第84話 炎魔・Ⅲ

 襲い掛かる目無し狼の突進に対してエルドは剣による迎撃を選択する。正面から弾き返すつもりだ。しかし狼はこれを読んでいたのか、自分の顔が剣と衝突する寸前の刹那に体勢を変えた。人間で言うショルダータックルのようなフォーム、エルドの迎撃を力尽くで砕こうとする意図がそこにはあった。


 そして両者はぶつかり合う。轟音が鳴り響く。一瞬の拮抗が生まれた後、両者は互いに何かを察したのかほぼ同じタイミングで引き下がる。


 ここで一枚上手だったのはエルドだった。目無し狼が後退しただけであることに対し、エルドは後退と同時に攻撃も行った。


「切風」


 振るわれた剣から飛ばされた斬撃が白い風となって空を翔ける。四年の鍛錬によって洗練されたその斬撃は速度だけならばモーリッツの雷霆にも匹敵する。これを予想していなかった目無し狼が反応出来るはずもなく、直撃。斬撃は目無し狼を縦に両断した。


 攻撃はまだ終わりではない。真っ二つにされた目無し狼の切断面が凍結し始めた。


 それはエルドの剣によって引き起こされた現象。スレイプニルの霊力と共鳴したことで霊装化した剣にはスレイプニルの霊臓が宿っている。出力はエルドの霊力に依存するため、スレイプニル程の威力は出ないが、それでも十分すぎる力である。


 閑話休題、目無し狼の炎の肉体は瞬く間に氷塊と化した。


「……!」


 動かなくなった目無し狼を見据えながら、エルドは警戒を緩めず剣を構えなおす。


 ────二つの氷塊にひびが入る。その隙間から噴き出した炎が地面のある一点で収束すると再び目無し狼の形に戻った。


 正確には違う点が二つある。それは先ほどよりも幾分か大きくなっていることと、くり貫かれた目から炎が涙のように溢れ出していることだ。


「今ので終わって欲しかったけどな……!」


 エルドはそれに驚きつつ、しかし想定外というほどでもない様な態度を示す。


『アオォォォォン!!!』


 その刹那、目無し狼が遠吠えをした。ビリビリと振動する空気が痺れるような感覚をエルドの肌に突き刺し、エルドの警戒心を最大まで引き上げる。


 風が吹く。冬ではあり得ない熱を持った風が。


 それは次第に荒く、熱くなり、辺りに積もっていた雪を融かし始めた。


「まさかこいつッ!!」


 何かを悟ったエルドは瞬時に剣を逆手に持ち直し、両手で柄を握ると切っ先を勢いよく地面に突き立てる。現れた氷の壁が主を守るようにしてエルドを覆ったその瞬間、急激に勢いを増した熱風がエルドを取り囲むように渦巻き始めた。

 

 渦巻く熱風は見る見るうちに激しくなり、ついには炎すら伴ってエルドを襲う。最早それは爆炎の竜巻だった。


「うわっ!!?」


 竜巻は逃げ遅れた一般人を尽く吸い込んで、その業火で焼き尽くす。


「────アツいアツいアツいアツい!!」


 焼かれた者たちの断末魔は一様にして同じであった。焼いた人間の数は増えるほど、竜巻は勢いを増す。荒ぶる暴風の軌道は炎によって可視化され、ついには家屋すら取り込むほどに発達していく。


 吸い上げられた家々は風によってバラバラになり、爆炎がその残骸に火を付ける。辛うじて飛ばされずに耐えている家屋もちらほらあるが、爆炎が撒き散らす高温にあてられて発火したり融解したりと無惨な状態であった。


 一帯が地獄絵図と化してもなお竜巻は消えない。まだエルドが残っているからだ。氷壁に守られたエルドを焼き尽くさんとして更に激しくなる。


 エルドも負けじと剣に霊力を流し込んで氷の防護壁を強化し、耐え忍ぶ。


 それは最善手であるが、悪手でもある。


 氷壁は確かに竜巻の風や炎を通さないが、青天井に上昇する気温はその限りではない。氷壁の内側は今や呼吸するだけで肺が焼ける超高温のサウナ状態。かといって氷壁を解除すれば荒れ狂う爆炎の暴風がエルドを灰にするだろう。


「ぬかった……!」


 氷壁の中でエルドは己の凡ミスを理解する。乾燥した超高温に晒された唇はひび割れ、眼球を保護する水分が蒸発したことで充血が悪化していく。


(喉が焼けて……息が……!)


 じわじわと追い詰められる感覚、エルドの焦りが大きくなる。それに追い打ちをかけるように氷壁も亀裂が走る。


 それは目無し狼がダメ押しと言わんばかりに吐き出した火炎によるものだった。火炎の勢いは凄まじく、レーザービームとでも言った方がいいのではないかと錯覚するほどである。


 そんなものをぶつけられた氷壁はたちどころにひび割れていく。ミシミシと音が鳴り始める。


「氷花旋風斬!」


 瞬間、颯爽と現れたギドが繰り出した斬撃波によって爆炎の竜巻はかき消された。


『!!』


 想定外の事態に目無し狼は火炎放射を中断する。


「撃てェ──────!!!!」


 直後に飛来した弾丸の雨が目無し狼の頭部を貫いた。王国軍の援護射撃だ。意表を突かれた目無し狼はたたらを踏み、なおも続く弾幕から逃れるために何処かへと走り去っていった。


「逃がすか!!」


 ギドは逃げた目無し狼を追いかける。


 援軍に助けられたことを理解したエルドは氷壁を解除すると、苦し気に咳き込みながらその場にへたり込んだ。


「君!! 大丈夫か!!」


 兵士たちがエルドの元へ駆け寄る。


「怪我はないか?」

「助かりました─────」


 兵士に礼を言うために顔を上げたエルドは、空に広がるそれを見て青ざめた。そんなエルドに釣られて兵士たちも空を見上げ、エルド同様にそこにあった光景に眼を見開いて青ざめた。


 そこには爆炎の竜巻から解放されてあちこちに投げ出された瓦礫の数々があった。


  ─────アツいアツいアツいアツい!!!!


 氷壁の中で聞こえた断末魔がフラッシュバックする。


「ぁ」


 自らのミスが招いた惨劇に、エルドは絶望した。



「─────竜巻の次は瓦礫とはな!」


 霊魔二体を空に釣り出している最中だったテレジアはカオスになっていく状況に愚痴を零した。刹那に飛んできた瓦礫を危なげなく躱し、高度を上げて安全圏に入る。


 眼下で王国に降り注ぐ瓦礫の雨を見て状況を再確認したテレジアはすぐさま止めに入ろうとしたが、自らがおびき寄せた翼の蛇と怪鳥の妨害を受けてしまう。

 

「邪魔をするでない!!」


 牽制のために放たれたのは彼女の霊臓によって生成された無数の血の剣だった。それらは機関銃の如く放たれたが、怪鳥が翼で起こした突風によって呆気なく散らされる。


『イツマデ!』

 

 鳴き声と共に翼の蛇が怪鳥の前に躍り出た。広げられた翼から人間大の火球が八つ射出される。テレジアは再び血の剣を生成し、ぶつけることで相殺を狙った。


 しかし火球はテレジアの魂胆を嘲笑うようにクイと曲がり、剣を躱すとそのまま統率された動きでテレジアを包囲した。図で表すならば半径一メートルもないような円だろうか。テレジアは火球が形成した隙間の無い円の中心にいる。


「小癪な真似を──」

 

 言いかけたその瞬間に火球は八つ同時に爆発する。反射的に血の防壁を生成したことで間一髪ダメージを免れたテレジアはすぐに反撃するが、やはり霊魔たちには届かない。


 テレジアは表情に焦りを滲ませた。


(間に合わぬ……!)


 テレジアが霊魔の対処に手を焼いている間も瓦礫の流星群は王国へ接近していた。竜巻に巻き上げられた際に発生した炎は未だ盛んであり、地上から見上げたなら本当に流星群が落ちてきているように見えるだろう。


 王国にいる全ての人間が数秒後の凄惨な光景を思い浮かべた。


「終わった……」


 誰かが口にした絶望は全ての王国民の心を代弁していた。


「ところがどっこい───」


 ただ一人、南東部オリオン区にいたアルベドを除いて。


「俺がいます」


 アルベドは勝ち誇ったような笑みを浮かべながらそう言った。


「スノーマンズフィールド」


 霊臓が発動し、王国内に存在する全ての積雪がアルベドの手足となる。


「よーくねらって~~~~…………」


 アルベドは左手を空へ突き出し、真っすぐ伸ばした人差し指と親指が形成する直角を照準に見立てる。落下してくる瓦礫に狙いを付け、握り込んだ右拳をグググと引き込むと、積雪がその動きに同期して握り拳の形をとりはじめる。


 甘く見積もっても人間大はある巨大な握り拳は国中の積雪から生まれて、その数は数秒と経たぬうちに百を超えた。


「どっこいしょォ!!!!」


 アルベドの右拳と同時にぶちかまされた雪拳が瓦礫の流星群を粉砕した。それだけにとどまらず、上空にいた翼の蛇と怪鳥も雪拳の殴打を喰らう。


『ア…………』


 炎による再生すら追い付かないほどバラバラにされた霊魔たちはそのまま黒い靄と化して消滅する。


「ぬわあぁぁなんでぇぇぇ!!?」


 ついでにテレジアも巻き込まれていた。

 

 …………友軍誤射である。


「やっべ」


 アルベドはすぐに見なかったことにした。



 ところ変わってプラタナス区。


「でかした相棒ッ!!!!」


 ギドは逃げ続ける目無し狼を追いかけながら、流星群を粉砕したアルベドに歓声を上げていた。


「俺も負けてられねぇなッッ!!」


 湧き上がる競争心に浮かされたギドのボルテージが上昇する。


「氷花旋風斬!」


 放たれた斬撃波が目無し狼を縦に両断した。


『イツマデェェ!!』


 が、目無し狼は止まらない。まるで切られたことに気付いていないようだった。ギドが目を見張る間に炎による再生が始まり、目無し狼の肉体は元通りになる。


「テメェは不死身かよ!! さっきまでの威勢はどうしたよ!!」


 鬱陶しそうに吐き捨てたギドだったが、気がかりな点があった。


「そんなチートみてぇな再生能力持ってるくせに何逃げてんだ!!」


 その答えは次の瞬間に訪れた。


『べェェ』


 目無し狼の目の前に、山羊頭の悪魔が出現する。


「増援! そういうことか!」


 新たな敵の登場にギドは追跡を止め、炎の霊魔たちから距離を取る。


『べェモン』


 霊魔、いや悪魔は、目無し狼の頭を食い千切った。


 ────あとがき────

 

 本来であれば前話の83話から伏線回収を始めるつもりでしたが、戦況や展開を考慮した結果、次回以降の85話から始めた方が違和感がないと判断したので見送りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る