天地始粛 〈てんちはじめてしゅくす〉

 結局、俺はコータを救えなかった。

コータのお母さんも、その後連絡してくる事はなかった。

一度、家を訪ねたけれど、もう家は空き家になっていた。


 どうせ電車に間に合って、コータと話が出来ていたとしても、牧村のお腹にコータの子が居ることは変わらない訳で、2人が結婚することも、退学も取り消せやしなかった。

そう言い聞かせるけど、何度も夢に見るんだ。

あの日のことを。


「死んだように生きるな」

あの日のジッチャンの言葉が刺さる。

俺は夢にも挫折しそうで、死んだように生きていた。


「大丈夫か」

親父が聞いた。

「何が?」

俺は聞き返す。

「夏休み明けから、元気ねぇんじゃねぇのか?」

「学校がかったるいだけだよ」

実際、学校はかったるかった。

コータと牧村の退学、俺の復学が同時だった夏休み明けは、大事件の後のワイドショーみたいに騒がしかった。

けど、それも一時、数週間もすれば大分落ち着いた。

行き帰り、あゆが一緒だけど、前よりべったりじゃなくなった。そりゃ、同じ学校で妊娠退学騒ぎがあれば、どこの家だって子供に釘をさす。

そのおかげで、俺は助かっている。

ホテルに誘われることも、チューを強請られることも無くなったから。


「なら、いいけど」

急に親父が落ち着かなくなった。

何だ?

「明日の夜、予定開けとけ」

俺は親父の顔をまじまじと見た。

眼を合わせない。

「何かあんの?」

親父は、目を逸らしたまま、

「会わせたい人がいる」

そう言って部屋に戻った。

「は?? は????」


 俺の人生に、予定外の大事件が起こったのは、次の日の夜だった。

嵐がやって来た。


親父が連れてきたのは、30代だろうか? ドラマなんかで、場末のスナックに何でいんの? っていう田舎に不釣り合いな派手目の美人、そんな女だった。

まぁ、そこは大して驚くところじゃない。

そこまではよくある事。

会わせたいなんて、畏まって連れてきた女は初めてだ。

居間の座卓を挟んで、俺たちは向かい合う。

満面の笑みでこちらを見ている。

「やだ、コウちゃんに似てイケメンさん」

いや、俺、母ちゃん似だし。

親父が照れくさそうに、彼女をなだめる。

「こちら、古舘真知子ふるだてまちこさん」

親父が名前を紹介すると、間髪入れずに親父を小突く。

「ちょっと、その地味な本名やめて。マチルダでーす!マチルダさんって呼んでね」

俺はどう返答していいか、返事に困って眼を丸くするばかり。

また、親父がなだめようとするが、止まらない。

「ふ・る・だ・て・ま・ち・こ。マチ、ルダ! ね!」

「ね、じゃねぇよ」

「何か文句あんの?」

「ありません。マチルダさん」

俺は縮こまって呟いた。

「賢い子ね、コウちゃんにそっくり」

いや、親父賢くねぇし。

俺は親父を睨んだ。

まさか、まさか?

親父が、言いづらそうに口を開く。

「来年、お前に弟か妹が出来る」

「は??????」

俺は耳を疑った。

確かに、親父はまだ40過ぎたとこの現役バリバリだし、逆に今までなかったのが不思議なくらいだけど……って言うことは……

「俺たち、結婚することになった」

マチルダさんが、自慢気に左手薬指の指輪を記者会見のように顔の横に並べる。

「よろしくね、ほだ!」

ほだ、なんて、今まで呼ばれたことないわ。

俺は呆気にとられて、口がアングリ開いていた。

「口開いてるよ」

マチルダさんの鋭いツッコミが入って、俺は口を閉じた。

「親父の喪も明けてねぇし、籍を入れるのはすぐという訳じゃない。マチルダさんは町のアパートに住んでるし、産科の病院も町にあるから、出産までは俺はここと町を行き来する。出産後はここに住むことになるけど……」

親父が言いづらそうに、マチルダさんを見る。

マチルダさんも困った顔の親父を見る。

「そんな顔しないの、コウちゃん。私が言うから」

マチルダさんが親父の鼻をつつく。

俺は、このやり取りをどんな顔で見ればいいのか。

「家族になるんだから、はっきり言うわ。新婚そして出産という時期に、多感な青少年と同じ屋根の下っていうのは、お互いやり辛いでしょ?」

「まぁ、そうッスね」

俺は頷く。

「大家さんとは仲良くて、話はついてるから、出産後、ほだ、私と家をトレードしない? 」

「トレード?」

「そ、私が今住んでるアパートで一人暮らししない?」

「俺、家を追い出されるんすか? 」

「人聞きが悪いわね。お互いの精神衛生上、必要な冷却期間よ」

??

何か色々違うような気はするけど、言ってることは分からなくはない。

俺もこの夫婦と一緒にこの家で、というのは正直シンドい。

「家賃とかは勿論こっちで持つし、何より……」

マチルダさんは声をひそめた。

「彼女と好きに……」

「マチルダ、まだ高校生だから……ね?」

親父も、ね? じゃねえよ。

あんだけ家で開けっぴろげでしてたクセに。

「とにかく、悪い話じゃないと思うの。学校は遠くなるけど、娯楽はこの辺の比じゃないし、バイトだって出来るし。落ち着いたら、戻ればいいじゃない? ねぇ」

マチルダさんの『ねぇ』に親父が、何度も頷く。

マチルダさんの指が、親父の顎を猫をじゃらすみたいにゴロゴロする。

何だ、これ。

「まぁ、悪くないです。どうせ嫌って言っても、俺に拒否権ないでしょ?」

「あら、賢い子ね、マチルダさん嫌いじゃないわ。じゃ、決まりねっ」

親父が済まなそうに俺に眼で訴えかけた。

仕方ねぇなって顔で、俺は笑う。

でも、なんだろ。

こんな幸せそうな親父、初めて見たかも。

破天荒だけど、真っすぐで、上辺を取り繕うみたいな小細工がなくて、親父にとって特別な人なのが良く分かる。

やっと、親父も親父の人生を歩み始めたのかもしれない。

じゃれ合う二人を横目に、思いを巡らせる。

一人暮らし、バイト、どれも俺の人生には縁がないだろうと思ってたことだ。

ちょっと、ワクワクする。

待って。

もし産まれたのが男の子なら……

俺は家を継ぐという鎖から解き放たれるのかもしれない。

「あっ、そうそう」

マチルダさんが思い出したように言う。

「私を間違っても、『お母さん』なんて呼ばないでね。私はあなたのお母さんじゃない。あなたのお母さんは、あなたを産んでくれた大切なお母さん1人。私はマチルダさん。いいわね?」

「はい、マチルダさん!」

俺は何故か敬礼した。

俺も嫌いじゃない。


 人生って、本当に皮肉だ。

コータのお母さんから、コータも同じ気持ちだったと聞かされた時も思った。

もし、この出来事が、もう少し前に起こってたら、俺たちの人生は全く違うものになっていたのかもしれない。

2人で手を取り、歩んで行く道を選べたかもしれない。

でも、全ては終ってから起き、もう決して取り戻せない。

運命なんて信じちゃいないけど、俺たちはそういう運命なのかもしれない。


コータ、いま何してる?

俺はお兄ちゃんになるよ。

可笑しいだろ?

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