第3話 日当たりの悪い裏庭にて

黒崎くんのパンチは、ごく普通のパンチだった。


拳は特に鍛えてもいないし、体重も乗っていない。振り回しただけのパンチだ。ものすごくゆっくり見える。


もちろん、強化魔術なんて、かかっちゃいない。当たったと言って、そこが燃えるわけでも凍りつくわけでも、毒に侵されるわけでもない。


 


ああ。やっとパンチが到達した。肋の下から突き上げるようなパンチ。


角度は悪くない。悪くないどころか、これは、すごい。吐きそうだ。


 


槇村琉斗まきむらりゅうとは、ほんとうに戻した。


吐瀉物は、大半がいま、食わされた泥だ。朝は、テープルに食事を運ぶ途中で、盆ごとひっくり返され、昼は目の前の皿のサラダは、見るからに毒をもっていそうな毛虫の集団、スープにはネズミの死骸が浮いていて、つい食べそびれている。


 


なので、吐き出したのは、胃液と、たったいま食わされた泥だけだった。


クラスメイトたちに連れ出された裏庭は、荒れていて、土はいやな匂いがして、湿っていた。


そこに這いつくばらされて、頭を地面に押し付けられて、土を食えと命令されたのだ。もがくと、周りから罵声と蹴りが飛んできた。


 


“姉弟で、デキちまうなんて、てめえはもう動物でもねえな。そこいらの草と一緒だ。だから泥を食え。 ”


泥食え、泥食え。


 


琉斗の吐いた泥水と胃液の混合物は、見事に黒崎クンの顔面をクリティカルヒットした。


 


なんだか、人間の喉から発せられたものとはとても思えない叫びをあげて、黒崎クンはのたうち回った。


例えるならなんだろう。槇島琉斗は一生懸命考えた。そうだ、ガルガンチュア迷宮でゾンブラゴという寄生スライムを踏み潰したときの断末魔の叫びだ。とするとこの黒崎クンというのは、実はゾンブラゴの擬態なのだろうか。


 


もちろん、そんなことはなく、怒りで顔を真赤にして、黒崎は立ち上がってきた。


仲間から渡されたタオルで、顔を拭うが、まあ、胸元までゲロまみれなので、制服のジャケットもシャツもタイも、クリーニングは必至だろう。


 


「このゲロ虫があ!」


 


なるほど、植物から虫に昇格か。人間に至るのはいつになるんだろう。と流斗は思った。


でかい靴が飛んでくる。


んんん、なあんてゆっくりした蹴りなんだろうフォームもわるいし、もちろん破砕も切断も電撃も、なんの属性ものっていない。


 


どデカい靴は、わき腹だった。


よりにもよって、さっきと、同じところだった。


息が止まり、槇村琉斗は、もう一度地面に倒れた。


周りから、無数の蹴りが飛んでくる。踏みつけるものもいる。


 


なんの魔法もかかっていない。いないけど、痛い、苦しい。肋に激痛が走り、喉の奥から込み上げるものを、少年は吐き出した。


 


それは、真っ赤な血の色をしていた。


蹴りのいくつかが、急所にあたって、内蔵でも傷つけたのか。


 


気がついた者が、うろたえて、踏みつける足を止めた。


殺すようなめに合わせるのが平気でも、殺すのはいやなのか。


 


覚悟が足りんわなあっ!


琉斗は、嘲笑したが、喉からでるのは、ひゅーひゅーという呼吸音ばかりだった。


 

直接の暴力に参加していたのは5人ばかりだったが、みな顔色を悪くしている。

ざまあ!


「や、やばいなっ。」


「どうする? 医務室へ運ぶ・・・」


「構わねえよ。ほっとけ。」


黒崎クンが言った。


「俺たちは普通に、変態野郎にお仕置をしてやっただけだ。このまま、放っておけ。」


「でも、もし・・・」


「おう? 俺は、こいつが、こっちがなにもしてねえのに、ぶっ倒れてとこしか見てねえぜ。おまえはなんか違うもんが見えたのか?」


 


琉斗が、薄目をあけると、黒崎クンが取り巻き一同を睨めつけているところだった。


これは、よく、ないな。


と、琉斗は思った。


間違ってる

ただしてやらなきゃ。


例えるなら、湖に突き落としたとしても、そいつが泳げないとわかったら、助けてやらなきゃ。


そうしなけりゃ、それは虐待じゃなくて殺人だし。

もちろん、虐待だってやるべきじゃないのだが、最初からコロス気でかかったらなお、ダメだろう。


でも、それは今じゃないし、そもそも、ぼくの役目でもないし。


 


リンチのグループが去ってから、琉斗は、何とか、体を起こして、もう一度、吐いた。


泥は全部、吐き出せただろうか。


まだ、口の中がジャリジャリする。


 


おお!


いい具合に、なんとか這っていけるところに、水道があった。蛇口はサビがういていたが、ひねると澄んだ水が飛び出した。


 


何度も、口をゆすいでから、琉斗は、ふと視線を感じて振り返った。


その棟は、たしか自習室だと聞いていた。


距離はだいぶ、ある。


三階の窓がひとつ開いていて、人影が、じっとこちらを見ている。女性のようだった。


その程度しかわからない距離だった。


 


琉斗が、声に出さずにつぶやいた。


 


“悪趣味だ”


 


唇の動きで言葉を読む読唇術というものは、ある。だが、この距離では唇の動きどころか、こちらの表情だってわからないはずだ。


 


それなのに。


紗耶屋水琴ささやみことは、はっきりと笑ったのだ。


それも楽しそうに。


 


この、距離でこちらの口の動きが見えるのか?



これは、紗耶屋水琴ささやみことに見えないように、俯いて発せられた言葉だった。


もし、紗耶屋水琴が聞いていたとしたら、「お互いさま」だと返したことだろう。


 


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