鬼が創った三十年悪夢

「どうだい、そろそろ出来上がったんなじゃねえのかい」

 久蔵が美絵の持った盃に酒を注ぎながら聞く。

 ここは以前、牧保が買い物の際に立ち寄った居酒屋である。

「そうねー。一ヶ月もあの屋敷にいたら、大抵の人間は仕上がっちゃうでしょうよ」

 美絵はいささか冷たい態度である。

 この会話を聞いているのは店の店主ばかりではない。

 アメリカに行って帰ってきた文恵と、その亭主である霊。 それに、南国のバケーションからこの日の為に一時帰ってきた瞳がいる。

「ところで婆さんはどうしたよ。この計画の言い出しっぺだぜ。全部俺っちに任せっきりで一度も顔出さないってのもなんだよなー」

「それなら、おばあさんから久に『ごめんなさい』ってあやまっておくように伝言されてる。もう気落ちしちゃって、生け簀の階段を上り下りするもおっくうだってー」 

 テーブル席に向こう向きに座っていた瞳が、活き蛸の脚を口から出してクネクネさせながら、久蔵の方に向き直してペコリ頭を下げる。

「何言ってんだよ、南の島で良い思いしてるって話じゃねえか。俺もそこへ行ってのんびりしたいもんだね」

「大丈夫、そのうち嫌でも行く事になるから」

 カウンター席の隣で飲んでいる美絵が、仕草で久蔵に酒のおかわりを要求する。

「何だよ、その嫌でもってのが気になるな」

「いいから細かい事は気にしないで、さっさと注ぐー」

 恐ろしく強気になって酒を要求する。


 ここで店の奥から、割烹着を着て頭に捩じり鉢巻きと言うチグハグな格好をした小柄な男が出来た。

 何時もの店主とは別人である。

 この男。店のオーナーである【ヘコ・キタ・ロウ】は、皆からハリネズミと呼ばれていた。

 つい最近になって石城の存在を彼等から聞き知ったばかりである。

「君達とは随分と長い付き合いだと記憶しているけれども、これまでの話を聞くに、あの牧保とか言う半端な悪党が住んでいる屋敷は、僕にとっては極楽の様な家のようじゃないか。どうして今まで一度も招待してくれなかったのかな。人生の貴重な時間を、だいぶ無駄に使ってしまった気がしてならないのだけれども、そこところはどうなってるのかね」

 ゆで上がったばかりの枝豆をテーブルに置き、抗議にもとれる意見をするハリネズミ。


「相変わらず困った野郎だなー。オメエをあの城に放り込んだら永久に出て来ねえだろう。必要な時に使えなくなっちまうじゃねえかよ!」

 久蔵は城が人間の精神に働きかける内容を知っていて、あえて牧保をその中に閉じ込めたのである。

 久蔵がハリネズミを屋敷に入れないのは、彼は城の中でどんな不条理があろうともそれを信じないで受け入れ、ひたすら良い思いだけした上に、欲情の魔力に憑りつかれないで居座る男だと知っているからである。

「必要な時って言ったって三十年に一度きりじゃないか、それも今回みたいに一ヶ月だけだろ。その時くらいは出てきてやったって良いよ。だから、あいつが腹くくったら今度は僕をあそこに住まわしてくれたまえ。なんだったら御礼として、君にこの店をあげてもいいよ」

「こんなちんけな店もらったって嬉しくもなんともねえや、それよりオメエ、随分と羽振りが良いみてえだが何やらかしてんだよ。俺にも一枚かませろや。それなら考えてやっても良いぜ」

 久蔵はハリネズミが近々潤っている来ている事に気付き、その資金源が気になっている。

 人間離れした二人の会話だが、これを聞きながら飲んでいる他の者達に驚く気配はない。


 元々同じ穴の貉である。今更、彼等が妖怪・化け物・幽霊でも、それは他の者にとって大した問題ではなかった。

「貸す貸さないなんてのは後でやってよ、そんな事より、どうやって始末つけるつもり? ほっといたら、またあの男もぶら下っちゃうわよ」

「そうよ。三十年前も、その前も。もう三回も同じなのよ。四回目となったら流石に御間抜けな署長でも気付くでしょう。あの馬鹿タレの実家は、代々警察署長やってる家なのよ」

 瞳と美絵が久蔵を睨み付ける。

 文恵と霊は吾関せずと手酌で薄暗く飲んでいる。

「そりゃ言われなくたって気にしてはいるんだがよ、そうなったらなったで仕方ねえんじゃねえの? 最期まで仕込んでいる訳じゃねえんだよ。それこそ自然の流れってやつじゃんかよ!」

「あまり洒落にならない話になってきたね。僕は君達が嫌だろうが何だろうが、一件落着したらあの城で暫く遊ばせてもらうと決めたからね。とにかく、今日は前祝だから全部僕のおごりで良いから。好きなだけ飲んで食べてくれたまえ」

「たまえって、勝手に決めてんじゃねえよ。それにだ、『今日はうちわの寄合だから君は御休みしてくれて良いよ』って、小遣いまでくれて板前を返しちまったじゃねえかよ。飲むのはできてもオメエの手料理ってのを食う気にはなれねえんだーよっ!」


 カウンターに置かれたハリネズミ手料理の数々を紹介すれば、まず目に入って来るのが飯蛸の活きゝ造りであろう。

 こいつはしっかり蓋をしておかないと、本当に目の中に入って来る危険な生物である。

 次に目を引くのが里芋の目玉造りで、芋を真ん丸にしてその周りに小魚の目玉を満遍無く張り付けてある。

 手間暇かけて気持ち悪くして、目を引くのと同時に食い気まで削いでしまうのはどうする事もできない。

 贅沢が過ぎる逸品である。

 そんなこんなの料理に混じって一際異彩を放っているは、何と言っても女体盛りの台になった女体だけ丸焼きである。

 早い話しが、女の焼死体に醤油をぶちまけただけの代物となっている。

「あの黒焦げでグロイの何とかなんねえのかよ、こっちまで具合悪くなってくるぜ」

 久蔵がハリネズミ会心の一作を敬遠する。

「あの形に豚を削るの大変だったんだからー。綺麗でしょうにー。まったくー。芸術の分からない人だなー」


 このような居酒屋での、何となく陰謀計略の打ち上げにも似た酔っ払う会の最中、点けっぱなしになっているテレビでは登山口前の駐車場に待機しているアナウンサーが、臨時ニュースを伝え始めた。

「行方不明になっていた有羽愛さんの遺体が、一時間程前に入山記録の有った山中で発見されました。遺体の手には、別の人間の大腿骨と思われる骨が握られており、警察は事件と断定して、有羽愛さんが埋められていた穴とその近辺を捜索中です」

 この報道をボーと眺めていた霊が「ヒントばら撒きで教えてやってたのに、随分と時間かかったんじゃねえの」暗に警察の無能ぶりを批判する。

「仕方ないでしょ。やり方が三十年前と同じで、昔の事件を知ってる地元の消防団が捜索から外れちゃったんだもの。折角、膨らんで浮かんだばかりの頃は芸術的グロさだったのに、殆ど白骨化しちゃったのは残念だったわね」

 こう話す文恵は、女性に似せた豚の焼死体を切り分け、小皿にのせて配っている。

「やり方が同じって、もしかしたら三十年前に大量殺人事件があったって地元の連中が噂していた………あの食人事件の事かな?」

「ありゃ。オメエ、あれは俺達の仕込みだって知ってたんじゃねえのか?」

 ハリネズミの問に久蔵が問で返す。

「じゃねえのか? じゃないだろう。記録では六十年前と百二十年前にも同じような事があって、三十年周期の悪夢って伝説。資料館に写真まで張ってあるじゃないか!」

 ハリネズミが、ふもとの町にある民族資料館の方を指しながら、驚いた風に大声を出す。

「城の幻惑やグロい食い物は平気なくせして、変なところに弱味のある奴だな。そうだよ、その三十年周期の悪夢の正体は、恨み晴らし屋の仕事ってのが正解だよ」


 善悪で振り分けるならば、人の恨みを晴らしてやると言って賃金を頂戴して、ついでに相手の命まで頂戴するのは明らかに悪の側に分類されるべき行為であるとするのが近代日本の法姿勢である。

 この文明社会に生きる人間界で、絶対的合意事項である汝殺すべからずを軽く無視して、幾代にもわたって私刑を続けている集団が、久蔵を含むアウン一族である。

 時として人を殺す事も良しとされる場合がある。

 それは自分の身を守るため、または他人を守るため、致命的攻撃を仕掛けてくる者と対峙した場合である。

 それとて正当性を証明できなかったり明らかな殺意をもって対決したならば、故意による殺人として扱われてしまう微妙な位置にある。

 周囲から集団による精神的な攻撃を受け、このままでは自ら命を絶つ未来が見えて来たとしても、攻撃してくる集団の者を高い計画性をもって殺したならば、情状酌量の余地はあるとしても、司法の判断結果は正当とは言えぬ殺人とされてしまうのである。

 復讐も自己防衛もできずに苦しいまま生涯を過ごし、余命僅かと知った時、せめてあいつだけでも道ずれにしてやりたいとの恨み辛みを受け止め、僅かの報酬でその願いをかなえてやる事のどこが正義でないのかと言うのがアウン一族の考えである。

 何百年以上も前の頃であれば、敵討ちなどの私刑が認められていた時代背景もあって、大手を振っての助太刀であった。

 これが、明治の文明開化と同時に違法とされ、表沙汰にできない仕事の請負人になって行ったのである。

 今になってみれば、決して善行ではない仕事ではあるが、彼等は悪行ではないと信じている。

 ただ、そのやり口が極めて残虐である事は否めない。


 三十年に一度、犯人を作り国家権力による処刑を公にし区切りをつけている。

 大昔からこの地域では三十年周期の悪夢と噂され、この一大事で処刑される者を三十年悪魔と称していた。

 人の噂も幾十幾日。時が過ぎればどんな事でも忘却されるとは至極軽微な噂話の事である。

 百人に満たない小さな集落で十数人もの遺体が発見され、それがことごとく犯人によって食われていたとなると、忘れようにも忘れられない事件である。


「そうと知っていたら、こんな戯言の手伝いなどしなかったのに、どうして最初に言ってくれなかったのかね」

 薄々、危ない仕事に付き合わされているのは感じ取っていたが、よもや三十年悪魔の生い立ちに付き合わされているとは思ってもみなかったハリネズミ。

 どうにかして計略の一員から抜け出せないものかと思考を始める。

「知ってたらやらなかったろ?」

「当然さ」

「今更知りませんでしたが通用しねえ所までのめり込んじまってる自分に気付いてくれたよな」

「とりあえず、納得はしていないがね」

「だったらよ、特別に今から抜けてくれても殺したりはしねえけど、それで良いのかよ」

「君達が僕の殺し方を知っているとは思えないけど、礼儀としてありがとうと言っておくよ。それで良いに決まってるだろう」

 ハリネズミが少し安心した表情になる。

「城の話もなかった事にして良いんだな」

 ハリネズミの悪趣味が城の情緒とベストマッチなのを知っていて、意地悪い表情で久蔵が念を押す。

「それから、ここに設置したカメラも没収ね」

 脇から瞳が天井のカメラを指さす。

「貴方には教えてなかったけど、このカメラにもあの家と同じ効果があるのよ」

 美絵が飯蛸の足を口元でくねくねさせて付け加える。


「家と同じ効果とは、ひょっとしたらあんなのとかこんなのもありありの、色々な事がエロエロなやつで、とっても気持ち良い何かを言っているのかね」

「そう。欲望を映し出して、それを現実に変えてくれるのよ。欲望を写し出すビデオカメラで、城と同じ原理で動いているの。ヤブ医者の所に住んでる天才科学者があの御城を調べてね、有り合わせの材料で作ったの。御城のカメラもこのカメラと同じよ」

 文恵が霊に酌をしてから、コップに酒を注いでハリネズミに差し出す。

「以前は薬でいじくっていたんだけどね。これが出来たんで相手を映して思い込ませるだけで良くなったの。一台あれば自宅で御城ごっこも可能って優れものよ」

 列席している全員でハリネズミの助兵衛心をくすぐり、組織からの脱退を引き留める作戦である

 根っからの助平であるハリネズミは、ここで「うーん」と考え込み下っ腹に力を入れる。

 そうして出された酒を一気に飲み干すと、一発大きな屁をひり倒した。


「君達がそこまで僕を頼りにして拝み倒してくれるのは有難いが、ビデオセットの使い方を教えてもらわないと僕としては何と返事すれば良いのか。思案ばかりで結論が出ないのだよ。だーよ」

『思案はどこまで行っても厭らしい事ばかりであるぞ』と、一台のカメラがモニターにテロップを流す。

「余計な事までやってくれるカメラのようだね。絞め殺すよ!」

 ハリネズミの顔色が赤くなったり青くなったりする。

「まあ、そう怒りなさんな。正直に生きてるだけなんだからよ」

「生きてるって、生物ではないだろう。どう見ても」

「ところが半分は生命体なんだってよ。科学者先生が言ってたよ」

「ふーん」


 確かな契約書があって動いている連中ではない。

 話も適当なところで何となく互いに納得したふりをして元の鞘におさまるハリネズミ。

「ところで、物的証拠を置いてまわったよね。あのアンモナイトの螺旋を延長させると、僕の下宿になる予定の御城に辿り着くようにしてはみたけれども、君達の計画には大変な欠陥がある事に気付いているのかい」

 消極的だったハリネズミが、自己の欲望を満たしたいばかりに志なき協力体制にあるアウン一族の諸氏に、一大疑問を投げかける。

「欠陥? 完璧でしょ。何か文句があるっての」

 おおよその計画を祖母から言い伝えた瞳もまた、この一連の進行を任されている以上、ハリネズミの疑問が只ならぬ難癖に聞こえた。

「僕も最初は完璧にえげつない作戦だと思ったんだけどね、よく考えてごらんよ。たとえ県警が総出で捜査したって、あの城には気付かないのが目に見えているのさ」

「ほー、随分と自信満々じゃねえかよ。どういった理窟でそうなっちまうんだよ、つまらねえごたくだったら、テメエを犯人だって突き出してやるぞ」

 久蔵は、せっかくの仕込みが全て水泡に帰すかの如き発言に気分を悪くしている。


「言わせてもらうけど、県警の捜査官にアンモナイトの螺旋比率を知っているのが何人いると思っていると思うのだい。君達は知っているのかい」

 ハリネズミが、全ての根拠がここにあるといった風の表情を作って答えと質問を同時にこなす。

「あっ!」

 霊が天井に目玉を向け、白目になって小さく一声発した。

「分かったろ」ハリネズミが霊の方に向いて言う。

「ああ、一人もいねえよ。ついでに、ペンタグラムにも気づかねえかもしれねえな。あいつら、消防以上に現場荒らすの得意だから」霊が頭を抱えて答える。

 殺人事件を思わせる死体が出ても肝心の犯人が特定されないのでは、苦労して仕組んだ事の意味がない。

 そうなっては、牧保を貶め犯罪の主犯として懲らしめる計画も何もあったものではない。


「残念な話になっているようだけど、僕に対する謝礼ならば店に設置したカメラだけでも良いのかなと言う気になっているのだがどうかね。それでかたをつける予定はないかね」

 ハリネズミが、瞬時で深刻なムードになっていたところに唐突な意見を述べて場を混乱させる。

「余計な事言ってねえでテメエも何か良い案がないか考えろよ」

 久蔵が、一人で暴走して欲しいものをねだるハリネズミを戒める。

「ハリネズミの意見も満更悪くはないと思うけど」

 ここにきて自棄になったか、瞳が途轍もなく危険な玩具を変態しか脳内にない男に与えようとの提案をする。

「そんな事したらこいつの妄想で店の中が別世界になっちゃうわよ」

 美絵が瞳の意見に対して真正面から反対する。

「そうそう、この男が本領発揮したらこの世の変態が全て諂って家来にしてくださいって言うに違いないんだから」

 文恵がハリネズミの頭を小突きながら、美絵に同調する。

「俺は男だから、こいつの考えそうな事は大体見当つくが、現実と妄想が入り混じってこいつの思っているような世界になったら、それこそ元凶を抹殺しないと物事が収まらなくなってくる気がすんだなー」

 拳銃をハリネズミの額に突き付けて、霊が小さな声で発信する。

「君達は僕をどんな変態だと思っているのだい。そこそこ真面な方だと自負しているのだが、それが通じないかね」ハリネズミが一人憤慨する。

「良いのよ、素晴らしい程の変態で。貴方の個性なんだから。それで良いの」

 瞳だけ味方になってハリネズミの頭をなでなですると、後に付け加える。

「こいつの頭の中で今回の事件を妄想してもらって、牧保の代わりに体験してもらえば良いのよ。その画像を警察に匿名で送りつけてやれば、他の死体やばらまいた証拠も発見してもらえるでしょ」

「………なーる程。そりゃ良い考えだ」

 今まで反対していた連中が挙って瞳の意見に賛成する。


「ねっ、僕の提案は正解だったろ」

「てめえが瞳の言っている事を理解しているとは思えねえけど、物はくれてやるよ。好きに使って良いから、早い所変態画像をひねりだしやがれ」

 ハリネズミのにっこりした顔を見るのが嫌なのか、久蔵はあさっての方を向いて仕事をせかす。

「ちよっと待ちなさいよ久。ハリネズミが夢見心地になるのは良いけど、今すぐにここでやるつもりでいるの?」瞳が不安そうにする。

「そうだよ。何か問題でもあるか?」

「大有りだべー」霊がアメリカでやり残してきた仕事の続きだと言って、文恵を伴い居酒屋から出て行く。

「私もそろそろ千葉に帰らないとー」こう言い残し、疾風の如く消え去ったのは美絵である。

「なんだよ、無責任な奴らばかりだなー」

 久蔵が不機嫌な顔つきになると、これを戒めるように立てた人差し指を左右へメトロノームのように振る瞳が意見する。

「チッチッチッチッ。久、あんたハリネズミの変態ぶりを知っていて問題ないって言いきってるわよね」

「こいつが異常な性癖の持ち主だってのは周知の事実ってやつだろ」

「ちょっと君達、僕を異常な変態として扱うのはやめてくれたまえなのだよ。だーよ」

 ハリネズミは極めた御立腹を全身をもって表現しているつもりだろうが、ただ二人に尻を出して見せているだけである。

「この程度だよ」

「自分で真面だと思ってやっている事がこの程度だったら、頭の中で考えているやったらいけない事って、どんな事か想像してみなさいよ」瞳が苛立ってくる。

「こんな変態野郎の考えている事なんか想像できる訳ねえだろ」

 久蔵は想像できない事を当然として、今後の展開予想を諦めている。

「良識ある世間様はそんな状態を『想像を絶する』って表現するのよ! このオマヌケ!」


 呆れて怒る瞳の前にハリネズミが出る。

「そんな事はどうでも良いから、早く僕に別世界を見させてくれたまえ。たまえ」

「たまえってねー。自分の両親を食べて育った化け物でしょ、あんた。カメラの力が加わったらこの世は終わりよ。縛り付けて身動きできないようにしてからでないと使わせないわ」

 瞳がハリネズミの触れられたくない過去をチクリと刺して拘束宣言をする。

「なあ、こいつを拘束しても良いけど、気持ち良がるだけだぜ」

 久蔵が店の奥からロープを引っ張り出してくる。

「あのさ、プラナリアみたいに自己分裂して増えた君達一族に、死んだ両親を食べたくらいで変態だからと縛られて気持良くなるのに抵抗があるのだけれども。自分の意思で縛られているという事にしてもらえないかね。どうかね」

 ハリネズミは自身のプライドを傷付けられたと勘違いして二人に詰め寄る。


「繭玉になって二十年も寝ている奴より、自己増殖の方がまだましでしょ。あんたは夢心地で何をやらかすか分からないから危険なの。とにかく、縛ってからでないと使えないカメラなの。そう理解して頂戴」

 瞳が恐ろしい顔つきになって反撃に出る。

 化け物同士が意見のぶつけ合いでは、いつまでたっても解決しない。

 この時、久蔵が厨房にあった麺棒で渾身の一撃をハリネズミにくらわす。

 クラッとしているところをロープで素早くグルグル巻きに縛り上げた。

 クラッ程度で済んだのは、ハリネズミが真面な人間ではないからである。

 通常ならば、しっかり一体の屍が横たわっている勢いであった。

 もとから丈夫にできているハリネズミは縛られている時に意識を戻していたが、縛られる事に一種の快感を覚えているからされるがまま。早くからにやにや始まっていた。

「あらあらまあまあ。もう受け入れ態勢? 完了しちやってるもの。世話ないわね」

「この方がいいじゃねえか。こいつに本気であばれられたら俺達二人どころか、一族全員でかかったって止められねえぜ」

 ロープばかりでは不安なのか、久蔵は道具箱を持ち出してハリネズミの周りに椅子とテーブルを使って強固な囲いをつくり始めた。

 

 恐竜でも閉じ込めておけるであろう程に頑丈な檻が、ハリネズミの周りに完成する。

 ひとまず本日休業の札を外に出し、のれんを取り込んだ店の中は三人だけとなった。

「あんたが待ち望んだカメラとの共演を始めるけど、何点が夢の中でやってきてもらう事があるから説明するわよ」

 瞳の言葉に、縛られて頭しか動かせないハリネズミは、ごつごつと何度も後頭部をテーブルにぶつけてうなずく。

 さるぐつわ越しに「うぐうぐうぐ」と、言葉にならない返事をする。

「いいか、一度しか言わねえからよく覚えろよ。途中で画面に変なのが映ったらやり直しさせるからな」


 久蔵が一枚のメモ用紙をポケットから出してハリネズミに伝える。

「うんうん」

 聞く気がなくとも聞くしかない状態になっているハリネズミが出来るのは、さるぐつわ越しに納得しているそぶりを見せる事しかない。

「まずは今日までの時系列にそって、あっちこっちの殺人現場で牧保がやらかしているように振る舞ってくれや」

 今になって現場に見せかけるといった陳腐な芝居ではない。

 現実としては縛られたハリネズミだが、カメラに写し出されるとこの姿が自由にあちこちの現場をうろつく牧保になってくる。

 ハリネズミが牧保の身体を借りて、自分が普段から思い描いている変態の限りを尽くし夢うつつの世界を描けば、それが身近な現実となって店の中で繰り広げられる。

 体が自由に動くようでは幻に包まれたままで何をするか見当のもつかないので、縛ってその動きを止めているのである。


「その場その時で俺っちが状況を説明するから、指示に従って適当に変態やってくれや。これがまず第一。絶対に守ってもらわなけりゃならねえ事だ。分かったか」

 久蔵が身動きできない姿に向って問うと「うんうん」さるぐつわを去れた頭で大きく二回うなずくハリネズミ。

「それから、ひょっとしたらオメエの馬鹿力でぶっちぎれちまうかもしれねえロープだから、間違っても切ろうなんて考えるな。いいか、店から一歩外に出たら現実だ。その現実社会でオメエみてえな化け物が、頭の中だけ夢うつつ幻にどっぷりでいたら危なくってしょうがねえんだ。これも分かったか」

「うんうん」縛られ続ける事を承諾する。

「次にだ。オメエの変態はだれでも知ってるから今更でもなかろうがだ、妙に恥ずかしがったり隠し立てしようなんて考えるなよ。画像が乱れて撮り直しだから。オメエが入り込んでいる夢の世界はモニターに映し出されるけどよ、あくまでも牧保の姿で奴がやらかしているようにしか記録されねえから、思い切りやっちゃいなよ。いいかい」

「うんうん」

 やけに嬉しそうな拘束され人になってきている。


「それじゃあ始めるぜ。まず、丁度一年前にこの店へ入ってきた所からだ。牧保になりきれ」

 こう言われた途端、画像には牧保が店に入って来る所が写し出された。

 ハリネズミは既に夢の世界に意識を飛ばし、現実世界では死んでいるかのようで微動だにしない。

 もっとも、その動きは皆目見当もつかない程がんじがらめにしばり付けられているから、死んでしまっても不思議ではない。

 ただ、この状況でも一か所だけ外から観察していてはっきり変化の分かる部位がある。

 普段なら股間にぶら下がっている、体型に似合わない巨根の動きである。

「はえーなー、一瞬であっちの世界に行きやがったぜ。ある意味天才だなーこの野郎。まだでかくすんのは早えよ。とりあえず鎮めろー。真性変態ー」

 耳元で大声を出し遙か遠くの脳内にいるハリネズミに伝える。

 すると、シュルシュルっと音をたてて股間の一物が鎮静する。

 どうやら意思の疎通は可能であるらしい。


 のれんを手ではね店に入ると、連れの男も後からついてくる。

 カウンターには椅子の前ごとに小さな鉢植えが置かれてある。

 近づいて見ると仙人掌が小さな黄色い花をつけている。

 からからの台地でも開花するからか花弁は乾ききっていて、とがった先を牧保がつついて痛がる。

 そうして何を思ったか、いきなりズボンを下ろしパンツを脱ぐと、自分のものを激しくしごき始めた。

 これを見たつれの男は驚く風でもなく、一緒になって穿いていたものを脱ぐと、自分までしごきに参加する。

 いらっしゃいさえ発していない店主が、これまたこの光景にいっこう動じない。

 モニターに映し出される情景は、一瞬で阿鼻叫喚の修羅場へと変わってしまった。


「キャー。いっくらなんでも不自然すぎるしー。見ていて気持ち悪くなるしー」

 瞳ががらにもなく、厭らし恥ずかし動画に呆れて目を手で覆い隠す。

「おい‼ 大馬鹿野郎! いきなり始めてんじゃねえよ。物事には順序ってものがあるんだよ。これじゃ編集も何もできねえじゃねえかよ。遊びは後でいっくらでもやってくれていいから、仕事しろよ、仕事ー」

 久蔵が慌ててロープの上からハリネズミの股間に水をかけ、二度三度ときつめの蹴りを入れる。


 ハリネズミがこれを聞き入れたか、ニコッとしたら画面が店についた所からやり直しで始まった。

 二人がカウンターの席につくと店主が注文も聞かず、慣れた手つきで刺身の盛り合わせを作って出す。

 牧保は勝手に客席側に向いたサーバーから生ビールを注ぎだし連れの男の前に置くと、自分は座敷席の奥に設えた棚の中から日本酒ボトルを持ってくる。

 以前、本物の牧保か一度きり来ただけの店だが、ハリネズミの設定では一年以上も前から通っていて、すっかり常連客になっている。


「どうだいそっちの景気は。都会じゃ賑やかなニュースを耳にするけど、こっちは相変わらずの閑古鳥だからさ」

 牧保が連れに問いかける。

「久しぶりに会ってそれかよ。大手はもうけているかもしれないけどな。俺達みたいな孫請けから絞り取ってるんだ、そんな時代に稼げる仕事なんかねえよ」

「やはりなー。あまり単価はよくないのだがね、この近くの釣り堀りを改修して、宿屋にするって仕事があるのだよ、だーよ。手伝ってはくれまいか」

 牧保が最近になって知った釣り堀の仕事を、ここでは自分が仕込んだかのようにしてハリネズミが話す。

「おい、後でつじつま合わせるの大変だから、あまり詳しく話すんじゃねえよ」

 寝ているハリネズミに、画面をみていた久蔵がげんこをくれて一言注意する。

「単価が悪いんじゃ出張費も出ないんじゃないかー。ここまで通うのは無理だぜ」

 連れの男が、ビールをあおってつっかかる。

 すると牧保は自慢げに「いい宿舎があるのだよ。釣り堀の婆さんが持ってる別荘でね。随分と前から、ただ同然に住まわせてもらってるのだよ、だーよ」

 牧保が石城の方を指して語る。

「ほー、昔から要領だけは良い奴だと思っていたけど、婆さんまで誑し込んだか?」

「そうではないよ。時々釣り堀へ行ってたらね、漏電で店の電気が使えなくなってたのだよ。ついでだから軽く直してやったらえらく気にいられてしまってね。先にある温泉宿の共同経営まで手広くやってる婆さんでね。何日か温泉で遊ばせてもらって、それからここを使ってくれって。西洋の城みたいに巨大な石の家を貸してくれたのだよ。おまけに敷地が広大で、どこまでだか区切りがないのだよ」

「そりゃまた良い御身分で。そこに俺っちも住まわしてくれるのかい」

「ああ、もちろんだとも。仕事をしてくれたらの話だがね。良い条件だろう」

 当然、牧保は連れの男から二つ返事を得られると信じている。

「しばらく暇だしなー。やらせてもらうよ」

「ああ、そうだと思っていたよ。決まれば前祝だ。ジャンジャンやりたまえ」

 この言葉に店主が何も聞かず船盛を作って出す。


「あの城を作ってる石な、あっちこっちの墓地からかっぱらってきた墓石でできてんだよなー。知らなかったろ。ハリネズミー。まあ、オメエだったら喜ぶ趣味だけどな。常人なら気味悪がって住まねえよな」

 画像を見て笑いながらハリネズミに真実を教えてやる久蔵の隣で、瞳がようやく目に覆っていた手をどける。

 夢の中でくり広げられる大量殺人事件の始まりを見始める。

 口元からは飯蛸の足がはみ出てチョロチョロしている。


「今夜のうちに宿舎に入って、二三日ゆっくりしてから仕事を始めるのが良いだろうね」

 牧保が連れの男の膝に手を置いて提案する。

「今から行くのか? 何の支度もしてないぞ」

 連れの男はいささか慌て気味である。

「大丈夫さ。衣服は呉服から作業服までより取り見取りで取り揃えられているし、毎日新鮮な食材を配達してくれるので食で困るような事もないのだよ。だーよ」

 行った事のないい石城の状況だが、ここをカメラとの共同作業によって自分の理想郷に仕立て上げられると知っているハリネズミは、何につけて強気になって話している。

 相手である連れの男も、久蔵のリクエストによってこの世界に登場させているだけで、自分の自由に操れる事を承知しているが、自然な映像をとの制約があるので無茶な行動は石城の中まで御預けである。

 この事が現在のハリネズミにとって最大最悪のストレスになっている。


 今夜のうちにも石城に引き込んだ連れの男を、あれやこれやいたぶって、なにしてかにしてあっちもこっちも突き破ってと考えているから、なにもかもブハッと噴き出しそうな勢いでロープがむっくり膨らんでいる。

 この調子で勢いついていくと、意識の中へ何か不意に入り込んだ正体不明の男でも女でも、久蔵のゴーサインが出た途端にガバッと抱き付くに違いない。

 たとえそれが若い者でなくとも、出生の日から数十年、ひょっとして百年超生きてきた人間であっても、股間にぶら下がってハリネズミとは別の生物となっている寄生物が、だんだん大きくなって行くとしか思えない。

 縛られているハリネズミと、画像の中で牧保として過ごしているハリネズミの関連はいかにも非現実的である。

 こんな奇妙な関係は、なまじ真面とされている世界では一生かけても経験する事ができないだろう。

 しかも、何が夢の世界で起ろうとも体験として、感覚と記憶が残るだけで実社会から何ら責任を問われる事がない。


 自由奔放の世界である。

 実社会での決め事など、ここではまったく意味をなさない。

 いかなる悪も善も、全てはハリネズミが意識の元で神仏の域とされ、決して非難されぬ行為として扱われているのである。

 正義の前提は多数でもなければ好き嫌いでもない、絶対的価値観の存在が有ってこそ作られると言った学者がいた。

 だとするならば、今のハリネズミは絶対的正義であって、これまで残虐非道とされてきた行為を心行くまでおこなっても許される。

 この世界唯一の存在になっている。


 産れたばかりで屍となっていた母親と父親の肉体を喰らい、繭玉となって二十年。

 再びこの世界に人の姿をして誕生した時には、食い残した父親の一物だけが生き残ってこの男を待っていた。

 この生き残り父ちゃん一物をハリネズミと偽り、今は病院の地下室に地主兼管理人として一緒に住まっている。

 あこぎな商売で荒稼ぎを繰り返し、日本全国に乗っ取った飲食店を多数構えた。

 普段は表に出ないが、興味がある事には勝手に首を突っ込みたがる男である。

 今回も、元々のメンバーには加わっていなかったのだが、うっかり久蔵が計画の一部を話した事から無理を押し通して参加していた。

 そんな中、彼にとっての理想郷を発見し、更には提供されたばかりとあってはなかなか抑えが効かない。


 股間で巨大になった生物を抱え、画面では何事も起っていないようなそぶりで連れの男を城へと案内する。

 敷地の入口には竹林があり、中の様子はすっかり隠されている。

 入って暫くは竹垣の林道が続き、更なる奥には梅林が広がっている。

 ここを抜けると、広葉樹に混じった桜の樹が何本か植わっているが、その樹齢たるや裕に二百年はたっているだろう巨木である。

 敷地の入口にある竹林の道に、私有地であるとの看板が建てられてはいるが、広大過ぎるゆえに外周に柵はなく、誰でも自由に出入りできる。

 ただ、他の雑木林が鬱蒼としているのに、敷地となっている一帯だけは綺麗に手入れされている事からして、誰かが所有権を主張し暗に立ち入ってはならぬと言っているのがはっきり分かる景色になっている。

 近所に住まう者はもちろん、近くに別荘を持つ者もこの一帯について深い知識があるでもなく、番犬がうろついているのでもない。

 だがしかし、昔から誰も近寄ろうとしなかったのは、綺麗過ぎて周囲と相交わらない巨大庭園に、何等かの呪いでもかけられているのではなかろうかとの勘ぐりから噂となり、次第に伝説化したからである。


 暗黙のルールを知らない旅人が、この地に迷い込んで出て来なかったとの通報も一件二件ではない。

 明治の頃から警察の記録を掘っくり返せば、毎年一人は確実に森の奥で消息を絶っている。

 その度に捜索が行われ、三十年に一度の確率で三十人分の遺骨が地中深くから発見されている。

 その殺害方法は多岐にわたり、煮たり焼いたり蒸したり。 一通り喰らった痕まであるから空恐ろしい話しである。

 長年にわたる久蔵を含めたアウン一族の仕業であるのを一部の人間は知っていて、事件を吹聴して地域に立ち入らぬように勧告している。

 次の三十年まで、中での仕事を邪魔させないためである。


 この風習が残っている現代。

 更に強力な道具として登場したのが、今回ハリネズミが使っているカメラシステム。

 実際に行なわれずとも思い込み願う事で、さもその事が現実であるかの如く自身の周囲で繰り広げらる。

 必要とあらば現実と強調し、事実としてでっち上げる事もできる優れものである。


 城に着くと、誰もいないのを知っていてハリネズミの牧保が骨のドアノッカーを叩く。

 コツコツ・骨骨。

「誰もいないな………」

「おい、今は御前が家主だろ。誰か他にいるのか?」

「いや、いたら面白いと思ってね」

 こう話していると、中から鍵を開ける者がいる。

「御帰りなさいませ。御主人様」

 ハリネズミが成った牧保ではなく、本物の牧保が取り込まれ精神を甚振られている時に登場していた冥途美知恵が、そのままメイドになって表れた。

「あんた………誰?」

 自分の思考から誕生したのではない者が突如現れたので、幾分面食らった様子のハリネズミ。

「はい、城主様から牧保様の御世話をするようにと言いつかっております」

 言い終ると連れの男に向かい、いま一度深く御辞儀をする。

「城主様より連れの方も一緒にとの御指示でしたが、連れの男様には別の者が対応させていただきます」

 玄関に繋がった居間の奥で別のメイドが会釈する。

 ついさっきまで居酒屋で酒を飲みながらこの世界の出来事を監察していた瞳で、連れの男に酒臭いのを知られたくなくて遠くにいる。


「城主って、久蔵君だったのかな?」

「いいえ。ヨハネス・ブルックリンドン・アッチャノ・コッチャノ・へノコキ・ブピプ様で御座います」

「パックかー」

「そうとも申します」

 この会話を不思議に聞いていたのは連れの男である。

「おまえ、持ち主の事も知らないで借りてたのか?」

「ああ、そうみたいだね。ここを使って良いって言ってた釣り堀の婆さんだとばかり思っていたのだよ。だーよ」

 牧保が奥に控えた瞳の所へと歩み寄る。

「どうして君まで登場してくれたのかな。ここは僕の世界じゃなかったのかい」

 城の中に入ってしまえば、自由に振る舞えると思っていたハリネズミにとって、この出来事は一大事変である。

「久がね、あんたが無茶しないように中でも見張っていてくれって。暇だから来てやったの。あいつは私がいただくわ。替わりに冥途ちゃんと遊んでなさい」

「冥途ちゃんとってねー。今日は男だーと思っていたから………それって、ちょっとだけ意地悪だよね」

 期待と裏腹の結果に、意気消沈でハリネズミが抗議する。

「いいでしょ。彼女は変身できるから」

「殺しちゃっても良いの?」

「それはダメ」

「と言う事はだね、食べる事もできないのだよね!」


 突如、牧保が声を荒げて言うと、連れの男が驚いて声をかける。

「食い物には不自由しないって言ったよな! 食い物ねえのか。だったら帰るぞ」

「いいえ違いますわ。私を食べちゃって良いかとの問答だったかと」

 脇にいた冥途が代わりに答える。

「なーんだ。メイドに手出しちゃダメだよねー」

 連れの男は食べるの意味を完全に履き違えている。

「いいえ。貴女様の面倒を見るメイドは、そこまで承知しておりますのでどうぞ御存分に堪能いたして結構ですわ」

「えっ………ありかよ」

「はい。ありです」


 なんとか誤魔化したのを確認すると、再びハリネズミの牧保とメイドの瞳がこそこそと話始める。

「冥途ちゃんはだめだけど、一通り私が楽しんだら後は貴方の好きにして良いから」

「それって、なんだかんだ言って君が僕の世界でやりたい放題やって遊びたいだけじゃないのかな。かな?」

「どう取ってくれても良いわよ」

 瞳はハリネズミの意見を否定も肯定もせず、ただ連れの男に熱い視線を飛ばすだけである。


 居間から一旦外に出て、石畳の小道を行き尽くし左に折れると、客用の離れとして作られた和風の古民家がある。

 瞳が連れの男を案内する離れの前には、一抱えはあろう桜とクロアゲハの巣化した橘が植えられてある。

 二本とも高さは剪定されていて人の背丈を少し超える程しかないが、枝ぶりは見事である。

 左右にこの植木を眺め玄関を開けると、どこやらで猫がけたたましく唸り合っている。


 宿舎に入る。

 最後の台風とも思われる嵐が過ぎて、外はひどく冷え始めているというのに、全ての戸と窓が開け放たれている。

 何処を見回しても持っていけそうなものがないので、盗人のいない国ではないし何かを盗まれる心配もない。

 おおかた暫らく使われていなかった離れの臭気を抜いているのだろう。

「おこんにちわー」

 男が声をかけるがシーンとして返事がない。

「おーい。誰かいるかー」

「誰も居ませんわ。連れの男様専用の宿舎で御座います」

 古民家一件ほどの広さを有した宿舎が、たった一人の為に用意されているとは思ってもいなかった。

 ここはひどく驚くところだが、いかんせんハリネズミの脳内で当然の如く作り上げられた世界の事、出来損ないゲームのようになって「ふーん」と言ったきり次の言葉が出てこない。


 自分の楽しみの為だけに作っている世界とあって、ハリネズミにはさもそれが当然といった具合であろう。

「ハーリネーズミ! 自然にやれって言ってるだろ。自分に関係ねえ所で手を抜いてんじゃねえよ」

 久蔵が寝ているハリネズミの耳元で、遠隔操作を試みる。

 すると、牧保を映しているモニターでハリネズミがこの指示に抵抗する。

「ここは僕の世界だ。誰にも邪魔させない! どうせ警察にリークする為の偽映像だろ。後で適当に編集してくれたまえ」

 牧保のいきなり脈絡無視発言聞けば、ハリネズミとしてすぐさま奔放に振舞う気でいるのに気づくのは当然である。 異変を感じた冥途が「御主人様、おいたが過ぎますわ。連れの男様を血祭に上げるのは御自由ですが、皆様の都合もありますから、今しばらく私との戯れで我慢してくださいませ」

「おおおおおおお、良いのかい。君とそのなんだ、僕が今考えている、とっても厭らしい事を、そのなんだ、一緒になって、そのなんだ、いっやー、君みたいな可愛い子が、僕とそのなんだ」

 自分で好き放題に作っておきながら、すでに欲望の魔力にハリネズミ自身が憑りつかれ始めている。


「それでは手始めに、温泉へ御一緒いたしましょう」

 冥途がにっこり微笑んでハリネズミの手を引くと、強引にも思える勢いで広い浴室へと向かう。

「ご主人様、お身体を洗わせていただきます」

 冥途が牧保の衣服を脱がそうとする。

「自分で脱げるからいいよ」

「さようでございますか」

 脱いで放り投げた服を冥途が拾ってたたみ、脱衣篭に入れている間に牧保は真っすぐ湯船に進んでドブンと浸かる。

「御行儀の悪い御主人様ですこと」

 これを見ていた冥途が牧保の髪を掴んで湯船から引き上げると、敷かれたエアーマットの上に押し倒す。


 すかさず手に付けた石鹸の泡で全身をくまなく洗い始めると、いつから風呂に入っていなかったのか排水溝に向って一筋のどす黒い水道が出来上がった。

「全身が土足と一緒ですのね。洗い甲斐がありますわ」

 メイド服のまま洗っているので既に衣服はずぶ濡れになっているが、それでもまだ全体の半分程度しか汚れを落とせていない。

「そんなに凄いかな、最近は毎日のように温泉に浸かっているから、汚れていない筈だよ」

 牧保が不思議そうに泥水に手を当ててみる。

「ここのお風呂は、体ばかりか心根の汚れも落としてくれますの」

 こう話ながら濡れて重くなった衣服を脱ぐと、下着だけの姿になって洗い続ける。

 こうなってくると、どこまで自分の妄想でどこまでが現実か、牧保になりきったハリネズミにも分からなくなってきた。


「これから僕達は、いったいどういった方向に向いていくのかね。知っていたら教えてくれないかな」

「私は御主人様の望むままにいたしますわ」

 期待していた言葉だが、これでは今日連れてきた男とのけりがつかないままである。

 この世界に入ったのは、事件の全てを牧保になすりつける為であるのを忘れていないハリネズミにとって、この展開は歓迎できても、そのままズルズルのめり込んでいって良いものでない事くらいは分かっている。

「勢いに任せてそのなんだ、何してあれしてこれして色々とやっちゃってもいいのだがね、僕には任務があるのだよ。だーよ」

 久蔵の手前、一応気遣っているふりをしてみる。

「大丈夫ですわ。あちらはあちらでしっかり段取りをつけている頃ですから、準備ができるまでの余興ですわ。ささ、どうぞお好きなように」


 わずかに体を隠していた下着まですっかり脱いで泡まみれになると、ベットの上でピタリと体を擦り付け牧保の硬くなっている所を乳房で刺激する。

「おっ、いいねー。ちょいの間で一発抜きますかーって、君。メイドにしておくにはもったいない逸材だと自分で分かっているのかな。なんだったら、もっと良い仕事紹介するよ。若いうちしかできないからさ」

「あらまあ、こんな時にもお仕事の話ですか。無粋な方ですのね」

 握っていた手に力込める。

「うっ! 良いねそれ、もっとやって」牧保がニギニギのリクエストをする。

「こうですか?」

「うん、そうだ。もっとやってくれ」

「変わった感じ方をしますのね」

「僕にも色々と事情があるのだよ。だーよ。あー、良いよ、それ。とっても良いわー」


 感情の高ぶりに合わせ、次第に牧保が持っている女の部分が頭をもたげてくる。

 ハリネズミにとって、この感覚は未知の世界であった。

 もはや、牧保に成りすましたハリネズミなのか、牧保に憑りつかれたハリネズミが真紀穂になろうとしているのか、誰からも、本人ですら分からない状態へと事態が進展して行く。

「あっあっ。そう、ここへ、ここへ入れてー。その指を入れてー」

 真樹穂となったハリネズミの牧保。

 それまで握っていたものが消え失せ、行き場を失った美智恵の手を熱くしとった部分へと招き入れる。

「真紀穂。これでいいかしら」

「ええ、とっても素敵。今日のお姉さんはとっても素敵よー! 良いわよ。良いわ、良いわー」

 本物の牧保が作り上げた人格が、ここにきて開花する。

 己が思うままに過ごせると早合点した事に、ハリネズミが気づくまで時間は必要なかった。


 薄れる自我意識と入れ替わりに入ってきたは美智恵の妹、真紀穂であり、見目麗しき美少女としてハリネズミは感じ取っている。

 しかし画像として残るのはあくまでも男の牧保で、その気になって入り込んで憑りつかれた縛られ男を、久蔵が見守っている。

 自分達が仕組んだ事とは言え、悍ましくも如何わしい画像に心中穏やかでいられないのは、人間も化け物も同じである。

「おーい、カメラよー。このエログロ画像、もうちっと何とかならねえかよ。編集が終った後で男の牧保にするって事で、今はハリネズミが見ているのと同じにしてくんねえかな」

 すると画像が一瞬みだれて、すっかり市販のエロ画像並に見られるものに変わってくれた。

「出来るねー。やるねー。良い奴だねー」

 久蔵がしきりにカメラを撫でまわすと、画面が少しばかり赤らげて来る。

 どうやらカメラは女の性格をしているらしい。


 ハリネズミの妄想を再現するのに店はすこぶる狭いが、頭の中をフル活用して僅かのスペースで現実と交差させている。

 中央に設えた囲炉裏の中が概ね石城の中心で、店全体が画像に現れる街や遺体を埋めた山中として設定されている。

 久蔵は囲炉裏の中に照射されたレーザーポイント辺りを見ている。

 赤いポイントが被害者となる人間で、今回は連れの男になっている。

 なんといっても画像の主人公は、先行き死体となるべくして登場している被害者である。

 したがって、緑のポイントがハリネズミを含めたその他大勢を表している。


 囲炉裏の灰が、上手い具合に石城の屋根を退けた形の模型になっていて、動線を分かり易くしてある。

「そのままそこで待ってろよ。今、連れの男をそっちに行かせるから」久蔵がハリネズミの耳元で呟く。

 そして、座敷で横になって寝ている美絵に「もうやり飽きたろ。いい加減にそいつをハリネズミの所に連れて行ってやれや」と大きな声をかける。

 寝返りを打ったかと思ったら、別のカメラからの信号が画面に映し出された。


「さあ、仕度は済みましたわね。御嬢様の所へまいりましょう」

 すっきりした顔の美絵が、先ほどの男とは似ても似つかぬ別人に変身した少女を、真紀穂となったハリネズミのもとへと案内する。

「ねえ、こんな事していいの? まだ未成年よ。どう見ても。児童って言った方が分かり易いかしら」

 夢の世界と同じ画像を見ていると知らない美絵が、極めて危険な趣味に偏っているハリネズミの脳内について解説する。

「ああ、俺も同じ絵を見てるから分かるよ。こっちで何とかするから、おめえはそのままそいつを連れて行ってくれや」

 こう言う側から、久蔵がハリネズミの股間を麺棒で満遍なく打ちのめした。

「馬鹿野郎! 何やったって良いとは言ったがな、この場の良識ってのをわきまえろよ。俺達が休憩している時はいいけど、話し作ってる時にはその手の趣味をひけらかすんじゃねえぞ。分かったか。これから一度でも子供を出演させたら、てめえの何を根っこから引き抜くからな」

 こう怒鳴り飛ばし、さらに打ち据える。


 さっきまでの少女が、いかん事態ギリギリの年齢に思える見掛けに変わる。

「まだ危なっかしいが、おめえにしたら偉く辛抱しているんだろうからここら辺で手を打ってやるよ」

 麺棒を厨房へ戻して帰る久蔵が、再び画面に目をやると、すでに激しく女同士がスコパコヘロヘロイチャイチャニャンニャンしている。

「早えっつってんだよ! 自然な流れを作れよ」

 呆れた久蔵は、もうやり直しを要求する気もなくなったようで、そのまま画面をぼんやり眺める。

「もっと奥へー」真紀穂が連れを引き寄せる。

「私にも御願い」連れが真紀穂の手をとり自分へと導く。「あああああー!」

「もっと大きな声を出してもいいのよ」

「はい、はっ! あーっ、ああっあー」


 一頻り二人が秘め事の快楽に溺れ、夢中の現実にその身を溶かし終えると、抱き合ったベットに付いたスイッチでカーテンを開ける。

 外にはレンガ造りのバーベキュー炉があり、その前には大きな調理台が据えられている。

「これから皆で一緒にバーベキューをやるのよ」

 真樹穂が起き上がり、薄手の白いガウンを一枚羽織っただけで外へと出て行く。

 連れに用意されているのは、やはり真紀穂が身に着けたのと同じガウンだけである。

 慌ててこれをまとい庭へ出て行く連れの少女。

 既に炉には火があり、そこそこ食材も並べてある。

 真紀穂の姉である美知恵が、メイド服を着た美絵からハンマーを渡される。

 これを真紀穂が美知恵から手渡される。

「一緒に作りましょう」


 真紀穂が少女の肩を抱き寄せると、一方の手に持ったハンマーで頭蓋を破壊する勢いで振り下ろす。

 グシャッと鈍い音がして少女の頭から血が滴り落ちる。

 それでも少女は気づかずに、抱かれた肩を嬉しそうにして真紀穂を見つめている。

 いくらもしないで少女の意識はなくなった。

 漁火に照らされた真紀穂が少女から流れ出た血に染まると、美知恵が少女を受けて調理台の上に乗せる。

「なかなか良い絵面じゃねえかよー。やればできるんだからよっ! おめえはよ」

 外野の久蔵がハリネズミに向って一声かけると、ハリネズミは縛られたまま幾分照れた風に顔をほころばせた。


 先程から炉の上に置かれた鍋には湯気が立っている。

 美智恵が素早く少女の衣服を剥ぎ取ると、真紀穂が慣れた手つきで両肩から腹部に向けて切り込みを入れる。

 そこからYの字を書くようにして、下腹部に向けて切り開いてゆく。

 ベリべリと切れ目に沿って皮を剥がすと、露わになった肋骨を大きな骨切り鋏で切り離す。

 メスで周囲の膜を切り、大鍋の蓋を開け胸骨と肋骨を放り込んだ。

「後で髄を抜いてから背骨も入れるわよ。良い出汁が出ると思うのー」

 真紀穂が嬉しそうによだれを垂らすと、美智恵がそれをタオルで丁寧に拭く。


「おーい、現実で垂らすのはいいけど、そっちでダラダラやるなよ。絵が汚なくっていけねえやー」

 久蔵が側で寝たまま大よだれを垂らすハリネズミの顔を、雑巾で拭きながら怒鳴る。

「よだれー、ストッープ!」

 真紀穂が気合を入れると、出ていたよだれがスーっと元に引いていく。

「ハーリネーズミー! だーかーらー。不自然な事するなっつってんだよ、ボゲ」

 手に持った雑巾をハリネズミの口に押し込む。


 解剖さながらの調理風景となったハリネズミの世界では、こんな苦情など一切受け付ける様子はない。

 開かれた胸部から心臓を取り出し、秤に乗せて記録する。

「ハツ三百二十グラム。新鮮ですから店で買ったら結構値が張りそうですわ。串に刺して塩焼きが美味しそうですわね」

「はいはい、私は食べませんわよ。ゲテは嫌いなの」

 こう言いながらも置かれた心臓を素早く切り分け、大きなバーベキューの串に刺して塩をふる美知恵。

「レバー二百六十グラム。レバ刺しにしちゃいましょ。切らずに冷蔵ですわね」

「はいはい、私は食べませんわよ。どこが美味しいの?」

 ふにゅふにゅが好みでない美知恵は、少しばかり怪訝な顔になる。

「モツは煮込みにしましょうね。これなら御姉さんも食べられるでしょう」

「そうね、柔らかければね。スジも一緒に煮込んで頂戴。どちらかと言えば私はスジの方が好きなの」


 久蔵がこの会話に割り込む。

「おめえら、そんなゲテモツばかり食ってねえで、ハラミ取れよ。俺もなんだか食いたくなってきたな。おうハリネズミ、てめえはそっちで食えるからいいけど、こっちは腹ペコだー。勝手にやらせてもらうぜ」

 こう告げ店に備えてある冷凍庫から勝手に肉の塊を取り出し、囲炉裏の城を壊して炭をおこし始めた。

 画面の中では真樹穂になったハリネズミが、久蔵の助言を受けて横隔膜を切り取り、特製タレに漬けて焼肉の下準備を始める。


 一通り内臓を取り終えると、最後に残った頭蓋を切り開き、脳を取り出して鍋に放り込む。

「これが美味しいのよねー」

「ええ、これは私も好きよ」

 とても人間を解体している時の会話とは思えない絵面になっているが、ハリネズミの世界ではこれが当然なのである。


 肢体を切り落とすと、塊のまま冷蔵庫にしまい込むのは美智恵である。

「しばらく熟成させましょう。これから寒くなってきたらきっと良い生ハムが作れるわ」

「そうね。今日はここからいただきましょうかねー」

 にこやかな表情の真樹穂が、両足を切り取った痕の間から、抉るようにして肉塊を一つ大きく切り離す。

 外見は成人に見えても、ハリネズミの趣味が若干残っている。

 まだ未成熟のそれには、包み隠すものがまだ生えておらず、食すのに毛抜き作業が不要であるものの、この嗜好に嫌悪している久蔵にとっては耐え難い画面となった。

「オマエ! それ食うかなー。そこから食うかなー。気持ち悪いんだけど」口の中にあったハラミを吐き出す。


 寝ているハリネズミに向かって喚き散らした後、すぐに座敷の美絵を揺すって「止めろよ! あの変態行為は神が許しても俺が許さねえよ」

「とびっきりの異常者に仕上げようって言ってたのあんたでしょう。ぴったりはまってるじゃないの」

 むっくり起き上がり寝起きの不機嫌顔で美絵が答える。

「おおっー。起きちまったのかよ。おめえ、やる事やった後は徹底的に無責任だなー」

「当然でしょ。ハリネズミの世界に入り込んだまま何時までも正常でいられる自信がないもの。それにね、石城の分身でしょ。冥途美智恵って娘。あれも負けず劣らずの異常ぶりよ」

 囲炉裏端に歩み寄りハラミを口に放り込むと、徳利の酒をそのまま飲み干す美絵。

「美味っ! これ牛でしょうね。まさか店で人肉出していないわよね」

「ああ、たぶん牛だと思うよ。肉屋の伝票があったし、仕入れは板前に任せてるって言ってたからな」


 久蔵も肉をほうばり一升瓶から徳利に酒を入れると、自分の分はコップに注ぎ冷のまま勢いよく一杯飲んでからもう一杯注ぐ。

「どうせなら乳房からにしてほしかったよなー。なんとなく納得できるだろ、同じ猟奇でもよ。いの一番に少女のあそこからってのはあり得ねえだろう」

「グロすぎるくらいが良いのよ。あいつらしいでしょうにー」


 こんな会話が聞えたのか、自分の世界にどっぷり浸っていればいいものを、いきなり正気になったハリネズミの真樹穂が、画面の中で独り言を天に向かってはく。

「話が盛り上がっている所、腰を折る様で申し訳ないのだがね。君達の計画によると事件は三十年前から始まっているのだよね」

「そうだけどよ、脈絡なく話し出すなよ。編集が面倒になるからー」

 久蔵が厄介者を扱う口ぶりで答える。

「んー、でもねー。これじゃあいつになっても、どれだけ頑張っても一年程度の画像しか作れないのではないかなと思ってねー」

 余計な心配のようではあるが、確かに気になる事である。


 この疑問を見透かしていたかの様に、美絵が話しに混じる。

「待ってましたわよーん。牧保はね、最期の犯人なのよ。警察に捕まってもらう予定よ。これから貴方には、一年ずつ遡って同居者の殺人犯になってもらうわよ」

「聞いたろ。牧保の石城での最初の殺人が連れの男なんだよ。最後が先生な。牧保は二人しか殺さなくていいの」久蔵が付け加える。

「いいのって、よく分からないのだけども。もう殺しちゃいけないって事なのかな?」

 ハリネズミの真樹穂が残念そうに聞き返す。

「そうじゃねえよ。めんどくせえ野郎だなー」


 久蔵が説明に詰まりさじを投げると、美絵が替わってこれからの要領を教える。

「あのね、毎年の事件の犯人側を貴方にやってもらうけど、犯人は翌年になって別の犯人に殺されるのよ。だから、遡って行くと次に貴方が殺す役をやる奴を今のあなたが殺していくの」

「んー………君の話で増々分からなくなったのだけれど」

 ハリネズミが頭を抱えると、そばにいる冥途美知恵がその背中をさすって蒸しタオルを差し出す。

「いいから、俺達が段取りするから、御前は何も考えないでひたすら殺して食っていればいいの。分かった!」

「んー、分かったような分からないような………」

「そうか! 分かってくれたか。よかった、よかった」

 分かっていないハリネズミが無理矢理分かったと解釈して、話しをすすめようとする久蔵。


「一度やってみたかったのだけれどもね、怪我だとか病気だとか騙して生きたまま手足を切断して、それを切り取った奴と一緒に食べてさ、最期に気づかれない様に頭を切り開いて、当人と一緒に生脳ディナーをやりたいのだけれども、それってやっていいかな」

「ああ、何やって殺してくれてもいいよ。しかーし、オメエの趣味に共感したわけじゃねえからな。それ、グロイだろうよ」

「あは、だからやってみたいのさ。僕の高尚な趣味に君のように下品な生物はついてこられなくて当然だから、協調してくれとは言わないよ。一応許可をもらっておいた方が良いかなと思っただけだから、やらせてもらうよ」

「ああ、しっかり録画しといてやるよ!」

 こうして加害者が被害者になって食って食われてが続き、どんどんとさかのぼって行く事三十年。

 そこには主犯とされていた男と一緒に、今回の三十年悪夢で最初の被害者となった女が共犯として写っていた。



 一連の画像を編集しダイジェスト版に加工した後、匿名で警察に送り付けるのが久蔵の役目である。

 僅か一日一晩の間に三十年の悪行を経験したハリネズミは、既に現実に帰ってきている。

 暇を出していた店の板前を呼ぶと、美知恵も石城から居酒屋にやって来て久蔵の編集作業を手伝う。

 美絵は相変わらず飲んだくれている。

「美絵ちゃん。帰らなくていいの?」

 店で散々タダ飲みタダ食いをされて、心配そうにしたハリネズミが早くの退散を遠回しにハッキリ言う。

「んー、そろそろ帰ろうかな。温泉の皆も避難しちゃったしねー」

「ん、そうだよ。そうした方がいいよ。渓谷の復旧が終わるまでは皆は街で避難生活をしていればいいと僕は思うのだよ。だーよ」

「違うのよ。山城さんの口利きでね、千葉に温泉リゾートを作ったから、そこの御手伝いとかに駆り出されているのよ」

「へー。アッ! 大変な事を忘れていた。僕は狙撃されて撃ち殺されそうになって、病院の集中治療室にいなければいけなかったんだ」

「って、あんた。よくもそんな大事な事を忘れられるわね」

「いやー、一仕事終えて安心しきっていたもので、こりゃうっかりしたら僕が鬼の子だってばれちゃうね。もう帰ろう」


 美絵とハリネズミが慌てて店から出て行くと、残ったのは美知恵と久蔵に板前だけとなった。

「旦那、何か作りましょうか?」

「タダなら適当にー」

「勿論、御代なんてケチ臭い事は言いませんよ。肉なら、唸るほどありますから」

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