第5話 凪桜花

琉斗は、そのまま、午後の授業は、でないことにした。


たぶん、洗った制服はまだ乾いていないだろう。教える教師がかわったときに、罰もいちからやり直しになるのかは、願い下げだった。


所詮はムチだ。だが、正確に同じところを。ミミズ腫れが破れて血を吹き出しても同じところを叩く、その執拗さは、正直、流斗も辟易していた。


傷跡がまだうっすらと白い線で残る手の甲を、ぼんやり眺めている。




場所は、校舎からもだいぶ離れた空き地だった。


もとは、なにかの試合場だったのかもしれない。四角く、整地してあって、岩や木の根といったつまづきそうなものはない。だが、しばらくつかっていなかったと見えて、雑草が伸びかけている。ペンキのはげた、しかしまだまだ充分頑丈そうなベンチが、昼寝をしないかと話しかけてきたので、ありがたくその申し出に従うことにした。


 


日差しは、心地よく。


夜も宿舎から締め出されたり、舎監に「騒いだ」と言いがかりをつけられて、廊下で立たされたり(そしてそのまま朝まで忘れられたり)いろいろあって、睡眠だって充分ではないのだ。


ふう。




大きく息をはいて、ほんとのほんきで流斗は、熟睡していた。




足音で目をさますと、日はそろそろ傾いている。




起き上がった流斗の眼の前に、同じクラスの女子が驚いたように、突っ立っていた。




「ど、どうしたの、こんなとこで。」




たしか、教室では、背中まで流しているオレンジの髪を、ひとつみまとめて結い上げている。


もともと、可愛らしい顔立ちの子だった。いまは、まるで拳法家がきるようなゆったりとして衣服に身を包んでいた。


革製とおぼしき、胸当てと胴回しをつけている。


似合ってはいない。




いつも彼にちょっかいをかけてくる者たちとは、別のグループにいる。


暴力行為はもちろん、なにかで彼を囃し立てたり、罵声をあびせたりもしない。ただ、虫けらでも見るようなつめたい目で、流斗をじっと観察している。


そんな数人のなかのひとりだった。


もちろん、話をしたこともない。




「転校生、だよね。」


槇島流斗まきしまりゅうとです。」


「わたしもなんだ。三ヶ月前に転校してきたの。名前はわかる?」


「・・・・・」


凪桜花なぎおうかだよ。よろしくね。」


と言ったあとに、えんじゅだよ。


と、付け加えた。流斗がそのことばの意味を判断しかねているのを見て、桜花は、さらに流斗は、教団なの?と尋ねた。



流斗は、まじまじと桜花を見つめた。


「槐・・・・は、この世界を統べる光帝直属の異能集団。


教団は、かつて、光帝の祖先が滅ぼしたという影王を信奉する一団。


でもって、ふたつの組織は、この学校で影王の残した遺物をめぐって争ってる。」


早口で、流斗は言った。


「これであってる?」



桜花は、よいしょっと言いながら、流斗の隣に腰をおろした。


敏捷そうなすらりと伸びた手足をしている。




「そうだったら、ほんとに面白いんだけどね。」


あはは、と笑ったその顔は、可愛らしかったが、どこか疲れていた。


「実際には、学校の自警団がふたつに割れちゃって、戦ってるだけ。


わたしたちは、『槐』を名乗ってる。対立する連中は、『影王教団』を名乗ってる。ふだんからバチバチにやりあうと、一般生徒に迷惑がかかるから、日を決めて、試合をしているんだ。」



それはそうなんだろうなあ。


と、流斗は思った。


眼の前の健康そうな女の子には、そんな人の限界を踏み外した力は感じられなかったからだ。


「普通、途中で転校してくる生徒っていうのは、どっちかの助っ人として呼ばれることが多いの。どこそこの流派の俊英とか、ね。


なあんもなしで、転校してくるとなると、これはもう、ね。」


「ひょっとして。」


流斗は、背筋をつめたいものが流れるのを感じた。


「いじめというより、本気で追い出したがっている?」



「そのほうが、そいつのためなのよ。」


なだめるように、桜花は言った。


「もちろん、自警団同士、一般の生徒には手は出さない。決闘デュエル以外では戦わない。


そんな取り決めをしてたって、いつなにが起きるか、わからないでしょ。


学校なんて、いくらでもあるもの。


よりにもよってこんな危ないところで、何年も我慢する必要はないって。」




これは困った。




流斗は、この学校にいなければならないのだ。そこで、何をするかは不明なれど、いなくてはいけないのだ。


そして、何をすべきかを自分で見出して、それを果たさなければならない。


「それにしても、流斗クン。」


肩にぽんと、手をおいて。唇を耳元によせて。


桜花はささやいた。


「きみは頑張ってる。ここにいなければならない理由があるんだね?


一方的にやられてるみたいでも、きみはここに居続けるために頑張っている。それはわたしはわかったし、きみを応援することにするよ。」


 


そこでその顔が、暗いものになる。


ポツリとつぶやいた。


次のデュアルで死んじゃうかもしれないかも。


 


立ち去っていく後ろ姿が、なんとなく、はかなく見えた。


たかが、不良の喧嘩で?


いやいや。


 


流斗は見てしまったのだ。


その彼女がまとった革の胸当てに、何かの爪痕としか思えない深い傷が走っていたのを。


 


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