菖蒲華 〈あやめはなさく〉

 イズが仕事の合間を縫って、熱心に漫画を描いている。夏のイベントで出すつもりで頑張ってるんだろう。

「今度はどんな話なの?」

いろんな資料を読んでるのは知ってるから、何となく予想は出来たけど、確認するように聞く。

「戦国ブロマンスかな?」

「また新しい単語きたね」

「男子の間の、友情以上恋愛未満的な? 深い信頼関係を築いているけど、恋愛感情ではない。兄弟の契りのブラザーと、ロマンスの間でブロマンス」

そんなのもあるんだ。

「いろんなジャンルがあるんだ。覚えらんねぇや」

俺は笑いながら、麦茶のグラスを手に取った。

「自分がそっちに興味持てないからっていうのもあるけど、正直、がっつり性描写があるのは苦手なんだよね。描きたいのはそっちじゃなくて、こっちだから」

イズが握った拳で心臓をニ回叩いた。

「ジャンルがたくさんあるように、現実の私たちだって色々。だから、本当は普通なんて存在しないんだよね。みんな普通枠作って安心したがるけどさ」

イズの話はいつだって面白い。

そして、いつだってカッコいい。

「戦国あたりではさ、好きどころか、会ったこともない人と政略結婚とかする訳じゃない? そんな相手と、世継ぎを得る為に言わば義務のようにする。そんな正室も戦場には連れて行けないから、小姓や主従関係にある者と衆道の契りを結ぶ。その時代は、それが普通だったわけだよね」

俺は麦茶を飲みながら、頷いた。

「普通に生きるって言って、色んなもんに蓋したけど、結局女には反応しねぇし、家庭環境変わって、家継ぐの自分じゃないかもしれなくなったし、そもそも米農家だけで食ってくの難しい時代だし。所詮、高校生の戯言だったのが身に沁みます」

俺は泣き真似した後、そんな自分が可笑しくて笑った。

「今なら、2人はもっと素直になれるのにね。あぁ、いつか2人の話描けたらいいなぁ」

素直になったって、届かない想いだってある。

俺たちは、その時を逃したんだよ。

そう思いながらも、イズは何も知らないから、

「そだね」

とだけ答えて、その場を離れた。

空のグラスをシンクの脇に置いて、

「先寝るね。おやすみ」

そう振り返ると、少し寂しそうな顔で、イズが俺を見ていた。

「諦めるの?」

そうじゃなくて……

「ごめん……今日はさ、冷静にその話出来ねぇわ。だから、そっとしといてよ」

イズの答えを聞かずに、俺は自分の部屋へと戻る。

コータに会って、そして終わったんだと、キチンと言えば良い。

でも、それを話すと、俺たちの関係性が大きく動いてしまう気がして怖いんだ。

もし、俺が思ってるように、イズの心に変化が起きてるのなら、その想いに俺は応えられるのか。

あゆの時のように、また、結局傷つけてしまうだけなんじゃないか。

そもそも、この結婚自体が、普通を装う為のまた同じ過ちなんじゃないか。

もう誰も傷付けたくない。

泣かせたくない。

なのにいつも、誰かを泣かせてる。

俺は男としても、人間としても、ずっと半人前だ。


 ベッドに横になったけれど、眠れないまま時間が過ぎる。

リビングでイズが動いている。

そろそろ眠るんだろう。

最近、いつもこのくらいまで作業してる。

好きなことにこれだけ熱を持てる人なのに、勿体ないな、なんて考えちゃダメなんだろうけど、イズには幸せになって欲しいんだ。

初めてありのままを話せた人だから。

ありのままの俺を、初めて肯定してくれた人だから。


 イズの部屋のドアが閉まる。

俺も寝なきゃ、明日は実家で作業する日。

早く起きて出かけなきゃ。

アラームをセットして、スマホを置こうとした瞬間、突然スマホが震えた。

は? もう1時過ぎてるぜ。

見知らぬ番号……、いや違う。

これは、確か……。鼓動が驚くほど早くなる。

震える指でタップする。

「もしもし?」

相手は何も話さない。

「コータ?」

問いかけると、微かな笑い声が聞こえてきた。

「何で出んだよ」

もう2度と聞くことはないと思ってた声。

「かかって来たら、出るだろ普通」

俺も強がって笑う。

「1時過ぎてんぞ」

「かけた方が言うなよ」

何だろう。

この一瞬で昔に戻ったみたいな感覚。

「賭けたんだよ。出なかったらそれまで。出たら、今度こそホントのこと言うって」

「ホントのこと?」

問いかけたけど、答えはない。

微かに聞こえる声に耳を澄ませる。

もしかして、泣いてる?

「穂高……」

何年ぶりだろう。

名前を呼ばれるのは。

その語尾の震えから、やはり泣いてるのが分かる。

「ん?」

つられて泣きそうになりながら答える。

「会いたい……」

俺は息をのんだ。

次第に大きくなる泣き声。

俺の頬にも涙が伝う。

「すぐ行く」

とっさに身体が動いていた。

最低限の身支度を済ませて、部屋から出る。

電気を付けて、テーブルに置いている車のキーを取ろうとすると、テーブルの上にイズからの置き手紙があるのに気が付いた。


『友達と縁結びの神社に行ったので、相手に想いが伝わる鈴守りを受けてきました。コータに想いが届きますように』


俺は、車のキーとその紫色の鈴守りを握りしめて、部屋を出た。

ありがと、イズ。

想い、届いたみたいだ。


 最寄り駅付近のコインパーキングに車を停めて、暗闇の中、地図アプリを見ながらたどり着いたのは、道の行き止まりにある古ぼけたアパートだった。

もう3時になろうかというのに、こうこうと灯りがついている部屋がいくつかある。

日本語じゃない言葉が、微かに外まで漏れ聞こえる部屋もある。

1階の1番奥の部屋に〈三枝〉の表札。

部屋の中から、微かな灯りが漏れている。

俺はまわりを気にしながら、聞こえるか聞こえないかのノックを2度した。

聞こえただろうか?

中で人の気配がする。

どうやら聞こえたようだ。

俺は深く息を吐いて、溢れ出しそうな全てを抑え込んだ。

ドアがゆっくりと開く。

視線をあげると、涙に濡れた頰を隠しもしないコータが、呆然と立っていた。

「ずっと泣いてたの?」

全てを言い終わる前に抱き寄せられ、ドアが閉められた。

「穂高……、こないだはごめん」

耳元でコータが呟く。

「うんん。悪いのは俺だし」

懐かしいコータの匂いがする。

「俺こそごめん。いっぱい傷付けて」

コータの背中に腕を回し、右手でトントンと泣いているコータの背中を叩く。

「泣かないで」

身体を少し離したコータが、俺の顔を見つめる。

右手が、俺の左頬をまるで確認するかのように触れる。

「変わんねえな」

コータが泣き笑うから、こっちまで想いが込み上げる。

「ホントの事、言うんじゃねぇのかよ」

毒づきながらもつられて泣いている。

「言葉じゃ足りない……」

左頬を滑った指が、俺の顎を引き上げて、口づける。この間とは違って、どこまでも優しく触れた唇。一度離れて、再度見つめ合った後、今度は少し強く重なる。

顎から離れた右手が、俺の髪の毛を撫でる。左手が

首筋から肩へとなぞっていく。

身体の芯が熱い。

もう何も考えられない。

さし入れられるままの舌を受け入れ、自分の舌を絡めると身体中の力が抜けて、倒れてしまいそうになる。そんな俺の身体を、コータの右手が腰に降りてきて支えている。

こんな日が来るなんて……

涙が何度も頬を伝っていく。

「忘れられるわけねぇよ。人生ぶっ壊すくらい、好きなんだよ、お前が」 

その言葉の重さに、俺は声をあげて泣いた。

「中学からオレを好きだったの?」

コータの問いにただ頷く。

「同じ高校入りたくて、四高受験したの?」

しゃくりあげながら、俺は頷く。

コータの右手が、俺の左手を握ってグッと引き上げる。コータの元に寄るように組紐が落ちる。

「こんなに短くなるまで、フレッドのおまじない、信じてたの?」

もうぐしゃぐしゃの顔を隠しもしないで、俺は2度頷いた。

「全部知ったうえで……シンドかったろ?」

両頬を包む指が、涙を拭う。

「このシワ、ずっとこうしたかった」

右手の親指が眉間のシワを伸ばすように触れた。

少し微笑んで、優しく優しく、眉間に口づける。

どうしようもなく、この身体全部で繋がっていたい。もう何もかも抑えられない。

俺はコータの首に両手を回すと、自分から強く強く唇を重ねた。


「重い荷物いっぱい背負って、地面に足めり込ませながら、それでも凛として立ってるお前を、いつもカッコいいと思ってた」

俺は笑った。

「ただの強がりだよ」

背後から、コータの両腕が俺を包み込む。

「ずっと好きだったんだよ、オレも」

囁くように言った言葉に、思わず口元が緩む。

こうして肌と肌が触れ合っていると、体温がそのまま伝わってくる。

コータの体温が心地良い。

「こうしてても、まだ足りない」

コータの言う事が良く分かる。

こうして抱きしめられてても、まだ足りない。

溶けるくらいに1つになりたい。

こんな想いに駆られる日が来るなんて、思いもしなかった。

俺は身体を反転させて、コータの胸に顔を埋めた。

「でも、今はこれでいい」

コータの鼓動を聞きながら、俺は呟いた。

「夢なら醒めないで……」

こめかみにキスしたコータが消え入りそうに言うのを、薄れていく意識の中で聞いた。


 俺のアラームが鳴ってる。

眼を開けるのが、怖い。

これで、もし自分のベッドに居たら、俺は立ち上がれない。

少しずつ戻って来る感覚。自分が触れている体温を感じ取って、安堵する。

眼を開けると、そこに確かにコータがいた。

まだ寝てる。

俺を抱きしめたまま、寝てる。

俺はソーッとその腕から抜け出し、投げ出されたままのスマホを拾った。

実家に行くつもりでセットしたアラーム。

今から帰る?

コータを置いて?

正直、もう片時も離れたくない。

そんなわけにはいかないの分かってても、全て放り出してでも傍にいたい。

俺は無造作に投げ捨てられた服を拾い集め、外に出られる程度に服を着ると、玄関を出た。

この時間でも、実家はもう起きてるはずだ。

5回ほどコールして、不機嫌なマチルダさんが出た。

「どうした、ほだ?」

「ごめん、寝てた?」

「起きてるけど、めっちゃ忙しい。」

そりゃそうだ。

起きない親父やナイト起こしたり、朝食の準備したり、大変な時間なのは分かってる。

「私に直とか、よっぽどでしょ? 何?」

要点だけまとめて、早く言わないと。

「今日、俺、そっち行けないわ。理由は……具合悪いとか、親父には適当に言っといて」

「珍し。ほだがおさぼり?悪い子だね。」

「ちょっとの間、悪い子にならせて」

少し間があって、マチルダさんが聞く。

「何? そっち行けないってことは、どっか違うとこにいるんだね?何日か帰ってこないってこと?」

「うん。実家に泊まってることにして」

「私にイズにも嘘つけって言ってる?」

「うん」

俺は眼を閉じて答えた。

怒られても仕方ない。

でも今はマチルダさんしか頼れる人がいない。

「仕方ないなぁ。マチルダ、一肌脱いだるか」

俺は胸を撫で下ろした。

「ありがとう、マチルダさん」

「ずっとずーっといい子ちゃんだったほだが、私を頼るってよっぽどだもん。それほど大事な何かなんでしょ? でもイズを傷つけんじゃないよ。ちょっと、だからね?」

「分かってる」


 電話を切ると、俺はスマホの電源を落とした。

今日は誰にも邪魔されたくない。

そっと玄関を開け、中を伺う。

大丈夫、まだ寝てる。

どうしようもなく愛しい。

自分が、自分じゃないみたいだ。

スマホをテーブルに置いて、もう一度ベッドに潜り込む。

コータが寝ぼけながら、また俺を引き寄せ抱きしめた。

首筋に唇を這わせながら、俺もコータにしがみつく。痛いくらいに身体が反応する。

好きな人と繋がりたいとあんなに求めた、あゆの気持ちが今なら分かる。

あの頃の俺は、ホント何も分かってなかったよ。

今まで溜め込んだ想いの全てが吹き出すように、首に、耳に、肩に、口づけ続ける。

どんなに想いを放つように口づけても足りない。

突然、グッと身体が引き上げられ、仰向けにベッドに押さえ込まれた。

「夢じゃなかった」

そう微笑んだコータが顔を寄せる。

「今日仕事入れてなくて良かった」

そして、耳元で囁く。

「何回着たって脱がすんだから」

着直したTシャツが呆気なく脱がされると、その体温を求めるように手を伸ばした。

離れたくない。

もう離れたくないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る