涼風至〈りょうふういたる〉
まだ夢の中にいるみたいなんだ。
家族の食卓にコータがいて、みんなが笑ってる。
また夢が叶ったんだ。
夜が更けて、イズが帰った。
「それじゃ、またね」
みんなに手を振って。
別れの湿っぽさはない。
だって、またすぐに絶対会えるから。
イズが帰ってすぐに、ナイトが寝落ちした。
しばらくマチルダさんの膝を枕に寝てたけど、途中寝ぼけて起きて、俺の膝に移動してまた寝た。
あまりに可愛すぎるから、ずっと髪を撫でながら4人で話をした。
コータが、優しい顔でナイトの寝顔を見つめてた。
もしかしたら、自分の娘のことを思い出したのかもしれない。
「こっちで働くとして、あてあるの? これから探す感じ?」
マチルダさんが聞く。
「全く1からなんで、厳しいだろうなとは思ってます。でも、こっちで暮らしたいから頑張ります」
場が暗くならないように、コータは明るく決意を告げる。
「私も馴染にちょっと聞いてみるね。田舎は結構コネで決まってくところあるからさ。まだ若いんだし、焦らなくても大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
マチルダさんの言葉にコータが頭を下げたけど、マチルダさんが、
「気に入らないね」
とはねつけた。
「家族なんだから、敬語はなしだよ」
コータが俺の顔を見る。
嬉しそうに、あのクシャっとした笑顔を見せてから、
「うん」
とマチルダさんに答えた。
それを見ていた親父が、コータにビールを差し出す。
「飲め!」
コータがグラスを持ってそれを受けた。
「俺も……」
俺がグラスを差し出すと、3人は
「まだ、ダメ!」
と声を揃えた。
それが可笑しくて、みんなが笑った。
マチルダさんがナイトの部屋に布団を敷いてくれた。
「布団、1組の方が良かった?」
ナイトをダッコしたマチルダさんが、冗談っぽく言うと、何故か親父が赤くなった。
「まだ無理は禁物だからな」
だから、散々やりたい放題だった親父が、何で動揺すんだよ。
「何でコウちゃんが照れてんのよ」
すかさずマチルダさんが肘で突っ込みを入れる。
俺たちは、またみんなで笑った。
何日ぶりだろ?
久しぶりに2人きりになると、俺はすぐにコータに抱きついた。
コータの鼓動を聞きながら、その温もりを感じる。
「ずっとこうしたかった。」
少し身体を離して、俺の顔を見つめながら、
「ホント、生きててくれてありがと」
そうコータが答える。
まだ無理は出来ない。
ましてや、ここは実家だ。
でも、分かってたって、どうしようもなく求めてしまう。
焦れるように唇を重ねると、コータが
「ダメだって。止まれなくなる」
と、耳元で呟いた。
「いいよ。止まらなくても」
両手で俺の頭を押さえて、コータが首を振る。
「もう無理はさせないって決めたんだよ」
言い聞かせるように言うと、もう一度強く抱き寄せて、俺の肩に顔を埋める。
「怖かった。めちゃめちゃ怖かった。もしあのまま失ってたら、オレ……もう生きてけなかった」
「ごめん……」
俺は謝りながら、コータの頬骨あたりに口づけた。
「まだまだ足りないよ。もっと、もっと、これからずっと一緒に居たいんだ。だからさ、人生も安全運転で行こう」
そうだね。
何でか、ずっと焦ってた気がする。
離れてた時間を埋めようとするみたいに。
後ろばっか見てた気がする。
先はもっとずっと長いのに。
「うん」
抱きしめる腕に力をこめて、俺は微笑んだ。
でも……
「いい話で締めたとこ申し訳ないんだけど、コータさんごめん……」
「ん?」
「でも、エンジン温まっちゃった……」
コータが声をあげて笑うと、そっと確認する。
「仕方ないなぁ」
そう言った次の瞬間には、コータがギアチェンジして、俺たちはアクセルを踏みこんだ。
「ほ……だ……、ほだか……。」
コータの声がする。
寝ちゃったのか。
「結局、もう1組の布団はいらなかったね」
って笑って、キスしたまでは覚えてる。
いつ寝たのかは覚えてない。
「アラームかけるの忘れたろ? 今日は? 神社行くんだっけ?」
眼を開けると、コータが心配そうに見つめていた。
「オレより遅く起きるなんてなかったから、急に不安になっちゃった。頭痛かったりしない?」
また心配性が炸裂してんな。
俺は寝起きの顔を隠すように、顔の前で手を組んだ。
「MRIも脳波も異常なしだったんだから、大丈夫だよ」
久しぶりにこうしてコータに包まれていると、この腕の中が帰るべき場所だと分かる。
「神社には何時?」
「8時半くらい? 夏祭りに必要なもの、集会所の倉庫から出すの手伝うだけだから」
「もう起きる?」
「もう少しだけ、このままでいさせて」
俺が頬を寄せると、コータがまた抱きしめる手に力を入れる。
「オレも神社行っていい? 相澤さんに会いたい」
「もちろん」
そう答えて、思い出して笑った。
「ただ、相さんに謝っとけよ。最後の電話の件、かなりキレてたから」
「そうだった……」
コータが目を伏せた。
「あの頃は、お前に繋がる全てから、逃げ出したかったんだよ」
俺の笑顔が固まったのを見て、コータの左手が頰に伸びる。
「ごめん……」
「オレこそ、ごめん」
俺の頰に触れながら、視線を戻したコータが言う。
「お前の隣に居たいから、もう逃げない」
コータの言葉は、いつでも真っすぐ、俺の胸に突き刺さる。
俺は、ちょっと照れくさいけど、その瞳を見つめて、
「うん」
と微笑んだ。
身支度を整えて居間に向かうと、ラジオ体操から戻ったナイトが朝食を食べ終え、宿題しながらウトウトしているところだった。
親父はまだ寝ている。
「おはよう。2人、朝ごはんは?」
マチルダさんが、慌ただしく座卓を片付けながら聞いた。
「今から神社に手伝いに行って来る。あんまり時間ないから、メシは後でいいや」
「分かった」
船を漕いでいたナイトが、ついにその場に横になった。
「しょうがないねぇ、誰に似たんだか」
マチルダさんがボヤく。
「親父だな」
「だな」
3人で笑い合ったところで、何故か突然マチルダさんの眼から涙がこぼれて驚く。
「良かったね、ほだ。むっちゃ幸せそう。こんなほだ見るの初めてで、マチルダ感無量です!」
「そう言うマチルダさんが、親父を、この家を変えてくれたから、俺は楽になれたんだよ。ありがとね。マチルダさん」
マチルダさんが涙を拭いながら頷く。
そんな俺とマチルダさんを、コータが優しく優しく見守っていた。
青く美しい田んぼを抜け、十字路を右に曲がって少し行くと、神社が見えてきた。
もう祭りの提灯が飾りつけられているのが分かる。
「懐かしい」
コータが呟く。
「相変わらず、町内会の人たちが出店出してんの?」
俺は小さく頷いた。
「前より少なくなったけどな。夏祭りは町会イベントだから」
懐かしそうに見ているコータの横顔を見つめる。
「神楽衆の人が集まらないから、盆踊りはCD流してるけどな」
「三國さんは? 上坂さんは? みんな元気?」
コータはあっという間に、教えてる三國さんより上手くなってたっけ。
「上坂さんは、ジッチャンの2年後くらいに亡くなった。神招引き継いだのは、癌が見つかったからだったって、亡くなった時に聞いた。ミクちゃんは、春、秋は吹いてるけど、夏はもうキツイって」
「みんな歳取ってくもんな」
「折角ずっと昔から受継いできたものを、ここで終わらせたくなくて、みんな頑張ってるけど、俺らの世代でももう関心ないやつばっかりでさ。苦労してますよ」
相澤さんの車と数台、神社下の空き地に停まっているのが見える。
「相さんも、辰哉くんも来てるな」
「辰哉くん! 懐かしっ」
「辰哉くん、一昨年結婚して、もうパパだから」
「マジで?」
楽しそうに話してたコータが、もう一度辺りを見回して言う。
「変わらないように見えて、でも時は確実に過ぎていってるんだな。オレたちも含めて」
繋いでいた手を、恋人繋ぎに繋ぎ直して、コータが俺を見つめた。
一瞬、あの日の眼鏡姿のコータが過って、俺は瞬きした。
「行こうか」
「うん」
俺たちは、再び歩き出した。
二の鳥居で礼をしたところで、
「コータ? コータか?」
集会所前にいた相澤さんが叫んだ。
作業していた辰哉くんも立ち上がった。
「お久しぶりです」
コータがもう一度頭を下げる。
俺が拝殿を揃えた手のひらで指すと、相澤さんが頷いた。
「まずはご挨拶、だよね」
コータが微笑む。
そのまま進んだ俺たちは、拝殿前で止まった。
二礼二拍手一礼
俺に合わせながら、コータも拝礼する。
「ご無沙汰しておりました。おかげさまで、戻って来られました。ありがとうございます」
コータが、全部口に出して言うから、俺は笑った。
「何?」
最後に礼をしたコータが、俺を見て聞いた。
「そういうとこがコータのいいトコだなぁって思って」
「そう?」
「うん、少なくとも俺は好き」
ちょっとこの言葉に驚いて、コータがまたクシャっと笑った。
「おう、本当にコータだ。なんか男臭くなったな」
相澤さんがコータの腕を二度叩いた。
「最後の電話では、大変失礼しました」
深々と頭を下げるコータを見て、相澤さんが思い出したように言う。
「本当だよ。あれはねぇからな」
そう言いながらも、コータに頭を上げるように促す。
「だけど、済んだ話だ。オメェも色々あった訳だしな」
「色々ね」
コータがバツ悪そうに笑った。
「で、なんだ、また神楽やりたくなったか?」
「相さんは、そればっかだな」
俺が突っ込むと、
「どんなとこからでも掻き集めねぇと、俺たちの神楽もあと数年で出来なくなる。俺が総代の代に途絶えさせる訳にはいがねぇがらな。穂高に引き継ぐまで、是が非でも守る」
そう力強く言った。
「俺だって、そんな激アツなバトン受け取ったら、落とせねぇよ」
相澤さんが黙って頷く。
「コータ、神楽やるぞ」
「えっ? 」
コータが、驚いて俺を見る。
「またお前の笛で舞いたい」
少し戸惑って、考えて、そして顔をあげたコータが頷いた。
それを見た相澤さんが、コータに握手を求めて、2人は固い握手を交わすと、抱きしめ合った。
「コータさん、こっちに戻ってくるんすか?」
辰哉くんが、俺に問う。
俺は満面の笑みで返す。
辰哉くんも右手を差し出すから、俺たちもこれでもかってくらいの固い握手をした。
その後、何人か町内会の人間が集まって、テントやテーブル、パイプ椅子なんかを表に出して、毎年の位置に設置を始めた。
俺はあまり重い物を持たせてもらえなくて、ちょっとコータと離れた所で、細かい作業をしていた。
だいたいの作業が終わったところで、休憩を告げに行くと、コータが神楽殿の前で、舞台を見上げていた。
「懐かしい?」
コータは答えなかった。
「コータ?」
恐る恐る近づいて、その横顔を見ると、晴れやかな表情で舞台を見つめていた。
「またお前の舞を観られるんだな。最高にカッコいいお前を」
俺は、何て答えていいか分からず黙っていた。
「もう二度と観られないって思ってた」
「これから、嫌って言っても、見せてやるよ」
そう言って笑った後、コータを指さして、
「サボんなよ」
と言った。
懐かしいそのフレーズにコータは微笑んだ。
「もうサボんないよ」
俺たちは横に並んで神楽殿を見上げながら、微笑みあった。
「すみません」
後ろから、突然声をかけられて、2人で振り向く。
中学生くらいだろうか。
色白のスラリと伸びた手足の、長い髪の少女が立っていた。
見たこともない女の子だ。
「夏祭りって、いつなんですか?ここで何するの?」
俺とコータは顔を見合わせた。
この辺の子なら、知らないわけがない。
と言うことは、この辺の子じゃない。
「お盆に帰ってきたご先祖さまを、盆踊りで送るんだよ。15日の夜、ここにちょっとだけど出店が出る。小さな祭りだけど、もし良かったら来て」
俺が答えると、女の子は首を傾げながら再び聞く。
「この辺の子じゃなくても来ていいの?」
「もちろん。いいよ」
「分かった」
女の子は挨拶するでもなく、踵を返すと二の鳥居の方へと歩いていった。
「ねぇ、君どこ中?」
俺が問いかけると、女の子は振り返って笑った。
「田舎のヤンキーって、ホントにどこ中?って聞くんだ」
田舎のヤンキーと言われてたじろぐ俺に、彼女は言った。
「杉並西小」
彼女はそのまま神社を後にした。
「杉並って…東京? 小学生?」
コータに振り返ると、コータの顔が固まっていた。
「コータ?」
コータが答えない。
嫌な予感がした。
もう一度、彼女が去った方を見つめる。
あの白い手足。
スラリと伸びた背。
笑った時のクシャっとした顔。
どれも心当たりがあった。
でも、コータが何も言わないから、俺も何も言えない。
コータでさえ、きっと確信は持てないんだろう。
俺は、何事もなかったように、
「休憩するってよ。戻ろ」
そう声をかけた。
「あぁ、うん」
コータが一呼吸遅れて答えた。
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