鴻雁北 〈こうがんきたす〉

 ジッチャンがもうダメかもしれない。

そう親父から聞かされたのは、高2になる春休み中だった。

ジッチャンには知らせてないって言ってたけど、俺には分かるんだ。

ジッチャンはもう、自分の寿命を分かってる。

そして、祈ってる。春祭りまでもつようにと。


 俺がしっかりしなきゃ。

春祭りをジッチャンは仕切れない。

親父は、きっと何もしない。いや、出来ない。

もしもの時、俺は祭りに居なきゃいけない。

だとしたら、せめて親父にはジッチャンに付いててもらわなきゃ。


ジッチャンに沢山教わってきたつもりでいたけど、俺はまだまだ神社の事、何も知らない。

学校の図書室で、俺は古事記を探す。

ジッチャンが良く言ってた。

「神話をしっかり読みたくなったら、古事記か日本書紀を読め」

って。

「あった」

古びた背表紙の、その本を手に取った。


 2年もコータと同じクラスになった。

勿論、嬉しいよ。

でも、永遠に思えた幸せな時間は、そろそろ終わりに近づいていることも、何となく感じている。

ただ傍にいられたら、それで幸せなのに、それさえも許されないんだな。

せめて、高校卒業まで一緒にいさせてよ。

そう願うけど、多分その願いは叶わない。


少し距離を取りたくて、昼休みは教室に居たくなくて、図書室でパンに齧りつく。

でも、やっぱりコータはラインを飛び越えちゃうんだ。

「図書室は飲食禁止ですよ」

声の方に眼を向けると、そこにはもうコータがいた。

俺は、その声に応えるように右手を上げた。

「図書室で食うなよ」

右手を上げて応えながら、コータが近づいてくる。

「今度は何読んでんの?」

答える前に、本の背表紙を覗き込む。

「古事記!?」

俺は構わずパンを引き千切った。

「似合わねぇ」

コータが笑うから、思わずパンごと右ストレートを繰り出す。驚いたコータの身体が仰け反る。

殴るわけないじゃん。

俺は本を閉じると、パンを袋にしまった。

「春祭りが近いからな」

今までは、祭りに参加すれば良かった。

ジッチャンの傍について。

でも今年はそうはいかなくなる。

「今年も神輿担ぐの?」

何を当たり前の事を今さら。

俺はコータをまじまじと見た。

ふざけてる訳では無さそうだ。

「お前もだぞ」

もしかしたら、一緒に祭りに参加するのは、最後になるかもしれない。そんな想いを振り払う。

「ジッチャン褒めてたぞ。お前の笛」

「ジッチャン、具合どう?」

一番聞かれたくなかった質問。

俺は視線を逸し、本の表紙を指でなぞった。

「もうすぐ山から神様が降りてくるから、祭りまでには良くなるんだって……、ジッチャンは言ってる」

ちゃんとジッチャンは、自分は気がついてない振りするんだ。優しい嘘が、俺には痛い。

「オヤジは、自分が春祭りを仕切る気でいるけどな」

それが口だけだってのも、俺は分かってる。

「オヤジ、神社の事なんか、ろくにやってねぇからさ」

神社の事だけじゃない。

俺はいつもそうだ。まだ甘えていたくても、いつもそれが許されない。

「稽古始まったら、また声かけてよ」

コータの顔を見る。

いつもと変わらない優しい眼が、俺を見ていた。

俺はお前にどんなに救われて来たことか。

「おう!」

俺は答えた。

「サボんなよ」

コイツ自分で参加しておきながら、稽古シンドくなってくると、休んじゃったりするからな。

釘を指すように、俺はコータを指さした。

もう少しだけ。

もう少しだけでいい。

傍に居させて。

コータが、バツ悪そうに笑った。


 予鈴が鳴る。

「先行くぞ」

コータが左手を上げた。俺も応える。

「次、ホームルームだろ?ゆっくりいくわ」

コータが微笑みながら図書室を出ていくのを見守る。

いつもの日常の風景なのに、今日は遠ざかっていくコータの背中に、胸が締め付けられた。


「へっ?」

突然、見知らぬ女子が図書室に入って来た。

制服が真新しいから、新入生みたいだ。

「川島先輩、昼休みにごめんなさい」

俺の名前知ってるんだ。

俺は全く知らない子だと思うけど……

「去年の秋祭りで神楽舞ってたの観ました。ヤバいほどカッコよかったです」

こんなにストレートに言う子、初めてだ。

驚きながらも、小気味良さも感じる。

「ありがと」

「先輩って、付き合ってる人とかいるんですか?」

まどろっこしく聞いてくる子には答えたくないけど、この子は物凄く真っ直ぐだから、思わず俺もそのまま答えたくなる。

「いないよ。でも、ずっと好きな子はいる。絶対に叶わないけどね」

何でだろ。アイツの顔を思い浮かべて、俺、笑ってた。

「じゃ、私と……お友達からでいいので、付き合ってください」

ほんと直球だな。

「んー、今はお友達も無理かな」

俺はしっかり彼女の眼を見て答えた。

「今は?」

彼女が不思議そうに問いかける。

「未来の事は、誰にもわからないじゃん?」

ずっと緊張してる顔してたのに、頬が少し緩んだのが分かった。ちゃんと好きでいてくれるんだな、

こんな俺でも。

「もし、可能性あったら、思い出してください!」

彼女が頭を下げた。

「うん、覚えとくね」

顔をあげた彼女は嬉しそうに笑った。

凄くシンプルに可愛いと思った。

走り去る彼女の後ろ姿には、希望が溢れていて、その真っ直ぐさが眩しかった。


俺は、その真っ直ぐさを、何処かに置いてきちゃったな。


 教室に戻ろうと、歩き出した。

引き戸まで来た時、気が付いた。

まだそこにコータがいた。

さっきの話、聞かれただろうか?

聞こえたかどうかはわからないけど、このシチュエーションが何を表してるか、わからない奴じゃない。

なら、自分から切り出そう。

きっと、気になってる。


コータが振り向いた。

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