37.同居人と、使用人と
「エントランスの左右に応接室がひとつずつ、それぞれに使用人控室と給湯室がつきます。ダンスホールが二つ、会議室等への転用は可能となっています。次に食堂と厨房がそれぞれ二つ、こちらは広いものと狭いものがあります。また、それらに付属する形で準備室がひとつ及び倉庫が二つございます」
「……住居となるのは二階以降と?」
「はい。二階には会議室がひとつ、個人の私室として利用可能な部屋が十二部屋。三階には執務室がひとつ、書斎がひとつ。個人の私室として利用可能な部屋が十三部屋部屋ございます」
キッチンが二つ、ダイニングも二つ。
家人の存在を想定した造りなのかもしれないが、未だ橘氏はそこへは触れようとはしない。庭木を剪定していた人物たちを、俺たちも目視しているというのに。
そして、個人利用できる部屋が計二十五室とのこと。
交渉次第ではあるがスチュワートがほぼ確定と見定めた、ハミルトンと直子を含めても部屋数は余る。
俺・詩織・スチュワート・ドロシー・御子柴・ハミルトン・直子で七部屋。
スチュワートが呼び寄せたであろうヴェノムは多くても五人。奴らに関しては相部屋でも文句はあるまい。嫌なら原隊復帰してもらおう。
依って、空き部屋は想定の段階である今現在ですら十三も残っている。
腕を組み、天井を睨むように思い悩む。
そんな俺を見かねて、橘氏は声を掛けた。まあ本題だろう。
「……屋敷を管理する人間がおりますが、如何致しましょう?」
最悪、命の保障を諦められる年寄りならば受け入れよう。
再就職も難しい年齢ならば、その命をこの屋敷の行く末に捧げてもらう方が幸せかもしれない。だがまだ若く、どうにでもなる未来がありそうならば、心機一転して頑張ってもらいたい。
詩織がドロシーを引き連れて、先行していることを確認して――
「私は実質マフィアみたいな生き様です。実態はもっと酷いかもしれませんがね。
なので、年配の方ならば引き受けましょう。でも、未来のありそうな若者は傍には置けない。まして、他人ならば猶更だ」
「老夫婦が二組おります。どちらも私よりも年下ですが」
橘氏は結構なお歳だ。田所の爺さんに負けずとも劣らないだろう。
そんな橘氏が年下と言っても、俺から見れば誰もが年配なのだが……。
「地下シェルターのあるような屋敷です。隠れた部屋や通路も存在するのでしょう? 是非、管理も含めてお任せしたい」
「そう言ってもらえると、こちらも嬉しく思います」
若くして、この屋敷の管理を任されたとして……彼らにだって日々の営みはある。子を宿し、産み育み、やがて巣立ちを迎えていたとしても何ら不思議なことではない。
歴史ある屋敷に愛着があるのならば、何も無理矢理取り上げる必要はない。
ただ、危険があるということだけは、理解してもらわねばならないが。
「お嬢様を大事にしていらっしゃる。聞かせられない話からは常に遠ざける、と」
「元妻にはそこを誤ったんです。娘には総てを明かし、彼女に判断してもらう。ただ、その時期が今はほんの少しだけ早いというだけですよ」
剛の都合さえ付けば、俺たちの準備はもはや万端ではある。
スチュワートに面倒な仕事を押し付けてはあるものの、あいつも呼べば尻尾を振って帰参することだろう。
こと、詩織については俺以上に優しい目を向けているスチュワートだ。だから、詩織の〝いじめ〟に関する情報収集は力の入れようがかなり違う。
父親と成ったばかりの俺とはまた異なる熱を孕み、あいつは情報収集に努めていることだろう。やり過ぎないか、心配になるほどに。
「ラルフ。打診してあるハルとナオ、老夫婦四人を入れても六名で回せると思うか?」
「ヴェノムを呼んだのだろう?」
「ヴェノムには別口で仕事があるんだよ」
「常に客が訪れる訳でもない」
「美都さんは来ると思うぞ」
「そのようにお伝えするつもりです」
「厳しい」
「だよなぁ」
筋肉達磨なラルフはこう見えてもお貴族様だ。
その出自は、あの軍隊が国家を形成していたようなプロイセンに辿り着く。さらに遡れば、世界史の教科書に出てきそうな家々の名もちらつく始末。
なので、こういった大きな屋敷の運用には一家言ありそうなのがラルフ。実際には傍系も傍系なので、そこまでの思い入れはない様子なのだが庶民出身の俺とは比べるべくもない。
今までは誰も住まないからこそ、清掃やら何やらが可能であった。
そこに生活が、営みが生まれるとなれば……当然のようにしわ寄せは来る。
「補充するにしても、どこから呼ぶよ? 身元の保証がある人間となると……なあ?」
「大使館から借りる?」
「それならば、まだ融通が利きそうな本隊を呼び寄せた方がマシさ」
ラルフやスチュワートが所属する国の大使館から借りるのならば、関係国の都合が大いに絡んだ俺のPMCから呼び寄せても大した差ではない。俺のPMCの構成する一部は、関係国から送り込まれたエージェントで成り立っている。
「ただ、な。本隊の大半を占めるウォージャンキー共は紛争地帯に置いておかないと、そこらで実弾演習でも始められても困る。俺やお前らの隠蔽能力にも限界がある」
「……だな」
スチュワートとラルフは別だ。元を正せばラルフもスチュワートが連れて来たのだが、ウォージャンキー共とは一線を画す。
あいつらが平和な日本で満足できるわけがない。諜報畑のヴェノムは別としても。
その他の理由にしても、俺を神体か教祖と勘違いしている狂信者が多いのが問題だ。いや、大問題だ。あの阿呆共は絶対に日本には入国させたくない。
「新規で採用するか?」
「でしたら、私がご用意いたしましょう」
「橘さんの息の掛かった子飼いを、ですか?」
「そこまで警戒されるとは心外ですな」
「……指揮権を、譲渡いただけるのであれば」
「もちろんですとも」
外部の人間を受け入れる際、指揮権をもらうのが鉄則だ。
こちらの指示通り動かない人間など信用ならない。それ以前に敵でしかない。
「それならば料理人を二名、経験豊富なメイドを二名手配してください」
「計四名ですね。畏まりました」
「何でそう嬉しそうにするのです?」
「奥様も私も、君には期待しているのですよ」
「勝手な期待をされても、素直に応えるつもりはありません」
痒い所に絶妙な合いの手を入れてくる本職の執事。気付いた時はもう手遅れ。
しまったなぁ。みすみす西園寺本家のスパイを招き入れる形に落とし込まれた。
しかし、人材の信用調査というのは時間も金も非常に掛かる。外注することで省略できるのならば、それはそれで利便性は高い。
「採用者の個人情報はもらいますからね。捏造はなしでお願いします」
「ふっ、当然ですな」
釘を刺したつもりが、橘氏には鼻で笑われてしまった。
俺の周りには老獪な人間しかいないのか!
年寄りの率が高いのは、常々気になってはいるけどさ。
この際、ヴェノムを呼び寄せたのは好都合。採用者の裏を洗わせよう。
少しでも怪しい節があれば、熨斗を付けて送り返してやる!
▽
「詩織! 自分の暮らす部屋を決めなさい。お父さんは三階の執務室の隣。書斎の前の部屋にする」
「じゃあ、お父さんの隣の部屋! ライアちゃんも一緒!」
「ドロシーにも個室を与える。好きに選ぶといい」
「えぇー」
ふむ。詩織はドロシーをライアと呼ぶことに落ち着いたわけか。
ドロシーは俺以外がドロシーと呼ぶことを許さないからな。仕方あるまい。
執務室は三階のほぼ中央の北側。入ってきた正門と広い前庭があるのが屋敷から見て南側だな。磁石では南北は厳密なものではなく、多少は東西に振れるだろう。
屋敷の裏にも門もあるが、屋敷の影となるためにあまり日当たりは良くない。管理人が住む別棟があるのも、この裏門側だった。
結局、ドロシーが選んだのは詩織の部屋の真ん前。隣ではないのは、何かしら思うところがあったのだろうか。
ラルフが終始何か言いたげな視線を投げ掛けては来たが、無視してやった。お前には帰るべき家があるだろうに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます