蛙始鳴 〈かえるはじめてなく〉

 目まぐるしい数週間が過ぎた。


 ジッチャンの葬儀が終っても、ゴールデンウィークが終わっても、俺は学校に行かなかった。

もう、学校に行くつもりはなかった。

コータから数日置きにメールが来ていた。

でも、無視し続けた。


 俺はもう、本来の夢に向かって動き出さないといけない。

家を継ぎ、田んぼを継ぎ、氏子総代を継ぐ。

その為に、今までの自分とはお別れしないといけない。

コータの家での事で、全く反応しない訳じゃない事が分かったんだから、女の子と付き合って、好きになっていけば、時間をかければ、きっと普通の男になれると思うんだ。

幸い、俺を好きでいてくれる子がいて、俺も好感を持っている。

軌道修正するなら、今しかない。

その為には、コータへの想いを断ち切らないといけない。何も生まない想いを引きずってちゃいけない。

コータなら、すぐに友達も出来るし、そのうち彼女も出来るだろう。

俺の想いで、コータまで巻き込んじゃいけないんだ。


 誤算もあった。

あゆちゃんは、超が付くほど積極的だった。

あれだけストレートに気持ちを示す子だったんだから、当然ではあるんだけど、ちょっと俺には早急過ぎた。

『まずはお友達から』だった気がするんだけど、お友達は一足飛びに、気が付くとホテルにいた。

反応しない俺に、あゆちゃんは、

「噂は本当だったんですね」

と言った。

ああ、下級生にも知れ渡ってたか。

でも、そのことがあゆちゃんに更に火を付けた。

「大丈夫! 絶対私が治してみせます!」

ちょっと心配でならないけど、でもその俺を好きって気持ちは嬉しくて、俺は出来るだけ答えてあげたいと思うんだ。


 もう1つは、親父。

学校を辞めることを許してはくれなかった。

「土下座して頼んだからには、キチンと卒業しろ」

当然といえば、当然の話だった。

俺は農業高校への転校とか、いくつか提案したけど、全て認められなかった。

正直、コータと同じクラスにいたら、想いなんて断ち切れる訳がない。

俺は、気持ちが落ち着くまで、と休学を提案し、ようやく認められた。

親父が学校で担任と話し、書式を教えてもらって休学届を用意した。


 休学届を出す為に、久しぶりに学校に行くと言ったら、あゆちゃんが一緒に行くと言った。

ちょうどいいと思った。

「あ、学校の机に、あの消しゴム入れたまんまだ」

今度こそ、本当にサヨナラだ、コータ。


俺は手首に結んだままの組紐を触った。

矛盾してんな。

未練たらたらじゃん、俺。


優しいアイツを傷付けるのは心が痛むけど、優しい言葉じゃサヨナラなんて出来ない。

俺を嫌ってよ。冷たいヤツだって。

その方がお互いの為だ。


「先輩、恋人繋ぎしよ」

「ん?」

俺は笑顔で彼女の手をしっかり握った。

「はい、これでいい?」

彼女が頬を赤らめた。

「俺たちが付き合ってるの、みんなに知られちゃうね」

「嬉しい!」

彼女はそう言って眼を閉じた。

もうチューは日常茶飯事だ。

あゆちゃんは可愛いし、俺のこと大好きだし、俺も好きだよ。

だけど、コータへの想いとは何かが違うんだ。


 久しぶりの学校。

長い休みの後の登校みたいに、ちょっと懐かしささえ感じる。

「職員室?」

「うんん。先にちょっと教室」

階段までの間に、あゆちゃんのクラスの前を通る。

今日は、5月にしては暑い日だったので、廊下側の窓が開いていた。

恋人繋ぎの俺たちが通ると、教室内がざわついた。

俺と一緒にいるから、彼女も学校に来ていない。

1年の主任が廊下に出て来て、

「佐々木、後で職員室来なさい」

と言った。そして、俺を見るなり舌打ちした。

「ちゃんと後で職員室行きますんで……」

俺は会釈して、主任の前を通り過ぎた。

教室内がまたざわめく。

気にもせずに、俺たちは階段を昇る。

何故か緊張する。

その緊張が彼女にも伝わる。

「先輩、緊張してる?」

「ん、ちょっとね」

俺たちを見た時、コータはどんな顔するんだろ。

人を傷つけるって、自分の心も傷つくんだな。

もう、胸が痛い。

自分のクラスに着いた時、もちろん授業中だった。

俺はわざわざあゆちゃんを教室の入口に立たせて、授業中の教室に無言で入って行った。

クラスメイトたちがざわつく。

黒板に向かっていた先生が振り向いた。

「荷物取りに来ただけなんで、気にしないで続けてください」

コータが見てる。

俺は、取りに来たものが何なのか、コータに気づかれないように、ポケットにしまった。

大丈夫、気づかれてはないはずだ。

あゆちゃんと眼が合う。

俺は優しく笑う。

もう振り返らずに、俺は廊下に出た。

彼女が俺を追って、また手を繋ぐ。

「行こうか」

俺たちが歩き始めた直後、誰かが廊下に走って出て来るのを感じた。振り向かなくても分かってる。

でも、俺たちは振り向いた。

やっぱり。

コータがそこにいた。

予定通り。

俺はチラリとコータを見て、あゆちゃんの肩に手を回すと、見せつけるようにキスをした。

それも普段はしないような舌を絡めたキス。

コータが眼を逸す。

胸の奥で、何かが軋む音がした。

ミッションコンプリート。

俺は挑発的な顔で

「じゃあな」

と手を振った。


コータは、動かなかった。

何も言わなかった。

そうだよな。

これはお前が知らない俺。

今までとは違う俺。

組紐を結んだ左手に、あの消しゴムを握りながら、右手で女の子の手を握る俺。


俺は、職員室の担任の机に、休学届を置いた。

次に学校に来るのは何時だろう。


廊下で振り向く。

職員室の奥にある図書室。

「今度は何読んでんの?」

あの日のあいつの笑顔が浮かんで消える。


「ねぇ、チューして」

あゆちゃんがチューをせがむのは、このままだと俺が離れていくという焦りだっていうの、分かってるよ。

早く俺と繋がりたいと思ってるのも。

でもね、男の俺が言うのも変なのかもしれないけど、身体だけじゃなくてさ、ちゃんと好きになって、心が繋がってからじゃダメかな?

本当に好きになれば、きっとあの時みたいに、何も考えなくても勝手に身体が反応すると思うんだ。

「俺に時間ちょうだい」

その想いを伝えたくて、長めに口づけると俺は言った。

恋愛ってさ、難しいんだね。

相手がいるから、自分だけのペースじゃ進められない。

応えたいのに、応えられない。

その焦りが、さらに俺をダメにする。

男子から強引に強請られる女子って、こんな感じなのかな?

まるで身体だけが目的みたいで、切なくなるんだ。

ちゃんと、好きになりたいのに。

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