白露〈はくろ〉

 もしかしたら、穂高が追いかけて来るかもしれない。

そう思ったから、家には帰らなかった。

街に戻ってそのまま、実家に一晩泊めてもらうことにした。

穂高と向こうで住むことにした話はもちろんしてたし、両親とも喜んでくれてた。

なのに、あまりにも早く戻って来たオレを、母さんは何も言わずに迎えてくれた。


 瑞穂に会った話をして、岩手に行った話をして、たくさん撮った写真を見せて、そして帰ってきた理由を話した。

「本当に、馬鹿な子ね」

そう言って、母さんはオレを抱きしめた。

「また怒られるかと思ってた」

そう言うと、母さんは笑った。

「あまり心配してないわ。この前来た時、穂高くん言ってたもの。『何が本当の幸せか、分かりました』って」

俺はその言葉の意味が良く分からなかった。

「えっ、穂高何だって?」

「教えない」

母さんがいたずらっぽく笑った。

「もう、関係ないんじゃないの?」

オレは、何も言えなかった。


 予想に反して、穂高から連絡は無かった。

逆にオレの方が、連絡を気にしてばかりいる。

そして、カメラロールの穂高の写真を繰り返し見ては溜息をつく。

あの旅が永遠に終わらなければ良かった。

眉間にシワの寄った、困り顔のヤツの写真でオレは微笑む。

泣いたりしてないかな。

昨夜、何かを察知したように、ヤツはオレを離さなかった。

寝てる間ですら、離そうとしなくて、ベッドから離れるのに苦労した。

なのに……

この静けさが怖い。


 母さんから連絡がいったらしく、父さんが少し早めに帰ってきた。

3人での夕食の後、オレたちはまたビールを飲みながら話した。

「ズルいな。父さんたちも瑞穂に会いたかったよ。教えてくれよ。なぁ、母さん」

1枚だけ撮った瑞穂の写真を見ながら、何故かオレの小さい頃の話が始まった。

赤ん坊の頃、すぐに起きてしまう子で、母さんが寝不足で切れまくってた話やら、七夕の花火を見に行って、『花火が追いかけて来る!』と泣いた話、何でもないアニメに何故か怯えて、夜寝れなくなった話。

「こんなに繊細な男の子で、大丈夫かしらと悩んだものよ」

母さんが、笑った。

「それに比べると、瑞穂はしっかりしてて、母親似かな?」

父さんが、瑞穂の姿を想い浮かべるように微笑んだ。

2人とも、他愛のない話で慰めてくれているのが分かった。

その優しさが有り難い。

1人なら、穂高のことばかり考えて、押しつぶされていただろう。

「また1人もシンドいだろ。ここに来たらどうだ」

父さんの言葉が嬉しい。

でも、今はまだ何も考えられない。

「考えとくよ」

オレは力なく笑った。


 翌朝になっても、穂高からは何も無かった。

自分で勝手に出てきたのに、ヤツにとってその程度だったのか? なんて、少し寂しくなる。

ホント、オレは勝手だ。

シンドくなると、すぐに逃げ出す。

ヤツの為、なんてカッコつけたって、結局オレは諦めたんだ。

戦うことを。

頑張ることを。


 実家からバスで最寄り駅に着いたのは、昼ちょっと前のことだった。

駅前の惣菜屋を覗く。

いつも当たり前に買ってた店なのに、鶏皮餃子を見ただけで、息が苦しくなる。

あの時と同じだ。

ヤツとの思い出が溢れる場所から逃げたかった。

でも、何処に逃げたって、結局逃げられやしなかった。

今もそうだ。

逃げ場はない。

また、この痛みに耐えるのか。

また、冬の寒さに凍えるのか。

オレは唇を噛み締めながら店を出た。


 間もなくアパートに着く、と鍵を探し始めた時、視線の先に見覚えのある女性が立っているのに気が付いた。

彼女はオレを見つけると、深々と頭を下げた。


「ごめんね、会うの3回目くらいだし、2人きりで話すなんて初めてだと思うけど、我慢ならないから、まんまの私でいくね」

そう断りを入れた上で、イズは言った。

「何やってんの? あんた」

清々しいほどの直球だ。

オレは答えられない。

「身を挺してほだを救った気になって、自己満足に浸ってんなら、大馬鹿者だよ」

そう言われても仕方ない。

オレは自虐的に笑った。

「ほだ、神楽も、総代会も、仕事も、田んぼも全部捨てる気だよ」

「なん……」

オレの笑顔が凍りついた。

言葉にならなかった。

「まだ分からないの?」

それは、違う。

それは、オレが望んだものじゃない。

「お盆に実家にみんなが集まった時、私初めてほだの本当の笑顔を見たよ。ああ、こんなに幸せそうに笑うんだって。あんたが隣にいるだけで、ほだこんなにも幸せなんだって。夢を手に入れても、結婚しても、どんなに家族に愛されてても、埋められない穴がずーっとほだの心には空いてた」

オレは、イズの言葉に息をのんだ。

「それを埋められるのは、あんただけなんじゃないの?」

穂高の笑顔が浮かんでは消える。

知ってる。

オレもそうだったから。

「いつも話を聞いてて、あんたたちに足りないのは、覚悟なんだと思ってた。お互いの為、お互いの為って言いつつ、いつも本当の気持ちに蓋をして、楽な道を選んでただけ。違う?」

オレは微かに笑う。

ぐうの音も出ない。

「私はBL漫画を描くんだけど、ほら、よくBLはファンタジーなんて言って、『現実はあんなに甘くない』とか『いい人しか出て来ない』とか揶揄されるけど……。でもさ、そんなファンタジーの中でも、みんな悩んだり、迷ったり、闘ったりしながら、覚悟を決めて、自分の好きな人と道を切り拓いていくから、みんなの心に響くんでしょ。みんなが勇気をもらって、幸せな気持ちになるんでしょ」

イズの眼がまっすぐオレを見ていた。

「ほだは覚悟を決めたよ。どんなに大変でも、あんたと一緒に歩むって決めたんだ。わたし、あんたがいない時のほだを見てきたから良く分かる。あんたがいなきゃ、ほだは幸せになれないよ。あんたは、どうしたいの?誰かの為にじゃなくて、自分の為に、どうしたいのか。覚悟を決めなよ」

人がまばらな平日のカフェ。

オレは隠すことなく涙を流した。

今日、オレが感じていたすべてを突き付けられる。

「前にも言ったけど、私は恋愛出来ない。BLのファンタジーには夢を持てるけど、現実で自分が恋愛するなんて考えられない。でも、ほだに出会って、一途にあんたを想う姿を見て、『恋愛って凄いな』って、『ちょっと素敵だな』って、思えたんだよ」

イズの瞳も潤んで、今にも涙が溢れそうだった。

「誰かを愛する事の素晴らしさを、私に信じさせてよ」

オレは嗚咽しそうになるのを堪えて、2度頷いた。


「決心ついたら、すぐ連絡して。私、いつでも迎えに来るから」

イズの言葉に頷いて、オレは手を振った。


 オレの心はもう決まっていた。

穂高に田んぼも、神楽も、仕事も、辞めさせるわけにはいかない。

今度はオレが覚悟を決める番だ。


 その時、スマホに通知が表示された。

穂高からだった。

しかし、文面がおかしい。

開いて確認すると、それは三國さんからのメッセージをコピー&ペーストしたものだと分かった。


『ほだかくん

相澤さんから、だいたいのはなしは聞きました。

コータくんが神楽の練習を観に来た日から、ほだかくんの笑顔がいつもと違うから、とても大切な人なのだと気付いてましたよ。

相澤さんから、コータくんが戻って来ると聞いて、とても嬉しかった。なので、今回の件は私も心が痛いです。私もコータくんにあいたかった。

男性が男性を好きで、何がいけないのでしょう。生産性が……なんて言った議員もいましたが、そういう人からすると、田舎で未婚でこの歳までいる私も生産性のない要らない人間ということになりますね。

でも、要らない人なんていない。私は私なりに生きています。上手くはないけど、好きな笛を吹いて、好きな町で生きています。私は不幸ではありません。むしろ、幸せだと感じています。

だから誰が何を言っても、負けないで欲しいの。

諦めないで欲しいの。

神楽のみんな、2人の味方です。

それをコータくんにも伝えたい。

コータくんに連絡とれないかしら?

何も出来ないお婆さんだけど、私にもコータくんを説得させてくれないかしら?

もう一度、一緒に笛を吹きたいから。

みくに』


最後まで読んで、オレは振り返った。

イズを探した。

まだ間に合うはずた。

その先のコインパーキングに車を停めたと言っていた。

オレは力の限りに走った。

コインパーキングを出る車が1台。

運転席のイズが気が付いて止まった。

そして、窓を開けると、

「乗んな」

と微笑んだ。


 イズと一緒に、外のベンチから穂高が仕事をしてるのを見ていた。

レジを打ったり、品出ししたり、お米の説明をして、玄米を精米したり。

あちこちで呼ばれて、忙しそうにしてる。

まだ、外のオレたちには気が付かない。

「私、呼んで来ようか? 下手にコータが行ったら、職場とか関係なく抱きつきそうだよね」

オレはお婆さんの話を、眉間にシワを寄せながら聞いているヤツを見ながら微笑んだ。

「いいよ。気が付かないなら、閉店まで待ってる」

そう言った瞬間、お婆さんが外に歩いていくのを見て、穂高はオレたちに気が付いた。

店内を見回し、離れても大丈夫と思ったのだろうか、大急ぎで駆け出してきた。

「コータ!」

ヤツがオレを呼んだ。

オレは、

「イズに引きずられて、帰って来ました」

と笑った。

「バカヤロウ!」

イズの予想通り、ヤツはオレにタックルするように抱きついた。

「ごめん」

両腕でその身体を抱き止めると、オレは呟いた。

「三國さんにお礼に行かなきゃね」

オレの胸に顔を埋めた穂高が、涙を堪えながら頷いた。

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