めてもらえないのが通常の世界である。

 しかしながら、ここは主となった者の意のままに変化する価値観に支配された石城の中。

 何が起きても不思議でない三人の関係ではあるが、そこは冥途美智恵自体が石城の化身であるから、簡単に二人の意のままになったりはしない。


 ただ、暇に任せて居候をきめこんでいる二人のあわよくばイングリモングリヘコヘコ欲が、石城での生活を続けると至る所に現れ始めた。

 二人にとって絵画などは特に興味の薄いところで、幼稚園児のクレヨン画並の抽象画に値札がついている。

 また別の壁にかかった絵は、裸の女人やその一部そっくりそのままであったり、果てはいたしている場面のそのまた危険な一部の拡大であったりと、おおよそ男が思い描く妄想を描いたものが所狭しと飾られている。

 所属部署からの帰宅命令を無視し、しつこく美智恵に迫る事一週間。

 壁にかかった裸のモナリザも、今日は何故だか以前と違った厭らしい微笑みを浮かべている。


 次第に、北山か黒岩かどちらが折れたかは不明であるが、エッチ一筋路線から銭金の亡者へと鞍替えしたのであろう事が明白。

 内装がこれまでのアンティーク調の落ち着いた雰囲気から、徐々に金々キラキラ成金趣味もろだしへと変わりつつある。

 この変化に気付けない彼等は、妖怪の類と科学者が裏で結託して異次元世界を作り出しているのを心得ていない。

 贋作どころか、落書と芸術の違いも分からない二人であるが、それでもこれらの絵を売って金にしようと言う気だけはある。

 彼等の心中は、俗欲の底無し沼にも似ている。

 ハリネズミはもとより、悪行で知り合った者達に片っ端から電話をして、絵画の買い手を探す北山。

 さも城内にある物総てが自分の物であるかの如き振る舞いである。

 もし、彼の脳裏にこれは人様の物だという意識が微塵でもあるならば、黒岩を使ってネットオークション出品の準備をしたりはしないだろう。


 山里の、そのまた奥地に隠すようにして作られた石城で、連日連夜繰り広げられるのは、売れる物は片っ端から売り飛ばす泥棒より悪質な商取引と、突如現れて嬉し恥かしの限りを尽くす淫乱な連中との酒池肉林である。

 月日は流れ、もはや二人の脳内に冥途美知恵の保護など大義名分は砂粒程も存在していないと思われた頃、二人を残し石城から人の気配が感じられなくなった。

「なんか、今日は変くねえが?」

 二日酔いの朝。北山が散歩から帰って来てソファーで寝ている黒岩を蹴り起す。

「どうかしましたか」

 部屋の中を見渡せば、家具と言えるのは黒岩が寝ているソファーだけとなっている。

 これでさえ、今日には梱包して発送する手筈になっている。

 カーテンもなくガランとした石城には、ただ二人の声が響いているだけである。

「そろそろ、帰りますか」

 黒岩が残っていた酒を一口、喉の奥へと流し込む。

「そうだなー、帰りに温泉へ寄って行くか。ここのは飽きたっぺ」

「飽きたんじゃなくて、御風呂の大理石まで売っちゃったから使えないんですよね」

「そういうとり方もあるかな」

 二人が同時に四次元リュックを担いで石城から出ていく。

 広い敷地から出て石城の方に振り返った時、既に石の城と隣に建っていた離れは基礎だけを残して消えていた。

 久蔵が知り合いの科学者に力を借りて、瞬時に石城で使われていた墓石を別の場所へと移動したのである。

 ここに一月ほど住んでいたつもりでいたが、現実世界では二人が地元警察に通報してから僅かに一時間もたっていなかった。

 出て行く二人と入れ替わりに、五六台のパトカーが敷地の奥へと向かって走り去って行く。







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欲望の石城 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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