蓮始華 〈はすはじめてはなさく〉

 そうと決まれば、一刻も早く。


 本当は泊まりたかったけど、後ろ髪を引かれながら帰ってきた。

最低限の荷物をまとめて、明日の仕事の後はコータの所へ。

その前に、イズと話す必要がある。


 イズは俺に安心しきっていて、結構ラフな格好で家にいたりする。

今までは、俺もそれをあまり気にしてなかった。

どこか俺たちは、同性の友達と同居してるみたいな感覚だった。お互いに異性であるということを、あまり考えたことがなかった。対外的には夫婦なのに。

でも、今となっては、めちゃめちゃ気になるし、俺も男なのでどんな気の迷いが生じるとも限らない。

普通に反応するってことが、こんなに厄介な事だなんて、聞いてはいたけど初めて身に沁みた。

俺を信頼してくれてるイズに、怖い思いとかさせられないし、させたくない。

それを伝えたいけど、上手く伝えられるのか……

そして、もしそれでもいいと言われた時、俺はどうしたら良いのか、答えの出ないまま、それでも進もうとしている。

車のキーに付けていた鈴守が小さく音をたてる。

俺にとってイズも、もう大切な家族の1人だから。


 大体の荷物をまとめ終わり、車に積みに行こうとしたところで、鍵の開く音がしてイズが帰ってきた。

「大事な話って、それ?」

リビングにある荷物と俺を交互に見て、イズが問う。

俺は無言でイズに座るように促した。

イズが不安そうに何度も俺の顔を見るのに、俺はまともにイズの顔が見れない。

イズが座ったところで、俺もその向かいに腰を下ろした。

沈黙。

俺が話始めなきゃいけないのに、言葉に詰まる。

チラリと見たイズの視線が突き刺さる。

俺は大きく息を吸って、話し始めた。

「ちょっと家を離れようと思う」

「何で?」

間髪入れずに、問いが帰ってきた。

「女の人に、っていうかまだイズだけだけど、普通に反応するようになったから。俺も男なんで、何かの拍子に豹変して、イズに危害を加える様なことがあったら、俺自身が嫌だから」

俺の眼をしっかりと見つめて、イズが言う。

「危害って……。私、ほだのこと、信頼してるよ」

「だから、だよ。これまで、俺のこと男として見てきてないよね? 襲われる危険性とか考えたことないでしょ?」

イズが小さく頷いた。

「え? 私で反応したの?」

なんか答えるのも気まずいけど、俺も小さく頷いた。

「最近、なんかずっとおかしかったのは、そのせいかぁ。突然夜中に出てって、実家に3連泊とか……」

もう一度、頷く。

「何でまた急に……」

俺は何も答えられず、黙りこくった。

「私も考えなきゃいけないよね。この先、どうしたらいいか」

不安や戸惑いを隠そうとしてるけど、隠し切れずに伝わってくる。

「ほだは好きだけど、やっぱりその感情は恋愛感情とは違う。兄弟とか、家族として、人間としての好きなんだと思う。もし、押し倒されたらと思うと、やっぱり怖い。ほだの言うように、安心しきって無防備だったね、私」

声が震えて……

俺はイズを見た。

いつも強かったイズが、涙ぐんでる。

「せっかく、こんな私を理解してくれる人と、一緒に居られて嬉しかったのに、男女ってだけで成り立たなくなっちゃうんだね」

それでも泣かないように、必死に堪えている。

俺も、もどかしい。

前ならこんな時、抱きしめてあげられた。

でも、今それをしたらどうなるのか、自分が怖い。

俺だって同じだよ。

初めて全部打ち明けて、受け入れてくれて。

イズは、大切な人なんだ。

なのに俺は、なんて狡いんだ。

「お互いに考えよう。どこが一番いい着地点なのか。その為に、時間を置こう」

もっともらしいこと言って、家を出た。

もう家には居られなかった。


 結局、俺は何がしたいんだ。

何を大切にして、何を手放すんだ。

全部を手に入れることなんて出来ないのに、何もかも手放せずに傷つける。

『コータに会って、やっと想いが届いたよ。それによって、トラウマが消えた。だからもう、一緒には居られないんだ』

きっとそう言った方が、イズの傷は少なくて済んだはずだ。

何故、そう言わない。


やっと分かった。


俺はイズを手放したくない。

イズとナイトと3人で出かけた時のような、普通の家族の幸せを、心の何処かで夢見ている。

コータをどうしようもなく欲しながらも、〈普通〉という名の幻想にまだ憧れてる。

ずっと普通じゃなかったんだ。

俺は中学からずっと、男であって、男じゃなかった。

あゆに泣かれる度に、俺の男としてのプライドはズタズタになって、何の為にコータを諦めたのか、自分が何をしてるのか分からなくなった。

イズと会って、結婚して、男として半人前でも、もしかしたらって夢を持ったのは罪かな?

また、あの時と同じ。

全てが終わった後に、コータの想いを知り、親父が再婚したみたいに、今度はコータと想いが通じた事で、俺はもう一度男になれた代わりに、普通の家族という夢を失う。

普通なんてない。

分かってるけど、無意識にそれを求めてたんだ。

両方を選べないのは、分かっているのに。


心と身体がバラバラになりそうだ。

俺はハンドルを両拳で叩いた。


 実家に車を停めると、今日はナイトが走って出て来た。

「ほだー! 久しぶり!」

暫く会わないうちに、また大きくなってる。

きっとナイトは背が高くなる。

全力で突っ込んでくるナイトを全身で受け止める。

「またデカくなったなぁ」

俺が頭を撫でると、

「3センチ伸びたって!」

と誇らしげに伝えてくる。

「スゲーじゃん。あっと言う間に俺超えるんじゃね? 」

「ほだより大きくなりたーい!」

「なるよ、絶対」

俺は、ナイトを抱き上げた。

「そのうち、抱き上げられなくなるな」

ふんわりした子供の匂いがしてるのも今のうちで、きっとそのうち男臭くなるんだろうな。

ミルクの匂いがしてたあの頃から、ずっと見てきた。弟であり、どこか我が子のようでもあるナイト。

俺はナイトを抱く手に力を込めた。

「ほだ、今日泊まる?」

ワクワクを隠せない顔で聞くから、俺のモヤモヤが吹き飛んでいく。

「そのつもりだけど」

「やったー! ほだと一緒に寝る!」

「いいよ。そのかわり蹴るなよ」

「はーい!」

「お、いい返事」

ナイトが首にしがみつくから、俺はもう一度グッとナイトを抱きしめた。

この存在に救われる。

玄関でマチルダさんが、その様子を少し不安げな顔で見ていた。

「親父と3人で話がしたいんだ」

マチルダさんが振り向くと、奥には親父が立っていた。

「ナイト、親父とマチルダさんに話があるから、少し待ってられるか?」

「えーっ」

「ナイト、ほだと寝るなら、お部屋片付けな」

マチルダさんが語気を強めて言うと、ナイトが俺の手をタップした。

促されるままナイトを降ろすと、奴は大急ぎで部屋に駆けて行った。


 親父とマチルダさんと、座卓をはさんで向かい合うと、初めてマチルダさんを紹介された時を思い出す。

あれから、随分と時が流れた。

みんな変わらないようで、少しずつ変わってる。

両親には、本当の事を言おう。

もう、俺1人じゃ抱えきれないんだ。


「イズと、しばらく離れて暮らそうと思う」

マチルダさんが、少し仰け反りながら眼を閉じた。

「ここんとこ、ずっとらしく無かったもんね、ほだ。何かあるとは思ってた。っていうか、ずっと黙ってたけど、あんたたち普通の夫婦じゃないよね? 他の人の眼は誤魔化せても、マチルダさんは騙せないよ」

前にマチルダさんが、イズのことで何か言いかけたことがあったっけ。

薄々勘付かれてたか。

俺は無言で頷いた。

「あんま具体的に話したくないから、詳しくは親父に聞いて欲しいけど、俺中学の頃に色々あって、女の人が苦手というか、ずっと反応しない状態だったんだ。世間一般ではEDって言うんだっけ?」

マチルダさんはまだ理解出来てないみたいだったけど、親父の顔色が明らかに変わった。

「そして、中学からずっと、同級生だった男が好きだった」

「コータか……」

親父がボソリと言った。

俺はただ頷く。

「情報量多くて追いつかないんだけどさ、つまりほだはゲイってこと?」

マチルダさんの問いに、俺は笑った。

「まぁ、普通はそう思うよね。そこは俺も良く分かんねぇや。他の男にはそういう感情が起こったことないし、女の子を普通に可愛いと思うよ。反応しなかっただけで」

親父も、マチルダさんも言葉が出て来ないようだったから、俺は構わず続けた。

「イズは、多分正式にはアロマンティック・アセクシュアルっていう、他人に恋愛感情も性的魅力も感じないタイプの人なんだ。でも、誰にも言えなくて困ってた。お互い30目前、回りに見合いをセッティングされて、断れずに出向いたけど、結婚する気なんか無かったんだ。でも、事情を打ち明け合って、意気投合して、回りにごちゃごちゃ言われない為に、結婚することにしたんだ」

時折、首を傾げながらも、2人共一生懸命聞いてくれてる。

「どうりで。普通は結婚1年、子供の話なんかされたら、ピリつくところ、イズはどこ吹く風だったわけだわ」

マチルダさんが納得したように呟いた。

「でも、それで2人はうまくいってたんじゃないの? 」

俺は深呼吸すると先を続けた。

「説明が難しいんだけど、まずコータと再会した。そして、俺……多分治った」

「女に勃つようになったってことか」

腕組みしてた親父が直球を投げ込んできた。

俺はチラリとマチルダさんを見て、

「とりあえず女性の前だから、オブラートに包んでんのに……」

と呟いた。

それに親父が噛みつく。

「女性ってなんだ、他人行儀な。家族だろ。オブラートに包むから分かりにくくなる」

俺はその物言いに腹がたって、捲し立てた。

元はと言えば、誰のせいだよ。

「ずっと好きだった男と、再会して結ばれたら、トマウマ克服出来たみたいで、形だけの奥さんにも勃つようになったんで、一緒に住めなくなりました。なので、好きな男の家に仮住まいします。で、分かりやすいですか?」

マチルダさんが、俺をなだめるように左手を出して頷いた。

「コウちゃん、今のはコウちゃん悪いよ。ほだはさ、今までずっと言えずにきたんでしょ。それってさぁ、コウちゃんがそんなだったからじゃないの? 黙って聞きな」

マチルダさんが凄んだので、親父は何も言えなくなった。

俺に向き直ったマチルダさんが、優しく問う。

「イズは、そのコータって人の事は知ってるの?」

俺は小さく頷いた。

「『会えるといいね』って、応援してくれてたのに……なのに俺、まだ再会したことも話せてない」

右手の拳を握りしめ、俺は俯いた。

「それはそのままイズと別れるってことに直結するもんね。分かるよ。イズは迷わず身を引くだろうから」

マチルダさんが、俺を落ち着かせるように、ゆっくり話してくれる。

「コータと一緒に居たいんだ。でもさ、だから、それじゃバイバイなんて、イズに言えないし言いたくない。前に話したじゃん。ナイトとイズと三人で出かけた時、親子に間違えられたって。イズとなら、そんな普通の家族になれるかもしれないって、ちょっと夢見ちゃってたんだ。欲張りだろ?どっちもなんて、無理なのに……」

マチルダさんが首を振った。

「ほだ、話してくれてありがとう。ずっとずーっと、ほだが何か抱えて苦しんでるの知ってたよ。でも、ほだが話してくれるまで、待とうと思ってた。いっぱい辛かったね。でも、大丈夫。私たちみんな、ほだの味方だよ。あんまり、自分を責めちゃダメ。好きな人と一緒にいたいも、大切な人を傷つけたくないも、普通でいたいも、誰もが持ってる当たり前の感情だよ。欲張りなんかじゃない。ほだ、そんだけ1人で頑張ってきたじゃん」

「マチルダさん……」

ダメだ。

マチルダさんの言葉に、ずっと抑えていたものが溢れ出す。

俺はさらに俯いて、涙を隠した。

「まずは、好きな人のとこに行ってきな。せっかくやっと結ばれたなら、ちょっとの間、全部忘れて甘い時間を過ごしてきなよ。私もイズと話してみるし。私もちゃんとイズと家族になりたい」

俺は声を押し殺して泣いた。

涙がポタポタとジーンズを濡らす。

「親父が死ぬ前、俺に謝った。『お前の夢を潰してすまなかった』って。それと同時に、『穂高は好きな人と、好きに生きさせてやってくれ』って頭を下げた。それは、こういうことだったんだな」

親父がボソボソと小さい声で言った。

言い終わると同時に、親父が深々と頭を下げた。

「すまなかった」

俺も、マチルダさんも、その親父の行動に驚いた。

まずそうそう、こんなふうに謝る人じゃない。

「お前が何年も男として苦しむ事になったのは、俺のせいだ。同じ男として、思春期にそんな事になったら、どんなに辛いか……。許してくれ」

「コウちゃんのせいなの!」

マチルダさんが驚きと怒りの声をあげる。

「後で詳しく教えなさいよ! 事と次第によってはタダじゃおかないから!」

今度は俺が、親父とマチルダさんの間に割って入る。

「もう、大丈夫だから」

マチルダさんが、渋々引き下がると、親父が恐る恐る頭をあげる。

「ほだー!」

部屋から戻ってきたナイトが、涙に濡れた俺の顔を見て、抱きついてきた。

「泣かないで、ほだ」

「大丈夫、大丈夫。もう泣かないよ」

「コータと仲直りした?」

ああ、あの時の事、まだ心配してたんだ。

「大丈夫。仲直りしたよ。今は前より仲良しなんだ」

「良かった」

ナイトを強く抱きしめる。

「風呂、一緒入る?」

「入る!」

マチルダさんが涙目で頷いた。

親父が黙って俯いた。

家族に全て話したことで、大分心が軽くなった。

考える事は沢山あるけど、マチルダさんが言うように、全て忘れてコータとの時間を過ごしたい。

「マチルダも、コータに会いたいなぁ。今度連れてきてよ」

マチルダさんの言葉に、この風景の中にいるコータを想像する。

「そのうちね」

コータと好きなように生きる。

それは、どんな人生だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る