ゆらぎ

鳥尾巻

おうちデート

 今日は彼氏のヨシロウ君のうちに来てる。でも、彼は夕方急に来た元同僚とかいう女性とずっと玄関で話してる。何話してるんだろ。せっかく初めてのおうちデートなのにな。

 ヨシロウ君は、私が大学に入ってから始めたバイト先のカフェの常連さんだった。カフェの隣の雑貨屋さんの店長で、ちょっとくたびれた感じの年齢不詳のお兄さん、というのが最初の印象。

 低血圧で寝起きが悪いらしいヨシロウ君は、朝、ゆらゆらした足取りでやってきて、いつも濃い目のエスプレッソを頼む。寝癖がついたままの黒い癖毛をふわふわさせて、眠そうな一重の垂れ目が可愛いなと思ってた。


「連絡先を教えて」と、恥ずかしそうに言われた時は意外な気がした。すごいイケメンという訳ではないけど、なんとなくモテそうな雰囲気だし、女の子には慣れてそうだったから。

 実際はそんなこともなくて、普段は口数も少ないし、初めてのデートで手を繋いだ時は指が震えていた。おまけに手の平は汗ばんで冷たかった。「すごく緊張してる」と、耳を赤くしながら教えてくれて、なんだかこっちまで恥ずかしくなってしまった。


 だけど、今、来てる元同僚の人とは楽しそうに笑っている。なんだか声も上ずってるし?いつもとテンション違う。ヨシロウ君は店舗の入ってるビルの3階に住んでるから、みんな家を知ってるとはいえ、急に押し掛けてくるのはナシじゃない?今日、定休日だよ?おーい、おーい、大好きな彼女ほったらかしでいいんですか~?


 ああ、自分で言ってて虚しい。私は寝転がっていたソファに置いてあるビーズクッションを抱き締めて、不貞腐れた気分で天井を仰いだ。ショワショワと微かな音を立てる青いクッションに顔を埋めて、大声で喚いてやりたい気持ちを小さな粒の中に溜息と共に吐き出す。

 別に浮気を疑ってる訳じゃないの。こんなに堂々と浮気相手と話をするような人じゃないと思うし、彼にだって付き合いはあるんだろうから。


 そう思って寝返りを打った時、急に鼻がムズムズして、くしゃみが出てしまった。春先でも、夕方は冷える。その途端、話し声がピタリと止んだ。それからボソボソと聞き取りにくい声が続いて、ドアが静かに閉まる音がした。


 裸足で床を歩く足音が近づいてくる。リビングのドアが細く開いて、ヨシロウ君が顔を出す。少し情けなく眉尻を下げて、私の顔を見て困ったように笑う。少し色褪せたカーキのTシャツに黒のサルエルパンツ。いい大人なのに、クシャクシャの寝癖頭が子供みたいで、さっきまで機嫌が悪かったのに思わず笑ってしまう。

 ヨシロウ君は、バツが悪そうな表情で私に歩み寄ると、そっと頭を撫でてくる。大きな手の平は温かくて、少し安心する。


「ごめんね」

「なにが?」


 私は機嫌が悪いふりをしながら、その手の平に頭を押し付ける。長い指先が私の髪の間に潜り、地肌を滑るのが心地よくて目を細める。頬に下りて来たその手を捕まえて、素知らぬ顔で軽く嚙みついてやると、ヨシロウ君の焦げ茶色の瞳がほんの少し揺らぐ。

 鼓動が見えるようなゆらぎ。初めて話しかけられた時も、初めて手を繋いだ時も、初めてキスした時も、そのゆらぎに合わせたように、私の心も同じように揺れた。


「つづき、しようか」


 肩に口づけながら、ヨシロウ君が口の中でもごもご言う。中途半端に脱がされた状態で放置された肩に、唇の熱がじわりと伝わる。不器用な誘い方に、また吹き出しそうになる。


「冷えちゃったから温めて」


 私は彼の首に手を回して抱きつき、言葉を詰まらせる喉仏に柔く歯を立てた。


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