小暑 〈しょうしょ〉

 四六時中、ヤツのことを考えている。

あんなに抱きしめ続けたのに、もうこの腕に抱きたくて、落ち着かないくらいに。

連絡は頻繁に取ってるのに、その癖『次、いつ来れる?』の一言が怖くて聞けない。

具体的な日付がヤツとのやり取りで出てこないのは、もう来ない気なんじゃ? と心配になるし、聞いて面倒な男にもなりたくない。

まあ、そのくらいには、もうヤツに骨抜きにされてるということだ。

生まれて初めて、本気で好きな人と想いが重なったという幸福感は、それを失う怖さを伴いながら、オレを包んでいた。


 今、ヤツの家の田んぼは、主に親父さんが見ているけど、手が足りない日や親父さんがいない日は穂高が田んぼを見ているらしい。

農協の若い組合員を集めたグループで、中心的存在を担いつつ、道の駅で働いて、地元農家の販路拡大を手伝っているのだという。

もちろん、現在総代の相澤さんに付いて、次期総代として学んでもいる。

ちゃんとあの頃の夢を実現しつつ、新たな夢も持ってる。

かっこいい、アイツらしい生き方。

つまりは忙しいんだ。

オレとは違う。


 オレが会いに行くって手もあるけど、あの町にオレが帰ったら、色々噂になるかもしれない。

まだ人の目を気にするのかって言われそうだけど、

何しろまだ佐藤がいるんだ。

気をつけない手はない。

それで穂高が迷惑を被るよりは、こっちの方が人目を気にしないでいい。


 仕事があるから無理だろうけど、こっちで一緒に住めたらいいのにな。

夢は広がるけど、それにはまず自分がもっと安定した仕事につく必要がある気がして、うっすら就職情報誌を見ている。

地方の中では大きい都市だから、仕事はあると思われがちだが、この街の就職事情の厳しさは自分で十分体験済みだ。

高校中退して、就職して、結婚して、離婚。

その後派遣でフラフラ。

そういう奴を正社員にしてくれる所は少ない。

正社員にこだわると、食えなくなるから、履歴書なしで採用してくれる派遣でばかり働く事になる。

でも厳しいからやめるなら、今までと同じ。

ヤツの隣にいて恥ずかしくない男でいたい。

そう思わせてくれる男なんだよ、穂高は。

ヤツの隣で笑ってられたら、どんなに幸せだろう。


『仕事入れてない日、わかるとこだけでいいから教えて』

会いたくて堪らなくなってきたところに、そんな連絡が来て、俺は喜び勇んで予定を伝える。

『調整する』

こういうところで、恥ずかしくなるような言葉は書かないヤツだって言うのも分かってる。

でも、もうちょっと砕けてもいいんじゃない?

お前が書かないと、オレが書くしかなくなるじゃん?

『すぐにでも会いたい』

そう書いた。

ヤツは何て答えるだろう。

ちょっと間があって、

『me too』

と返ってきた。

「何で急に英語だよ」

でも照れながら、ヤツなりにギリギリのラインで答えられたのがコレと思うと、愛しくて堪らない。

そっちがそう来るなら。

『I want you』

まるで十代の付き合いたてカップルだな、と自分でも可笑しくなりながら送る。

もちろん、返ってきたのは、

『me too』

だった。

今度会ったら、このネタでいじり倒してやろう。

ヤツの照れ隠しの顔が、最高に好きだから。


 次の仕事が空いた日、オレは初めてハローワークに行ってみた。

平日の昼でも、驚くほど人がたくさんいて、仕事を検索出来るパソコンの利用も、満席に迫る勢いだった。

ハローワークの利用の仕方の冊子と、何枚かの資料をもらって、整然と並べられた待合の椅子で読む。

履歴書や職務経歴書の書き方講座や、非正規でばかり働いてきた人向けの正社員を目指すサポートなんかもあるらしい。

17歳でこっちに戻って来て、雇用保険やハローワークのこと、あまり誰かに聞いたり出来ないまま、この年齢まで来てしまったのは、勿体なかったのかもしれない。

欲しかった資料は手に入ったので、それらをしまって立ち上がろうとした時、通知のポップアップがスマホに出た。

『今どこにいる?』

穂高からだ。

『留守だった』

次の通知が出て、オレは思わず立ち上がった。

立ち上がったうえで、

『すぐ戻る。ちょっと待ってて』

と打つと、足早にハローワークを出た。

何だよ、先に言えば出かけなかったのに。

ヤツなりのサプライズのつもりだったのかもしれないけど、この時間がもったなく感じる。

何にしろ、もう会えるなんて、こんな嬉しいことはない。

そうだ。

『一緒に飯にしよう。最寄駅まで来れる?』

オレは軽快な足取りで、駅を目指した。


 間もなく最寄駅という所で、また通知が表示された。

『何か駅2つあんじゃん。どっち?』

オレは自転車を降りて返信する。

『目の前にホルモン屋ある?』

『ある』

『そのままそこにいて』

オレはスマホをしまうと顔をあげた。

いた。

在来線の駅の前で、スマホ片手にキョロキョロ挙動不審な男が1人。

オレは、もう一度自転車に乗って加速をつけると、ヤツが立っている向かいのホルモン屋の前を悠々と通り過ぎた。

「おい!」

背後でヤツが吠えた。

絶対気が付くと思ったんだ、穂高なら。

オレは、満面の笑みで振り向いた。

でも敵わなかった。

そんな笑顔どこに隠し持ってたんだよって顔で、振り向いたオレを見つめるヤツがいた。

外じゃなかったら、速攻抱きしめてた。

オレは、車が来ないのを確認して、ヤツの元に渡った。

「何通り過ぎてんだよ!」

ヤツの左拳がオレの二の腕を小突く。

「いや、気が付くかなぁ?と思って……」

「どっちの駅に居たら良いのか分からなくて、不安だったんだぞ! 何でこの距離に駅2つもあんだよ!」

「あっちには、地下鉄って概念ないもんな」

「悪かったな、田舎で」

剝れて眉間にシワが寄った顔でも、最高に愛しく思える上に、繋がってる時のヤツの切なげな表情がオーバーラップしてきて、身体が勝手に臨戦態勢に入った。

「飯食おうって言ったけど、食欲に性欲が勝ってきた」

耳元で囁くと、平気な顔を装って急に落ち着かなくなるから堪らない。

「お戯れが過ぎますよ、コータさん」

チラチラとこっちを見ながら呟く。

照れてる時の〈コータさん〉呼びも堪らない。

「何か買って、家で食おう。すぐそこの店が安くて美味い惣菜いっぱい売ってんだよ」

「お、おう」

戸惑いつつも答えた穂高の顔を、大真面目な顔で覗き込んで、

「でも、先に食べるのは……どっちかな?」

と聞く。

耳まで真っ赤にしながら、眉間にシワを寄せて眼光鋭く睨むから、オレは両手を合わせて唇を〈ごめん〉と動かし笑う。

ヤツを見てると、母さんが昔言ってた言葉を思い出す。

「男の子は本当は優しくて、小さい頃身体が弱いから、強く強くと育てる。女の子は心が強いから、優しくお淑やかにと育てる、なんて昔の人は言ったみたいだけど、みんながみんなそうじゃないでしょ? 

男だから、女だからなんて関係ない。私は優しさと言う鎧を申し訳無さそうに付けてる父さんが、大好きよ」

父さんが頼り無いって話をした時に、母さんが言った言葉。

ウチは父さんが優しくて、母さんが強かった。

でも最高の両親だ。

最近思う。

穂高が、強く、男らしくあろうとしてるのは、そうして表の鎧を磨いてないと、崩れ落ちてしまいそうな儚さを、沢山はらんでいるからなんじゃないかって。

どこかいつまでも少年のようなその佇まいの影には、ナイーブで優しくて甘えん坊な本当のヤツが隠れて居そうな気がしてる。


 買ってきた食べ物を玄関に置くと、部屋のドアが閉まりきらないうちに、どちらともなく身体が引き寄せられる。

「やっぱこっちが先だな。すぐ食べたい」

唇に食らいつくみたいに口づける。

「ホントに食べるなよ」

唇を離して穂高が笑う。

オレは手を伸ばして確認する。

「そんなこと言って、そっちだって臨戦態勢じゃん?」

今度は耳たぶを口に含みながら、少し手を動かすだけで、小さな声が漏れる。

その微かな声が、またオレを熱くする。

「今、楽にしてやるから……」

ずっとカッコいいと思ってきたコイツの全てが今、可愛くて愛おしいんだ。



「鶏皮餃子うまっ!」

買ってきた弁当と惣菜にありつきながら、ヤツが感嘆の声をあげた。

「だろ? その上、店舗の方は深夜までやってるから、仕事終わりには助かるんだよ」

オレは唐揚げをつまみながら答えた。

「でも、ずっと外食ばかりだと色々心配。ちょっと肉付いてきてんぞ」

「バレた?」

ちょっとプニッとしてきた腹回りを見て、ヤツがその肉を摘もうとする。

「オレは自炊しないから。正直、その時間がもったいない。時間変則だし、少しでも休みたい」

「俺は母ちゃん出てってから、ずっとジッチャンに教わりながら作ってたからな」

家に遊びに行くと、何かしらご馳走になってたっけ。

「お前の作るもんは全部美味かったな」

お互いの視線が絡み合う。

「今は無理だろうけど、いつか一緒に住めたらいいな。離れるのシンドい」

オレの言葉に、箸の止まった穂高が、俯いたまま暫く何かを考えていた。

何度か話出そうとして、止めて、を繰り返して、視線を上げオレの眼を捉える。

「俺さ、やれんのか分かんないけど、遠距離通勤出来ないかなって考えてた」

遠距離通勤。

そこまで具体的に穂高が考えてた事が嬉しい反面、明らかにヤツだけ負担増な提案に不安になる。

「ここから仕事通うの? 道の駅って、町なんだろ?」

「そう。高速乗れば1時間半かかるかどうかだし、出来なくはないけど、って感じ?」

「やれなくはないけど、それこそ身体が心配だよ。実家行く日は早いんだろ?」

「実家行く日は、前の日に実家泊まるとかなら、比較的負担は少なくて済むかな、と」

そうやって考えててくれた事はめちゃくちゃ嬉しいけど、無理したら何でも続かないのも知ってる。

「反対?」

ヤツが不安そうにオレの顔を覗き込む。

「いや、反対とかじゃなく、とにかくお前が無理して事故ったりしたらと思うと、『じゃ、そうしよう』とは簡単に言えないよ」

オレは手に持っていた弁当を置いて、ヤツの隣にすり寄った。

「正直に言うと、今幸せだけど少し怖い」

「怖い?」

オレは頷くと、穂高の身体を抱き寄せた。

「もう絶対にお前を失いたくない」

穂高の手がオレの髪を撫でる。

「大丈夫。俺も同じだから」

自分の中に、こんなにも熱い感情があったことに驚かされる。

「こないだ、仕事終わって帰ってきた時、電気がついてて、お前が『おかえり! 』って出迎えた時、泣きそうだった。ずっと一人だったから……」

耳元でヤツが笑った。

「気が付いてたよ、それくらい。だから、どうにか出来ないか考えてた」

ほんの少し身体を離し、しっかりとオレを見つめるその眼が訴える。

「ちょっと試してみて、キツかったらやめるから……。試してみちゃダメ?」

その眼にそう聞かれて、断れる奴なんてきっといない。 

オレは精一杯の気持ちを込めて、優しく口づける。

「お前は隠して頑張っちゃうから、無理だと思ったらタオル投げんぞ」

「おう!」

晴れやかな笑顔に変わった穂高が唇を寄せてくるから、ちょっと首を引く。

「ちょっとキス顔堪能させろ」

「ヤダよ。じゃ、しない」

そっぽ向いたところに、顔を近づける。

ヤツの顔が近づいたら、また離す。

眉間のシワが深くなったヤツの手のひらが、オレの顔を固定する。

自分からはそうそう舌なんか入れてこないのに、強引にされたそのキスは、鶏皮餃子の味がした。

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