38.小坂家の食卓 おやつ編



「物資の搬入は?」

「暗くなる前には到着すると思うんだ」


 

 巌長氏の登場により権利関係で余計な話に発展しそうになりかけたが、昨日道長さんとの会談時に屋敷の賃貸契約は済ませてある。

 電気や上下水道など諸手続きが幾つか残ってはいるものの、それらは自治体や事業者との契約が必要になるため、明日にでも向かおうと思う。それまでは西園寺の契約のまま、利用させてもらう。


 この屋敷には古い家具等の調度品が据え置かれている。改修工事の折に壊れている物はついでに廃棄したようだが、継続して使用できるものは倉庫や各部屋に再配置されたようだ。


 しかし足りない物はある。


 事前に聞いていた通り、寝具関係ではベッド以外は存在しなかった。マットレスであったり、シーツであったり、毛布も上掛けもない。枕も、ベッドパッドも必要だろう。

 これらは昨日の段階で西園寺家傘下の家具店に発注を済ませている。在庫で抱えている品物を十人分程度、即日納品してもらえるよう手配しておいた。


 調理関係や食器、その他雑貨は俺の家から持ってくることで間に合わせ程度にはなる。ただ、人数が多いため、鍋や食器は恐らく不足することだろう。これらは見て触って選びたいので、明日以降には必ず買い物に出向きたい。

 また、カーテンやブラインド等は改修工事の際に刷新されているものの、古臭くはないが地味ではある。ただ、カーテンは何気に結構なお値段だ。

 趣味に合わせ模様替えしたいのであれば、個々人で買い揃えるよう言っておこう。詩織とドロシーの分は出してやっても構わないが、それ以外の人員のモノはしったことではない。





「では、細やかながら引っ越し祝いをする。ラルフ、荷物を」


「……ったく」


 俺と詩織はホテルへ持ち込んだ荷物を、そのまま屋敷へと移動させた。

 ドロシーは詩織の護衛なので手ぶらだが、ラルフには昨日家電量販店で購入してきた物品を持たせてあった。そして俺も探索者関連の荷物とは別に保冷バッグも下げていた。


 午前中にラルフが詩織とドロシーの鍛練を監督している間、俺はホテルの部屋に付属する簡易キッチンで仕込み作業をしていた。


「ホットプレート?」

「そう、ホットプレート。こっちにはほぼ出来あいの材料と、お父さんが作った硬めのカスタード」


 ホットケーキミックスと牛乳、袋入りの餡子と唯一自作したカスタードを入れた容器。ボウルに泡立て器、レードルが二組。そしてホットプレートが二台。


「ホットケーキ?」

「いいえ、違います」


 ラルフが広げたホットプレート本体二台と、材料を観た詩織が問う。

 俺が作りたいのは、もう少しだけ手の込んだもの。それほど間違ってもいないんだが……。


「まず、ホットケーキミックスを少し緩めに溶きます」

「う、うん」


 詩織とドロシーを動員して、俺と同じ手順で作業させる。

 ここで憶えさせれば、後日以降は自分たちでも出来るようになるだろう。


「ホットプレートの温度は百五十度くらい。あまり熱いと焦げるからね」

「は~い」


「小さなレードル一杯分、このくらいの大きさで二枚焼いて」

「うん」


「表面がふつふつとしてくきたらひっくり返します」

「おいしそうな、茶色!」


 保冷バッグに入れっ放しだった紙皿を取り出し、その上に載せる。

 茶色が鮮やかな側ではなく、黄色に焼き上がった側に餡子を乗せ、もう一枚を餡子の上から被せる。


「ここからが少し熱いから気を付けて……周囲をこうして押さえていく」


 親指と人差し指で、餡子のない周囲の皮の部分を上下に優しく押し合わせるように。しかも素早くやらないと熱で火傷しちゃう。


「――っと、できあがり」

「どら焼き!」

 

「粗熱を取ってラップで包んで冷蔵庫に入れるのも手なんだが……今日は温かいまま。橘さん、どうぞお召し上がりください」


「ありがとう。ご相伴に預かるよ」


 出来立てを橘さんに譲り、次々に焼き上げていく。

 次はラルフの分。ラルフは納豆もダメなら餡子もダメな人。

 豆を甘く煮付けるという調理方法を好まない外国人は結構多い。大体はピリ辛な味付けの豆料理が多いからなのだが。

 ドロシーは餡子はあまり好きではないが、食べられなくはない。最近慣れてきたとも言う。

 その点、スチュワートは何でも食べる。納豆さえ笑顔で平らげ、卵かけご飯もお替りを要求するくらい。あいつはスパイなので現地の食の好き嫌いなどに拘ると碌なことにならないからとも言える。


「ほら、ラルフ。カスタード入り」

「ああ、うむ」


「詩織、ドロシーも餡子よりカスタードの方が好きだぞ」

「そうなの?」

「うん!」


 俺は断然、餡子派だけどな!

 保冷バッグからペットボトルのお茶を各員に配ると、和気藹々とした時間を過ごしつつ、小腹を満たす。

 ちょうど時刻は午後三時を過ぎた辺り。




 

「――来たな」


 ホットプレートを二台とも保温状態にして、焼き上げたどら焼きが冷めないよう載せてある。五人で食べるにしては、やや多く焼き上げた理由がようやくやって来た。

 ここは広い方の食堂で、前庭を臨める窓がある。そのため、来客を見逃すことはない。どら焼きを食みつつ、窓の外に意識を向けていた。


「自分が行こう」

「いいや、俺が行く。子供たちを見ていてくれ」

「……うむ、食い過ぎた」





「保護者同伴とは恐れ入る」


「若様、わざわざお出でいただかなくとも」

「……兄貴」


 やって来たのは、寝具の納入業者ではない。

 アマンダと前夫との間に儲けた息子のハミルトン。

 アマンダは例の悪癖の影響で前夫と離婚している。現在は日本人と再婚して、食生活以外は幸福であるらしい。


「アマンダ。ハルは……病気なのか? 薬の副作用か何かか?」


「いえ……」


 俺が知っているハミルトンはもっとほっそりしていた。こんなブクブクに肥え太った少年ではなかった。

 しかし一概に批判できるものではない。何かしらの病気や、治療に用いた薬の影響がないとも言い切れない。だから、そのように問うたのだが……


「これは、ただのデブです」


「……」

「……」


「ハル! 何を言いたいか分るな?」

「…………はい」

「絞るか、筋肉に変えろ。ちょうど良いことに敷地は広い。外周ではお前の見た目だと不審者扱いされそうなものだが、内周ならば余所の目も気にならないだろう?」

「……はい」

「まず走れ、行け!」

「はい!」


 何も俺の減量のように、本格的に絞る必要はない。そこまでを求めてはいない。

 幸い、作業に耐えられるよう動き易そうな服装であった。なので、そのまま走らせることにした。

 迎えに来た俺の顔を見るなり、眼を逸らしたハルだったが説得が功を奏したようで何より。


「一人暮らしをしたいと言うので目を離しましたら……」

「もう親離れしてもいい歳だ。ただなあ、働きもしない奴に一人住まいなど、与え過ぎだろう」


 余所の家庭事情とはいえ、目に余る。

 親離れ、子離れが出来ていない。だから、ああなった。デブに。


 ただなあ……ハルに関しては俺にも非があるんだよ。アマンダの味覚がおかしいことを自覚させるために餌付けしたという非が。

 ハルの父親はアンディの同僚でトーマスと言う。俺もそれなりに親しい間柄だった。仕事とは別に料理など出来るような器用な人間ではなく、アマンダの作る料理を我慢して食べ続けた誇るべき人種だった。まあ、それにも限界がやってきた訳だが。

 その事実をまだ幼かったハミルトンに教えるため、俺はハルを餌付けした過去がある。その結果、アマンダの料理が如何にイカれているかを知ったハミルトンは、母親との離婚するに至った父親の思いや経緯を知り、父親を許した。その後、米国に帰国した父親と現在も交流があると聞いている。


「愚息がお世話になります」

「なに、鍛えればモノになるさ。根が真面目で素直なのは知っている。娘を鍛えている最中なのもある。ラルフに任せてしまえばいい」


「そう、それです! 実の娘だと伺いましたが?」

「中にいるから紹介するよ。甘いものも用意してあるんだが……ハルには毒だったか」


 植木を手入れする老爺二人がハミルトンに目を瞠る中、俺はアマンダを屋敷の中へと案内した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月3日 12:00

四十路のおっさんは自らの枷を外す 月見うどん @tukimi_udon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画