草露白 〈そうろしろし〉

 「遅かったか」

相澤さんが電話の向こうで言った。

俺は全く知らなかった。

コータが哲男さんに会いに行ったということを。

マチルダさんから、総代会のゴタゴタを聞いていたということを。


コータは言ったという。

「穂高は結婚してるんですよ。そんなわけないでしょう」

俺たちの事はあくまで噂で、コータは再会に感動しちょっと遊びに来ただけだと。

「オレは帰りますから、神楽も総代会も元に戻してください。俺が来たせいでこんなになって……。穂高がどれだけ頑張ってきたか、知ってるでしょう?」

そう言って、哲男さんに土下座をしたという。


「バカ野郎だ。そんなことしなくても、時間の問題だったのに」

コータはきっと、マチルダさんの話の前半でショックを受けて、マチルダさんが、

「私のツテで動いている」

と言ったのを聞いていなかったろう。

マチルダさんの昔のお客には、地元の大物も多い。

議員たちもいる。

そちら側から、歴史ある神楽の危機について、問題を取り上げてもらう作戦だった。

実際、もう哲男さんは追い詰められて、匙を投げる寸前だったんだ。

コータは、相手に手を引く都合の良い口実を与えたんだ。


「いやぁ、あんなに頭を下げられたら、俺も誤解だったと謝るしかなかったよ」

哲男さんは、相澤さんに笑いながら話したという。

「誤解なら、最初からそう言えばいいものを」

そう吐き捨てるように言った哲男さんに、相澤さんは、

「おめぇのしたことは、絶対に忘れないからな」

と凄んだという。

結果、哲男さんは総代会を抜け、新たに神楽保存を掲げる議員が相談役として総代会に顔を出すことになった。

その議員が弁護士も連れて来るという。

もう、哲男さんが戻る場所はなかった。


「来週、総代会のやり直しだ。お前も出ろよ。次期総代として紹介する予定だから」

相澤さんの言葉に、俺は待ったをかけた。

「相さん、俺出席出来ないかもしれないからさ、保留にしてて。総代会と神楽に戻るの」

「なっ……」

相澤さんが言葉を失ったのが電話越しにも分かる。

「穂高、お前何考えて……」

「相さん、ごめんね」

俺はそのまま電話を切った。


 コータから連絡はない。

俺からもしてない。

よっぽどの覚悟で、コータはここを出ていったんだ。

きっと、自分が来た為に、俺の夢を壊してしまった、と思ったんだよね。

それで、身を引こうと考えたんだ。

コータが、考えそうな事だよ。

良く分かってる。

でも、ごめんね。

俺は、コータのその想いに応えられないよ。

だって、もう知ってしまっているから。

自分の夢を叶えたって、お前が居なければ、俺は心から笑えない。

お前と共にいる幸せを知る前ならまだしも、今はもうお前と共に歩むことが、俺の本当の幸せなんだ。


だから……

俺がまっすぐ進む道は……


相澤さんが連絡したのかもしれない。

マチルダさんからすぐに連絡が来た。

でも、応えない。

俺にはたくさんやることがあるから。


 まだ昼休みは半分あるけど、俺は店長のいる事務所に向かった。

「少しお話があるんですが、お時間よろしいですか?」

神妙な面持ちに、店長は身構えて、ソファに座るよう促した。

「お米マイスターのお話もいただき、やりがいを持って仕事に向かわせていただいてるんですが……。大変申し訳ありませんが、地元を離れなくてはいけない事情が出来まして……。可能な限り早く、退社させていただけないかと思っています」

「いやいや……」

店長は驚いて立ち上がった。

「それは困るよ。川島くんには、役にちゃんとついてもらって、産直部を束ねて貰おうって話も出てるんだ。それだけ、うちには無くてはならない存在なんだよ。今辞められるのは大変困るよ」

立ち上げからいるとはいえ、ただの平社員。

田植え期や稲刈り期などには、実家の作業で休んだりもするこんな奴に、もったいない言葉だと思った。

「その、地元を離れる事情は、話してはもらえないのかい?」

誰に話しても、否定されるよ。

間違ってる、と言われるのは目に見えてる。

それでも、俺は決めたんだ。

「申し訳ありません。とてもプライベートなことなので……」

事務所は沈黙に包まれた。

「決心は固いようだけど、ちょっと保留させてくれないか。川島くんは本当に良くやってくれてるから、任せっきりにしてたことも多い。待遇云々でないのは分かってるけど、待遇面も含めて少し考えさせて欲しい。こちらも『はい、わかりました』とは、すぐに言えないよ」


 昼休みを終え、店舗に戻る。

この場所も、大好きな場所だ。

毎朝、必ず開店と同時にやって来るおばあちゃんも、俺の精米した米でないと買わないお得意さんも、ゴシップ好きで苛立つことはあるけど、仕事では手を抜かないパートさんたちも、いつも面倒は俺に押し付けようとする安斉も、『今日のは良いよ』と笑顔で野菜を持ってきてくれる地元の農家さんたちも、ちょっと優しすぎる店長も、みんな大好きだ。

ここで、働けて良かった。

感極まって泣きそうになるのを堪えて、

「いらっしゃいませ」

と、いつもの様に言うと持ち場に戻った。


 閉店の作業を終え、ロッカー室に入り、スマホを見ると、いろんな人から鬼のように連絡が入っていた。

親父と、マチルダさん。

相澤さんに、松崎さんに、辰哉くん。

そして、三國さん。

三國さんは、コータに会いたかったし、一緒に神楽をやりたいから、コータに連絡を取ってくれないかと書いていた。

自分からも説得させてくれと。

そのスマホに不慣れな、でも一生懸命書いたであろう長文を読みながら、俺は泣いた。


俺は諦めないよ。

いつかきっと、ここに2人で戻って来ることを諦めない。

いつかまた、2人で神楽に参加出来る日が来るのを諦めない。

困難な道だとしても、祭りで賑わう境内を、みんなの笑顔を、神楽殿からうちの神社の神様と見るんだ。


それが、俺の新たな夢。


 家に帰って電気をつけると、真っ先に眼に入ったのは、コータが置いていった合鍵とメッセージだった。

カムパネルラが去った後、博士がジョバンニに言う言葉。

俺ならすぐ分かる。

そう思って書いたんだろうな。

アイツは、どんな想いであの旅行の計画をたて、どんな想いであの壁画を、あの列車を見ただろう。


感傷に浸ってちゃいけない。

俺は、車の鍵を置いて、必要な荷物をまとめ始めた。

 

 その時だった。

呼び鈴が、何度も鳴った。

俺は玄関に振り向く。

と、同時に声がした。

「ほだ、帰ってるんでしょ? 開けて!」

イズの声だった。

連絡網が回ってんな。

俺は少し笑って、玄関に向かった。

玄関を開けると、鬼の形相のイズが立っていた。

「良かった、生きてた」

俺は、その顔を見て噴き出した。

「心配させんなよ、こら」

イズは本気で怒っていた。


「みんなが心配して連絡してんのに、何で無視すんの。ほだに限って、そんなことないとは思うけど……って、変なこと考えてないかみんな不安だったんだよ」

「俺が死ぬわけないじゃん」

「そんくらい思い詰めてるんじゃって思うでしょ。コータは? 連絡は?」

俺は微笑んで首を振る。

「ほだから連絡したの?」

また首を振る。

「何で? 何で連絡しないの?」

イズが、俺の部屋の入口のバッグを見つけて問う。

「向こうに行くの? 仕事は?」

「今日、退職したいって言ったら、慰留された」

イズの顔色が変わった。

「ほだ、自分が何言ってるか、分かってる?」

「もちろん。分かってるよ」

俺は眼を合わせずに笑った。

「全部捨てて、向こうに行くつもりなの?」

「イズにはもう関係ないよ」

俺はボソリと呟く。

「関係なくない! そんなのコータが喜ぶわけないじゃん。コータは、ほだにほだのままで居て欲しいから、クソオヤジに土下座して出てったんでしょ? ねぇ、冷静になんなよ。おかしいよ」

「俺は冷静だよ」

「『俺は冷静だよ』って言うやつ、だいたい冷静じゃないから」

俺は鼻で笑った。

「ほっといてくれよ」

俺が鋭く睨むけど、イズは全く怯まない。

「コータの住所教えて」

「は?」

「いいから教えて。私が行って話してくる。2人とも、相手を想いすぎて、訳わかんなくなっちゃってんじゃん。取り返しがつかなくなる前に、私がずっと思ってた事、ぶつけてくる」


「私がコータ引きずって帰って来るまで、何も余計なことするんじゃないよ」

帰り際、もう一度イズが釘を刺した。

俺は渋々頷く。

「なんか、ごめん」

俺が呟くと、イズが言った。

「これは、私の為でもあるから」

やっと笑顔を見せたイズが手を振って、ドアが閉まった。


 イズが帰って、スマホを見ると、みんなのメッセージを読む。

みんな心から心配してくれてる。

イズが言うように、俺は冷静じゃなかったのかもしれない。

1人1人に返信して謝っていると、スマホに通知が現れた。

『最近追加された写真のコラージュ』

その通知をタップすると、ブレブレの、だけど笑顔のコータが現れた。

鹿踊り像との写真。

恋人の聖地のベンチと、眼鏡橋の写真。

イーハトーブ定食。

わさびソフト。

白鳥座のストラップをお互い手に持ったツーショット。

俺は思い出して、バッグの中からストラップを取り出して握った。

もう一度、スマホに視線を戻すと、またブレた写真のコータが、あのクシャクシャの笑顔で笑っていた。

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