第85話 炎魔・Ⅳ

「陛下!! 早く逃げてください!!」


 玉座の間に近衛兵の叫びが響いた。


「我々が国外まで護衛します!!騎士団が霊魔どもを食い止めている今なら安全に────」

「愚問だな。民を放って逃げる王がいったいどこにいる」


 近衛兵の言葉を切り捨てたオットーは玉座に座したまま動こうとしなかった。


「なぜです陛下!! なぜお逃げにならないのですか!!」


 民を守る騎士団と違い、王を守るために存在する近衛兵にとって今の状況は一大事であった。守らなければならない王が死地から逃げようとしない。強引に連れて行くにも相手は王ゆえ、下手な強硬策はとれない。


 なのでどうにかして説得しなければならないが、近衛兵は目の前にいるオットーという男の心を動かせる気がしなかった。


「命が惜しくないというのですか!!? ここで死んでもいいということですか!!?」


 感情的になって飛び出した言葉はかなり無礼な言葉だったが、少々熱くなってしまった近衛兵は気付いていなかった。



 オットーは近衛兵の言葉を気にした様子もなく、しかし突然意味深な言葉を呟いた。


「?」


 何を言っているのか、言葉の意味が理解出来なかった近衛兵は首を傾げる。


「テミスの名を冠するこの国の王として、我は見届けなければならないのだ」


 オットーが左手の甲を近衛兵に向ける。近衛兵がそこに刻まれた公平の天秤の紋章を見た瞬間、近衛兵は魅了されたような茫然自失に陥った。


「ここで見たこと、聞いたことは全て忘れろ。城を出て今すぐ民の命を守れ」

「…………はい」


 心ここに在らずと言った風な返答の後、近衛兵はふらふらとした足取りで玉座の間を去った。


「……黄昏はもうすぐか」


 静まり返った空間の中でオットーは、また玉座に腰掛けた。



 時は少し遡り、国立病院。


 黒い巨人の接近によって大パニックに陥っていた患者たちは、リルカや看護師医者らの連携によって多少冷静を取り戻していた。少し遅れて駆け付けてきた王国軍たちの援助も受けながら着々と避難は進んでいる。


「───大丈夫ですか?」

「はぁ…………はぁ…………お手を煩わせてしまってすみません」

「いえいえ! ゆっくりでも全然大丈夫ですからね!」


 院内にいた半数以上の患者の避難が完了したころ、リルカは、患者衣を着た赤い長髪の女が階段を下りるのを補佐していた。


「ママ、大丈夫?」


 階段を下り切って大きく息を切らしていた女に不安気な声色を向けたのは、女と全く同じ髪色を持つ少女だ。顔の造形や髪色など細部から血のつながりを確認できるその二人は親子である。


「オリガ……ママは平気よ。心配してくれてありがとうね」


 女は少女オリガに柔らかな笑みを向ける。しかしその笑顔には脂汗が滲んでおり、無理をしていることは明白であった。


「ママ……」


 オリガもそれを読み取っていた。が、母が子供である自分に対して弱気を見せることは絶対にないことを知っていたオリガは目を少し潤ませるだけでそれ以上何も言わなかった。


「止まってしまってごめんなさい。そろそろ、行きましょうか」


 女はリルカに向き直ってそう言った。しかし顔色は悪く、とてもじゃないがまともに歩けるようには見えない。


(どうしよう…………車椅子は他の患者さんが使ってなくなったし…………)


 リルカはどうすれば女が楽に避難できるか必死で考える。その間にも数回、各地から戦闘によって発生したと思われる轟音が院内にも響いており、状況は刻一刻を争うものとなっている。


「よし……!」


 そして閃いたリルカは、背中に背負っていた彼女の大楯を地面に置いた。


「お母さん! 私の背中に乗ってください! 私が安全なところまで運びます!!」


 背中を向けてしゃがんだリルカの言葉に女は目を丸くし、一瞬だけ迷った後に素直に従った。


「ちょっとだけ走るので、しっかり捕まっててくださいね! オリガちゃん、行こっか!」

「う、うん!」


 女を背負ったリルカはすぐさま動き始める。振動が女に伝わらない様に小走りで進んでいく。黒い巨人の咆哮によって割れて散乱した窓ガラスの破片に気を付けながら、オリガのペースに合わせてどんどん一階まで近づいていく。


「……ごめんなさい。私のせいで余計な手間をかけさせてしまって……」

「謝らないでください。私は騎士として当然のことをしているだけなので!」


 悲痛な顔で謝る女にリルカは明るい声で返答する。その言葉に安心したのか、或いは体力の限界が来たのか、女はゆっくりと目を閉じた。

 

「ねぇ騎士様。あの楯おいてきちゃってよかったの?」


 進みながらオリガはリルカが置いてきた大楯のことを尋ねた。


「うん。避難が終わったら取りに戻るから大丈夫だよ!」

「でも、霊魔が来たら……」


 ポツリと呟いた少女の声には不安の色があった。


「オリガちゃん。あの楯って実はすっごく不思議な楯なの。私が「来て―!」って強く念じたら、すぐに手元に来てくれるんだ!」

「え! そうなの!?」


 暗かったオリガの目が一転してキラキラと輝く。


「えへへー! 凄いでしょ!」

「凄い! 騎士様凄いよ!」


 重苦しさが色濃かった雰囲気がたちまちのうちに緩和される。


『アオォォォォン!!!』


 刹那に響き渡った狼の遠吠えは明るくなった空気を切り裂いた。ビリビリと空間が震えるような感覚が三人の肌を刺す。警戒を深めたリルカは状況確認のために窓の外を見た。


「!」


 爆炎を纏った巨大な竜巻がそこにはあった。


 霊魔の仕業だとすぐに気づく。


 その直後に感じ取ったエルドの霊力。それは霊魔が起こした竜巻と全く同じ場所から発生していた。


(今の霊力、エルドの霊装!! あの竜巻の中にいるんだ!!)


 愛する人の危機を察知してリルカは居ても立っても居られない。


(行かなきゃ!! エルドが、死んじゃう!!)


 背中に病人を背負っていることを忘れ、自分が騎士であることを忘れ、本能のままに駆けだそうとした。


「なに、あれ……」


 震えたオリガの声がリルカの身体を引き留める。


「騎士様…………!」


 小さな手に袖を掴まれる感覚が、リルカの心を騎士へと引き戻した。


「────安心して、オリガちゃん」


 リルカは微笑みながらオリガの頭を撫でる。


「私たち騎士はすっごく強いんだよ?」

「ほんとう…………?」

「勿論!!」


 ふわりと、甘い花の香りが三人の鼻腔を擽った。


「だから安心して! 皆のことは、私達が命に代えても守るから!」


 オリガが、圧倒されたように目を見張る。


 窓の外ではギドが放った巨大な斬撃波が竜巻をかき消していた。


「行こう! 早く安全な場所までお母さんを連れて行かなきゃね!」

「…………うん!」

 

 リルカを見つめるオリガの眼には、強い憧れの火が宿っていた。

 

 そうして一行は再び進み始める。階段を何度か降りてようやく一階にたどり着く。そこから少し進んで、ガラス張りの壁がまだ生き残っている広々としたエントランスホールに差し掛かると、丁度良く王国軍が正面玄関から入って来た。


「兵隊さん!!」

「騎士の嬢ちゃん! 患者の護衛は俺たちが─────」


 駆け寄った兵士たちが患者の護送のため、リルカに背負われている女の身体をゆっくりと地面に降ろす。


 その刹那、とてつもない速度で飛んできた何かがガラス扉を突き破ってエントランスに侵入した。兵士たちの間を一瞬で通り過ぎたソレは長い受付カウンターに激突して轟音と煙を巻き起こす。


「何だ! 何が飛んできた!?」

「霊魔の襲撃か!!?」


 突然の事態に兵士たちが混乱し始める。


 すぐさまリルカは皆を庇うようにして一歩前に出た。


「来て!!」


 リルカが右手を少し掲げた瞬間、淡い燐光と共に置いていったはずの氷の大楯が右手に現れる。リルカはそれをすぐに構えて飛ん出来た何かに警戒を向ける。


 カランという音の後、煙の中から一本の剣が露出する。


 やがて消え始めた煙の中から現れたのは、山羊頭の悪魔に吹き飛ばされたギドであった。


「……ギドさん?」


 リルカの警戒が、いやこの場にいる全員の警戒心が一瞬で戦慄へと変わる。


 見るも無残な状態を晒すギドは、息をしていなかった。

 

「嘘……!」


 リルカが声にならない声を上げる。


 瞬間、エントランスホールが斜陽が差し込んだような赤色に染まった。


『べェモン』

 

 山羊頭の悪魔がガラス張りの壁からエントランスホールを覗き込んでいた。


────あとがき────


 オットーが唱えた言葉について、序章改稿時に追加したある描写と繋がっておりおります。該当するエピソードのリンクを貼りますので、ピンとこなかった方は良ければどうぞ。


↓プロローグ

https://kakuyomu.jp/works/16818093075753914427/episodes/16818093082413087413

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