二〇二四年八月の会 吟行の夏休み

第31話 吟行の始まり

 八月です。

 痛いほど強い日差しは、深い緑に遮られています。心地よいはずの風も、延々と続く坂道に、早くも息が上がり、目的地に着くことを切に希望します。

 私、鶫里子は、今、山道を登っています。もちろん本格的なものでなく、東京都民なら、学生時代に一度は訪れている高尾山です。

 たいして高くもない山だろうと、侮っている君。大人になると学生時代の謎テンションの頃とは違うのです。只でさえ運動音痴の上、デスクワークでだらけ切った怠惰な筋肉は、確実に山を登る力を奪っているのです。


「あと半分ですよ。頑張りましょう、サト先生」


 普段から運動する事に余念のない山田くんは、無邪気に応援してくれる。息すら上がっていない。同じ人類とは思えない。

 もう半分とまだ半分の思考法でも、いつだって、まだよりの私は、既にげんなりしています。

 小学生でも登れる山のキャッチコピーに騙された私は、みんなに応援されながら、ひたすら登っているのです。

 因みに魔法使いのメンバーはちょっと上で、お喋りして待っています。

 そう、今回もみんなで参加しているのです。



 ことは先月の歌会の終わりから始まりました。

 話の流れで、私と山田君が人生初のデートという、心臓に悪そうなイベントをすることになったのですが、再会したのは三日前、そして、デートは明日。展開が早くないですか?

 正直、引いてしまうのですが、救世主のひと言が流れを変えた。


「いいなぁ、ツグミン。僕も高校野球の観戦に行ってみたいな」


 ああ、夏芽様、尊い。

 指導役の雲助さんの従姉妹。完璧なる男らしさがひかる美青年。そして、私の推し。


「それでは一緒に行きませんか。僕とサト先生の後輩の応援なので、メンバーが多い方が盛り上がります」


 山田くんの天然砲が放たれた。


「バカ夏芽。折角、お膳立てしたのに邪魔するな」


 萩井課長補佐こと、北壁さんが慌てている。


「だってさ、この二人、かなりマイペースだし、急いでくっつけるより、もっと時間を掛けた方が良くないか。山田くんのことも、もっと知りたいし……」


 夏芽様、もっと押して。


「ツグミンはどうしたいの?」


「えっ」


 雲助さんの突然の質問に、思わず答えに窮してしまった。完全に他人事のような立ち位置で、事の推移を見ていた私はどうしたいのだろう。


「昨日の今日でいきなりデートは、ちょっと……かなり戸惑います」


「ふむ、山田くんは二人きりで観戦したいかな」


「う〜ん、サト先生が鈍いのは今更なので、ゆっくりしたペースに合わせますよ。それに今のサト先生をもっと知りたいのに、変に意識されて、ぎこちないのも嫌かな」


 なんだと、私が鈍いとは聞き捨てできないです。漸く気配りが出来るようになったと、自負しているのに。

 そんな心のもやもやを無視して話は進む。


「なら、明日はみんなで野球観戦と洒落込まないか。『魔法使いの夜』初の吟行を敢行しよう。

 僕も高校野球の観戦はしたことないし、何よりも、山田くんの歌が面白かった。野球観戦を題材に、取り敢えず一首を目指して作歌してみるのはどうだろうか」


 雲助さんがとんでもないことを言い出す。


「賛成」


 夏芽さんが前のめり気味に。


「僕も賛成。高校野球の地区予選は行ったことないから楽しそう……」


 山田くんの営業部の先輩のゴン太さんが控えめに。


「折角、お膳立てしたのに……まあ、ツグミンだしな……しかたないか。俺も行くよ」


 しかたないって何ですか、北壁さん。


「是非とも僕らの母校を応援して下さい。夏の地区予選観戦は、ナイターをイメージしていると危険です。日焼け止めは絶対してきて下さい。内野席を陣取る予定ですが、影になる場所がありません。帽子も絶対必要です。制汗、冷却グッズもあると良いです。まだ、準々決勝なので、飲み物は現地で調達できますが、ペットの水を凍らしたものを持ってくると、意外に重宝しますよ」


 さすが山田くん。野球観戦にも詳しい。


「場所は明治神宮球場。試合は二戦目ですので、予定では十一時になります。僕は現地に前乗りで手伝いに行っていますので、着いたら連絡を下さい」


 山田くんはスマホでスマートに連絡先を交換しているのに、私は使い慣れていないせいで、モタモタする。社会人として駄目かも知れない。


「それでは、明日、球場で会いましょう」


 帰る方向が同じの私は不安いっぱいのまま、上機嫌の山田くんに送ってもらったのであった。


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