第83話 炎魔・Ⅱ

 門から一斉に飛び出した霊魔たちの中で最も早く行動を起こしたのは頭蓋骨の形をした炎であった。他の霊魔が翼や足で移動する中、炎と共に一瞬姿を消したソレは直後に王国の中心にそびえ立つテミスの神像の頭上に出現する。


『イ、イ、イツマデ……!』


 頭蓋骨の霊魔は顎の骨を大きく開き、何かを唱える。黒雲の空に禍々しい巨大な魔法陣が出現した。


「クソったれ!! 何しやがるつもりだあの野郎!」


 いち早く動いたのはアレキサンダーだった。共に黒い巨人へ向かっていたモーリッツを置いて一人踵を返し、当然のごとく空を蹴って神像の上の霊魔を排除せんとする。さながら瞬間移動の如き勢いで霊魔に接近したアレキサンダーだったが、構えていた銃で眉間を撃ち抜いた瞬間に霊魔はあちこちに炎を撒き散らして消滅した。


「消えた……?」

 

 神像の上に着地したアレキサンダーは姿が消えた霊魔を探すが、見当たらない。しかし空には未だ魔法陣が残っていた。


 アレキサンダーは静かにそれを睨みつける。


「アレク!!」


 少し遅れて杖に跨って空を飛んできたテレジアが声を掛けた。


「グリムから言伝を貰った!! 巨人は後回しにしてまず小物を片付けるぞ!!」


 テレジアはそれだけ言い残すと高度を上げる。


「騎士団長グリムから各団員へ!! プラタナス区及びその周辺にいる全ての騎士は現れた霊魔の掃討を!! 他の者は王国軍と連携して民の避難を援護せよ!!」


 号令は天高く、そして国内全域に響き渡った。指示を受け取った者たちが迅速に行動を開始し、テレジアは最前線へ向かう。


「どこをどう見りゃ小物だよ」


 今一度神像の上から霊魔たちを視認したアレキサンダーが吐き捨てた。



 霊魔には自分から最も近い場所にいる生物を狙う特性がある。カナエ・ヨタカのような例外イレギュラーや一部の特殊個体を除き、これはエンジェル級だろうとセラフィム級だろうと共通する。


 故に門から飛び出した霊魔たちが始めに狙ったのは眼前にそびえるケテル王城。或いは駆け付けてきた騎士だった。


『イツマデェ!!!』


 最低でも10mは下らないだろう巨躯を誇る霊魔たちが国へ侵入するついでに外壁を破壊する。


「来るかテメェ! 来やがれってんだこの野郎!」

「返り討ちにしてやる!!」


 大柄な騎士と小柄な騎士が向かってくるリスの霊魔と対峙する。


『ヨォォム!!』

 

 霊魔の尻尾の口が大きく開く。そこから吐き出された燃え盛る火炎が二人へ迫った。


「氷都流剣術・一ツ目!!」


 小柄な騎士は飛び上がって火炎の軌道から離脱し、その場に留まった大柄な騎士が剣を抜いて下段に構える。


白断はくだん!」


 大柄な騎士が掬い上げるようにして剣を振るった。刀身から射出された斬撃は白い風となり、火炎を打ち消した。


「今だ!!」


 大柄な騎士が叫ぶ。空で待機していた小柄な騎士が急降下し、剣を振り上げると霊魔を脳天目掛けて振り下ろす。


 落下の勢いと速度が上乗せされた一撃を喰らった霊魔を一刀両断された。直後にバシュッと何かが弾けたような音を立てて、八方に炎を撒き散らしながら霧散する。


 霊魔はそのまま消滅するかと思われたが、霧散した炎は螺旋を描いて一点に収束すると、再び元のリスの形に戻ってしまう。


 霊魔は何事もなかったかのように再び活動を再開した。


「ケッ! その見た目ならそうだよなッ!!」


 大柄の騎士が叫び、再び剣を構えた次の瞬間。


 突如飛来した一本の雷が霊魔の頭を穿った。


「「!」」


 瞬きよりも短い刹那の静寂が生まれる。


 霊魔を穿ったのが雷を纏ったモーリッツであることに気付いた騎士たちは目を見張る。


『ギ……』


 頭を失ったリスの霊魔は、しかし残る尻尾の口でモーリッツを捕食しようとする。


 既に尻尾は切り落とされていた。


 どころか全身を縦十字に両断されている。


 それは一秒にも満たぬ時間で完遂された。


『アアアアアアア!!!!』


 霊魔は先ほどよりも強い勢いで炎を撒き散らして萎んでいく。炎が空気に消えると共に悍ましい断末魔があたりに響いた。

 

 それは少しの間止むことはなかったが、霊魔が黒い靄と化して完全に消滅するとピタリと止まった。


「副団長!!」


 小柄の騎士が声をかける。二人はすぐにモーリッツの元へ駆け寄ったが、その顔に魔獣の如き獰猛を含んだ笑みが浮かんでいることに気が付き、一歩後ずさった。


「……避難誘導は任せるぞ」


 モーリッツはそれだけ言うと雷光の残像を残してすぐに行ってしまった。モーリッツがいた場所には黒く焦げた跡だけが残っている。


「久々に見たな……副団長のアレ」

「あぁ……ギャップえぐいよな」


 "纏雷てんらい"モーリッツ・クレーマー


 若くして副団長に成り上がった男の正体は、血沸き肉躍る戦いを求める獣であった。



 [同刻:プラタナス区]


 エルドは、リスの霊魔を瞬殺して戻ってきたモーリッツと駆け付けたテレジアと連携して巨大霊魔たちと戦闘を開始していた。


雷霆らいてい


 帰還したモーリッツが十八番ともいえる刺突を繰り出す。標的は馬車を引く二体の無頭竜。文字通り雷の如き速度と威力を誇る刺突は無頭竜の胸部に大きな風穴を開けた。


 貫かれた竜は痛みからか、咆哮でもあげるかのような動きを見せた。声なき悲鳴をあげながら竜は地面にのたうち回る。返す手でモーリッツは倒れ込んだ無頭竜へ追撃を加えようとしたが、残っていたもう一体の無頭竜が相方を守るようにして行く手を阻んだ。


『────!!』


 しかし相手が悪かった。モーリッツの神速を前にして無頭竜は為す術も無く微塵切りにされる。切り刻まれた竜は風穴を開けられた相方よりも無惨な姿で地面に沈んだ。


「話にならんぞ霊魔!! その見た目ならそれに似合う強さを持ってこい!!」


 宙に飛び上がったモーリッツが依然としてのたうち回る無頭竜に意識を向けたその瞬間、馬車の中から何かが飛び出した。


「!」


 モーリッツは空を蹴ってこれを躱す。一体何かと思って馬車へ視線を向ければ、巨大な腕が二本あった。馬車の中から扉を突き破って伸びているソレは肘関節に該当する部位が存在しないことを除けば人の腕と全く同じ形をしていた。


 肘どころか骨すら持っていないのか、うねうねと二本の腕が描く動きの軌道は軟体動物のように不規則であった。


「いいね! 気色悪い!」


 まだ楽しめそうだと感じたモーリッツは喜びを露にする。そこに隙を見出した怪鳥がモーリッツの背中へ急接近し、その鋭い嘴で一突きにした。


「足りないッ!!」


 モーリッツにとってはそれすら予想の範囲内であった。怪鳥が動きを見せた瞬間に剣を背中に回すことで完璧なタイミングで嘴を防ぐことに成功していた。


 モーリッツはそのまま振り向き、怪鳥へ斬りかかろうとしたが、ここに来て予想外が発生する。


「グッ……!!」


 馬車から飛び出した二本の腕の存在を失念していた。二本の腕はモーリッツの意識が怪鳥に向いた瞬間にその胴体をはたき落とした。


 はたき落とされたモーリッツは真っすぐ地面へ墜落する。二本の腕は好機と言わんばかりに墜落したモーリッツへ追撃を加えようと握りこぶしを作って接近した。


「切風!!」

「A.K.ペネトレイト」

 

 そうはさせまいと二者の間に割り込んだのはエルドとテレジアだ。これに怯んだ二本の腕は追撃を中止してすぐに引き下がった。


「モーリッツさん!!」

「かすり傷だ」

 

 エルドははたき落とされたモーリッツに声を掛ける。すぐにけろっとした様子で立ち上がったモーリッツを見てひとまず安心した。


『────────!!』


 が、いつの間にか復活した無頭竜が再び動き出した姿を確認したことでその安心も消える。


「厄介な……!」


 霊魔たちの連携の前に攻めあぐねている自覚がエルドにはあった。今の状況は三対四で、数的有利を霊魔に取られている。どの個体も非常に手強いため、いずれかの一体を集中狙いで処理しようとしても多少時間がかかるうえ、その間にフリーになった他の三体から好き放題攻撃されるリスクが生じる。


 一人一体で対応すればそのリスクは幾分か消せるが、今度は一体の自由を許してしまうことになる。


(あと一人いれば……!)

 

 エルドが内心で零す。


 たった一しかない戦力差は、とてつもなく大きな障害となっていた。


「テレジア! 飛びまわる小蠅共がうっとおしい!! 処理しろ!」


 そんな折、モーリッツが突然テレジアへ指示を出した。


「────御意!!」


 副団長からの命令にテレジアは何も聞かずすぐに行動を開始する。空高く飛び上がり、自分に一番近い生物を狙う霊魔の習性を利用して翼の蛇と怪鳥を釣り出すと、そのまま戦場から離脱した。


 これにより、状況は二対二の拮抗状態に移行する。


「モーリッツさん!」


 幾らか好転した状況から希望を見出したエルドの顔が明るくなる。


「エルド!! 狼は任せたぞ!!」

「はい!」


 それだけ言うとモーリッツは待ちきれないといった様子で駆け出し、馬車と無頭竜達へ襲い掛かった。


 残されたエルドは、同じく一体だけ残された目無しの狼に向き直る。


『……イツマデ!!』


 目無しの狼はエルドへ飛び掛かった。

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