巻第二十「天狗、仏と現じて木末に坐せる語 第三」
今は昔のことである。醍醐天皇の時代に、京の五条のおおよそ現在道祖神社があるあたりに、柿の木があった。それは大きな木だったが、いつまでも実が生らず、人びとからなんだかあやしげなものと思われていた。
あるとき、その木の上にとつぜん仏さまが現われなさった。
その仏さまは、妙なる美しい光をお放ちになって、空からさまざまな花を降らされた。その様子の貴いこと! 京中の人びとは身分の上下を問わず、そのお姿を拝見しようと木のあたりに集まった。おかげでひどく混雑して、牛車であれ徒歩であれ、後から来た者は木に近づくこともむずかしい。こうした野次馬たちの大騒ぎは、一週間経ってもおさまらなかった。
そのころ、「
「ほんものの仏さまが、こんな時代のそんな木の末にあらわれるはずがないだろう。どうせ天狗か何かの仕業だ。外道の妖術なんて、そういつまでも続かないものだ。近く効果が切れるはず。どれ、今日私が行って見てやろう」
光の大臣は、晴れの日であるかのようにきちんと正装して、高級な檳榔毛の牛車に乗り、同じく端正に身なりを整えた従者を先駆けとしながら、件の木があるところに向った。そのもとに集まった野次馬たちを従者に追い払わせて、牛を離して車を停めると、簾を巻き上げて、梢を見あげた。
ほんとうに仏様がいらっしゃるではないか!
仏様は、金色の光を放って、空よりさまざまの花を雨のように降らせている。見ればみるほど、その姿は貴い。
にもかかわらず、光の大臣は、きわめて怪しいことだと思った。彼は、仏さまに面と向かうと、瞬きすることもなく、ずっとまなざしつづけた。すると、この仏らしきものは、しばらくばかりこそ変わらず光を放ちって花の雨を降らせ続けたが、やがて光の大臣の眼力に耐えられなくなって、たちまち大きな翼の折れ曲がったノリスという鳥に成り変わって、木から落ちた。そして醜く地べたをはいずりまわった。
野次馬たちは、これを見て珍妙に思い、子どもたちはノリスに群がると打ちのめして殺した。
「それ見たことか、偽物ではないか。ほんものの仏さまが、どうしてこんな木の上にとつぜん現れるだろうか? そんなはなずはないのだ。人びとはそんなことも分からず、何日も拝んでは、さわぎたてた。なんとも馬鹿げた話だ」
光の大臣はそう言うと、帰っていった。
大臣を見送りながら、その場にいた人びとは感心したし、またこの話が広まって、世の人びとが彼の賢明なことを褒め称えるようになったということだ。そのように語り伝えられている。
現代語抄訳『今昔物語集』 山茶花 @skrhnmr
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