現代語抄訳『今昔物語集』

山茶花

★巻第十九「髑髏、高麗の僧道登に恩を報ぜる語 第三十一」

 今は昔のことである。高句麗から日本に渡ってきた僧侶で、道登どうとうと呼ばれる者がいた。日本では元興寺を拠点としていたが、善根を積む修行の一環で、宇治川の橋の建築工事にたずさわることになって、その間は、北山科の恵満という者の家を借りていた。

 橋が架けられて、恵満の家から元興寺に帰ろうと、奈良坂山の道を道登が通っているとき、彼は、その道の地べたに、髑髏ひとがしらが落ちているのを見つけた。人が行きかう道であるから、その髑髏は、当然のように人びとに踏まれている。それを見た道登は慈悲の心をおこして、髑髏を拾うよう供の童子に言いつけると、もう踏まれないよう、それを木の上に置かせた。

 それからしばらく経った十二月の晦日の夕暮のことである。

 とある男が、元興寺の門をたずねてきて、「道登さまの童子に会いたい」と言った。

 童子はそれを聞いて僧房を出ると、門まできた。ところが、顔を合せても見覚えがなかった。

 相手は言った。

 「俺は、お前さんの師匠である道登さまの徳行にあずかって、年来つづいた苦しみから解き放たれて、安心を得た者だ。ありがたい恩ではあるが、俺がその恩を返せるとしたら、この大晦日しかないのだ」

 男はそう言うと、どことも知れない里のとある家まで、童子を連れて行った。わけも分からないまま童子はその家に入ると、男がたくさんの食事を出してくれた。男自身も一緒にそれを食べた。そうしている間に夜が更けたから、童子はその家に泊まった。

 その暁方なって、何者かの気配した。

 さきほどから正体をあらわさらないこの男は童子に言った。

 「俺を殺した兄貴がやってきた。俺ははやく去るとしよう」

 童子は訝しんで訊ねた。

 「いったい、どういうこと?」

 「俺は昔、兄貴と一緒にいろんなところに行っては、商売をしてたんだ。あるとき、それでしろがね四十斤(約二十四キロ)を儲けたことがあった。銀をもって帰ろうと奈良坂を通っているとき、兄貴のやつは銀をひとり占めしたくなって、俺を殺したんだ。家に帰ると、『弟は盗人に殺されたんだ』と母さんに吹聴した。盗まれたことになった銀は全部兄貴のものさ。その後、俺の髑髏は奈良坂の道に放置されて、道を行き交う人びとに踏まれ続けてきた。そのところに、お前さんの師匠の道登さまが俺を見つけてくださって、お慈悲で、お前さんに言いつけて、俺を拾って木の上に置いてくれて、長い苦しみから助けてくれたというわけだ。だから、こうしてお前さんへの恩も忘れてない。じつはさっきの食事は俺にたいするお供えなんだ。それを食わせてやりたくて連れてきたんだよ」

 そう言うと、男の姿は消えてしまった。

 童子はこの奇怪な話を聞いて驚いていると、先ほどの幽霊の母親が、弟殺しの兄と一緒に、その家に入ってきた。見知らぬ童子が家に入っているのを見て驚き、いったい何者なのかと声をあげた。童子は、ここに来ることになった経緯を語り、幽霊の男から聞かされた話の一部始終をそのまま母親に伝えた。

 母親は、話を聞くと、人殺しの兄をおおいに恨んで、泣く泣く言った。

 「じゃあ、お前が私の愛し子を殺したんじゃないか! 私は今まで知らなかった。『盗人に殺された』なんて、嘘八百だ。ああ、ほんとうに……、なんてことでしょう……!」

 母親は、嘆き悲しみながら、童子を拝んで食事を与えた。

 童子は、僧房に帰ったあとで、師匠の道登にこのことを話した。道登はあらためてこれを聞いて哀れに思った。

 このように、死者の躯すら恩を報じる。まして生者が恩を忘れるなんてことがあるだろうか。恩に報いることは仏菩薩もお喜びになることだ。


 こうした次第で宇治川は橋は道登が造り始めたのだが、また、それでいて「天人が下って来て橋を作った」とも言われる。その由来からその時代には「大化」という年号が名づけられたらしい。私が思うには、道登による建築を助けに天人が下りていたのかもしれないのだが、確かなことは分からない。

 このように語り伝えられている。

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